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タマ与太郎
タマ与太郎
novelistID. 38084
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経費削減

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 坂口という同僚がいる。俺と同い年でほぼ同時期に中途採用された男だ。特別親しいわけではないが、価値観が似ているせいか会社帰りに時々一緒に飲むことがある。実はその彼も3カ月ほど前に営業部からカスタマーサポートの部門へ異動させられていた。客のクレーム応対をしたり、アンケートの葉書を集計したりと、皆が嫌がる仕事のひとつだ。
 6月に入り、相変わらず鬱陶しい梅雨空が続くある日のこと、俺は坂口と偶然帰りが一緒になった。
「山本、軽く一杯飲っていかないか」
「そうだな、久しぶりに飲っていくか」
「奥さんに電話しなくていいのか」
「ああ、あとでメールしておくよ」
 坂口が異動させられたのはリストラの一貫という理由だけではない。直近の上司とそりが合わず、始終ぶつかっていたと聞いている。おまけにうつ病を発症したらしく、夫婦仲も冷めきっているらしい。彼が俺の妻に気を使ってくれるのもそんな状況だからかもしれない。
 俺たちは会社から少し離れた駅前の安い居酒屋に入った。平日だというのに店はほぼ満席に近かった。生ビールで乾杯したあと暫くは世間話に花を咲かせた。坂口がトイレに立ったので俺は妻に晩メシはいらないとメールをし、そろそろ本題に入るための心の準備をしていた。坂口が席に戻り、俺の方から切り出した。
「どうだい、カスタマーサポートのほうは」
「ああ、ぼちぼちだな。なかなか面白い客が多くて案外楽しいぞ」
 俺はちょっと意外に思った。坂口は異動の愚痴をこぼしたくて俺のことを誘ったのかと思っていた。「楽しい」という便利な言葉を使ったのも最初は強がりかと思っていた。ところが彼の話を聞いていると、不思議なことに本当に楽しそうに思えてきたのだ。坂口は枝豆をつまみながら続けた。
「ハードなクレーマーの対応をしていると思うんだ。この人は不幸だなと」
「どういう意味だ」
 と、俺は本当に意味が分からなくて尋ねた。
「人にクレームをつけることにこんなにエネルギーを使っているからさ。やつらに比べれば、自分は幸せなんだなあと思う」
「ふうん、そういうもんか」
 営業部でバリバリやっていた頃の彼を知っている俺は、人は変われば変わるものだと思いながらビールのグラスを空けた。
「実を言うと俺もなんだが…」
 俺は7月から在庫管理の部門に異動になることを話し始めた。初めてその事実を知った坂口は、始め目を丸くして驚いていたが、段々と事実を理解し、大きく頷きながら俺の話を聞いてくれた。気がつくと愚痴を聞くつもりでいた俺の方が、逆に愚痴っていることに気付いた。
「経費節減が叫ばれているが、おまえの部署じゃどんなことをしている?」
 俺はちょっと自分が喋りすぎていることに気付き、話題を変えて坂口に話を振った。
「やっぱり節電かな。消耗品の調達もうるさくなってきたし、通信費も減らされている」
「でもな、なんだかんだ言っても一番大きな経費は人件費なんだよ」
 坂口は黙って頷いた。
「ちまちまと照明を消したって、たかが知れている。社員を一人切れば年間で数百万円の人件費を抑えられる」
「それはそうだ。でも我々みたいな販管部門の人間は利益を生み出せない。節電して少しでも経費を抑えることしかできないじゃないか」
 坂口は自分や俺の異動が経費節減の一貫だとは認めたくないかのように、節電という言葉を何度か口にした。
 大声で笑う大学生らしきグループを一瞥したあと、坂口は彼らに負けないくらい大きな声でこう続けた。
「でもいいのさ。自分は今の状況に満足している。このまま波風立てず定年まで過ごせればそれでいい」
「随分消極的じゃないか。坂口らしくない感じだな」
 その後も坂口は消極的な発言を続けた。俺は何度か反論したくなったが、周りの騒々しさも手伝ってか、ただ頷いて彼の話を聞いた。
 気がつくと2時間が経過していた。俺たちは会計を済ませ、駅の改札で別れた。相変わらずじとじととした雨が降り続き、駅のホームには不愉快そうな顔で傘の水を切る乗客が電車を待っていた。
 坂口には子供はいない。うつ病になって夫婦仲も良くない。仕事だって使えない社員の吹き溜まりのようなところに異動させられた。それに比べれば俺なんか恵まれているじゃないか。俺は「ハードなクレーマーに比べれば自分は幸せだ」という坂口の言葉を思い出し、複雑な気分になった。
 坂口の反応は少し意外だったが、今日は彼と飲んでよかったと思った。俺は電車に揺られながら、自分の置かれている立場をもう一度俯瞰することができて、溜飲が下がった。
作品名:経費削減 作家名:タマ与太郎