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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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遠いかげろうの記憶

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 女の子が少年のズボンをつかんで離さない。
『仕方ないんだよ。もうお休みも終わりだしね……』
 女の子は手の力を緩めようとしない。
『じゃぁ、またすぐに来てくれる?』
『すぐには来られないよ……だって、遠いから……』
『それじゃ、来年の夏は?』
 少年はしばらく考え込んでいる。女の子は少年を見つめたまま、まんじりともしない。
『困ったな……』
 少年は、本当に当惑しきっているようだった。『来年は無理だよ……』
『じゃあ、その次は?』
 遠くで電車の警笛が聞こえた。
『お兄ちゃんはね、大事な用があって、遠いところへ行かなきゃいけないんだよ。……さあ、もう行かないと……。離してくれるね』
 女の子は、しきりにいやいやをする。
 少しの間考えて、少年は言った。
『じゃあ、こうしよう。君が二十歳になったら、ここでまた会おう』
 女の子はそれでも少年の目を見据えていたが、ややあってようやく手の力を緩めた。
『お誕生日に?』
 少年がうなずく。
 列車の影が、かげろうの彼方から見えてきた。
『じゃあ、私、待ってるね。この青いいすで。きっと、きっとよ! 私のお誕生日ね――』


 女の子の言った誕生日は、私の誕生日とは違っていた。
「約束……私……守れなかったのね……」
 彼は優しく首を横に振る。
「守ってくれたよ……」
 そうだった。
 私はこの旅に出ようと決めたとき、二十歳の誕生日の思い出にとせがんだのだ。
「でも、あなたは……」
「これで、いいんだよ……」
 彼は急に寂しげな表情になった。私は二十歳になってまで、彼の優しさに甘えることしかできないのだろうか。
 私はあの頃のすべてを思い出していた。あのときの彼の気持ちも痛いほどによく分かった。そして、なぜ、彼が行かなければならなかったのか、どこへ行くのかも……今の私にはわかっていた。
 それだけに、今の自分がもどかしかった。
 私はまた、うつむいてしまった。じっと立ちすくんだまま……。
 そして、再び顔を上げたとき……、彼はもう……いなかった……。


 私は小さく彼を呼んでみた。
「ねえ……どこにいるの……? 返事をして……? いじわるをしないで……」
 潮風が線路脇の草をさわさわと鳴らす。
 胸を刺すような寂しさが一時にこみあげてくる。
「ねえ、お願い。返事をして? どこにいるの? どこへ行くの? あのときみたいに、どこへ行こうというの? どうして行かなきゃいけないの? ねえ! 答えて! お願い……」
 私は叫び、喘ぎ、そのまま全身の力が抜けたように、その場に座り込んでしまった。
「お願い……もう、どこへも行かないと言って……。私をひとりにしないで……。おねがい…………」
 まるでかすかな吐息のように途切れ途切れになった私の言葉に、遠くから彼が応えた。
「だめじゃないか……。それに、今度は君が行く番だよ。君には待っている人がいる。それに、帰るべき場所もある……。わかるね……。さぁ、もう泣くのはやめて……」
 それは、はるか遠い彼方から、私の心に直接響いてきた。