忘れられた大樹 後編
ベッドの上で頭だけを必死に上げ、不安そうな顔をしているハルが尋ねた。医者は、部屋の隅においてあった椅子を引っ張ってきてハルの前に置き、座って、ため息をついた。
「今、お前がその足を引きずって森に帰っても、一週間後に治ってから帰っても、結果は変わらないってこと。森には、もう猟師が入り込んでいる」
「そんな!」
「本当だ。実際にこの目で見た。まあ、ナリアも入っているから好き勝手にはさせないだろうけど」
「それじゃあ、私のしたことは」
ハルは肩を落とした。言われるまでもない、ただ、騙されて森を出てしまっただけのことだ。
目の前に立ちはだかる天井を見ながら、ハルの瞳は宙を泳いだ。これではただ、ナリアと、もう一つの地球のシリンの手を煩わせ、森を危険にさらしただけではないか。
気落ちしたハルは、そこで何も言えなくなり、体を柔らかなベッドに落ち込ませるだけだった。今まで力の入っていた体の力がどんどん抜けて行き、まるでそのままベッドを抜けて床を破り、地面の底まで沈んでしまいそうだった。
「ハル、二つ、道がある」
「二つの道?」
「そうだ」
自嘲気味に返したハルの言葉に、医者は丁寧に答えた。
「私のすべき役割も、私の背負わなければならないことも、全て成し遂げられたかった愚かな私に、道など」
「欲しくないか」
ハルが頷くと、医者は苦笑した。
「そうか。でも、生きている限りは通らなければならない道だってある。何も、答えを出す必要はない。そのときになれば自然に分かれ道はやってくるから。自分で求めなくても」
そう言って、医者は二つの道をハルに示した。
一つ目は、ここで一週間療養してから、森に帰る道。もちろんこの道には、ハルに、森に帰って欲しくない連中が立ちふさがるだろう。だから、帰る途中に同行してくれるという。獣を射る弓でしか闘う術のないハルが、あの連中を相手にまともに戦うことはできないだろうから。だから、戦闘に慣れた、もうひとつの地球のシリンが一緒に行ったほうがいい。
もう一つは、森に帰らず、そのまましらばっくれる道。この道を選べばハルはもうこの大地にはいられない。風の刻印を持つ資格を失うからだ。その所持者は刻印を失えば命も失う。医者の星、もう一つの地球にはすでに風の刻印の所持者がいる。もし、ハルが地球に行ってしまえばこちらの地球に新しく、刻印の所持者が生まれるだろうから。
それだけ話して、医者はハルの様子を見た。ハルは返事をしなかった。
どちらも、彼にとってはもう既にどうでも良かったからだ。
自暴自棄になってしまっているといってもいい。それほどにまで、彼の心は絶望していた。自分自身に、そして、この状況に。
作品名:忘れられた大樹 後編 作家名:瑠璃 深月