忘れられた大樹 後編
ナリアとセベルの話が終わり、祭りの準備に沸き立つ喧騒の中で、少年は、何とも言えない気持ちになっていた。
「今から五十年前にね」
黙ったままの三人の中で、ナリアが少年を見て微笑んだ。
「今から五十年前、サムが死んだわ。ハルの魂のかけらを受け継いでいたからシリンとして何百年も二十歳の若さを保ちながら生きていたのだけど、突然、カレリに別れを告げて森の村の外で暮らしだしたの。そして、シリンとしての寿命を捨てた。サムはね、どんぐりを手放したの。手放して、森の中心、封印されて成長を止めてしまった大樹の傍に、それを埋めた。そこで、サムは、木の成長を見届けながら年老いて、亡くなったわ。そして、彼は、生涯の友であるカレリにこう言い残したわ。『カレリは、私の植えた木の成長とともに、いつまでも語り部としてハルの伝説を伝えていってほしい。』って。そしてね、サムが死んだ後、カレリはこの村で一番の吟じ手となったわ。その歌声は森の人さえも凌ぎ、ハルを語る物語はすべての人の心を揺り動かした。
そして、カレリは十年前、この村の人たちにどうしてもと言われて、大長老になった」
「カレリが、大長老になったの?」
驚いて目を見開く少年に、ナリアは頷いた。
「そうよ」
そのときだった。
話し込んでいる三人の間に、ウサギが一匹、飛び込んできた。
「こら、だめじゃない!」
そのウサギを追いかけて、一人の女性が三人の中に入ってきた。見ると、日差しに透き通って燃えるような赤毛に翡翠のような澄んだ瞳をした女性だった。ナリアよりも少し年下だろうか。垢抜けた声をしていた。
女性は、ウサギを捕まえてナリアとセベルを見ると、一気に顔を上気させて目一杯の笑顔を作った。
「ナリア、一年ぶりですね!」
「そういうあなたも、お変わりなく」
女性に挨拶をすると、ナリアは彼女に少年を紹介した。
少し緊張気味に礼をすると、赤毛の女性は、少年に手を差し伸べた。
「あなたが、ハルの名前を借りた子ね。はじめまして。私はこの村の長老、カレリです」
「あ、あなたがカレリ?」
少年が驚いて目を丸くすると、ナリアはクスクスと笑った。
「カレリはシリンよ。長老って聞いて、おばあちゃんかと思ってしまったでしょう」
「あ、そうか」
照れ笑いして、少年はカレリの手を握り返した。
そして、カレリはウサギを抱いたまま、ナリアたちに礼をして、村の喧騒の中に入っていった。
「あなたの命名の儀式もあるし、今夜は特別になりそうね」
ナリアはそう言って、少年を抱きしめた。
作品名:忘れられた大樹 後編 作家名:瑠璃 深月