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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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遠いかげろうの記憶

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遠いかげろうの記憶

 波止場の防波堤に腰掛けて、私はしきりに何かを考えようとしているようだった。
 今、私がここにいるのは、特に何という理由もない。ただひとりっきりでぶらりと旅に出たくなった。それだけのことだ。
 そして今、私がいるのは小さな港の防波堤。突端に赤い小さな灯台のある、港町ならどこにでもある防波堤……。
 晴れた青空に初夏の雲が眩しく輝く潮風の心地よい昼下がり、静かな波が私の足下で寄せては返す。その単調な旋律が、しきりに私に何かを考えさせようとする。
 だから、私は考えていた。何かを……、私の中の私自身も知らない何かを……。そして、私を私とせしむる何かの存在を……。
 大学二年生の私にとって、考えなければならないことは山ほどある。しかし今は何も考えたくない。いや、考えなければならない……。
『何を……?』
 わからない……。矛盾した時間が私のまわりでうごめいているのがわかる。
 私は旅に出たのだ。そして私はここに来た。このことに対して私は何らかの結論を出さなければならない。
 なぜなのか……。
 私は何かを求めてここへ来たのではなかったはずだ。ただの気まぐれで、ただ何となく旅に出たかっただけなのだ。
 なのに……いま……いったい私は何を考えているのだろう……。
 そもそも旅の動機からして曖昧だったのだ。旅に出たくて出たくてたまらなかったわけでもなかったし、知らない町に行ってみたいという何かのキャッチコピーのような意欲もなかった。ただ旅という漠然とした概念が独り歩きし、心のままに流されて来たというのが妥当であるように思う。それでも父の言うように、一人になって考える時間がほしかったのだろうと言われれば、そういう気がしないでもない。
 旅先は、べつにどこでもよかったのだ。父が自慢していたようなあてのない旅でもよかったのだが、それはさすがに父自身によって一蹴されてしまった。それで私は行く先を決めなければならなくなったわけだが、なぜここになったのかは私自身いまだにわからない。とりあえず宿を予約し、往復の切符だけを持ってこの旅をはじめたのだ。それが昨日のことだった。
 高校生の頃から通い慣れた駅まで、父が送ってくれた。ラッシュ時間を過ぎた駅は、いつも勝手知ったそれとはまた違った雰囲気があった。
 静かな長いプラットホームに、私の乗る列車が待っていた。その向こうの、遅い通勤客でまだいくらか活気があるのとは対照的に、ここはもう深夜のように静かだった。時折、大きな荷物を持った人や、出張だろうか、スーツ姿のサラリーマン風の人がそれぞれの車輌に乗り込むが、その後はまた静寂に包まれるのだった。
 列車が動き出してからも、私はなかなか寝つかれなかった。夜の発車でほとんどの乗客が寝台に引きこもってしまった中、私はひとりで通路の窓辺にいた。
 列車は何の衝撃もなく、ゆっくりと動き出した。加速もゆっくりで、いつもなら時々人の足をうっかり踏んで謝ったりしている同じ線路上を走ってゆく。
 車内は静かだった。鉄道独特のあのリズムも、聞き慣れたどこか攻撃的な音ではなく、眠りを誘うような、あたかも胸の鼓動のようだった。私はこの時、旅に出るんだ、とはじめて思った。
 夜行列車には、独特の雰囲気がある。私は乗ったときから不思議な気持ちにさせられていた。地方から出てきていた友達が「夜行列車って、ふるさとの匂いがする。どこへ行くのにもその土地の匂いが詰まってる」と言っていたのを思い出したからなのかも知れない。
乗ったその瞬間から、もうその故郷へ帰ったような気持ちになると言ったその友達の気持ちが、この時の私にはわからなくもなかった。だとすると、私にとっての故郷とは何なのだろう。生まれも育ちも同じ町の私にとって、思いをはせることのできる故郷などあるはずもない。なのに、この私の気持ちは……。夜行列車そのものが、どこか哀愁を秘めているせいなのだろうか。
 あの頃はあてもなく旅をしていた。旅とは自分自身そのものだったと語った父の言葉が脳裏をかすめた。父も、私と同じ立場だった。もしかすると、父は自分にはない故郷を探し求めていたのかも知れない。そんな気がした。
 流れる街並を見るともなく、ただぼんやりと眺めながら、私はそんなことを考えていた。
 その時の私はおそらく深刻な表情をしていたのだろう、巡回の車掌が心配げに振り向いた姿が妙にぼやけていた。
  終着駅の一つ手前の駅で降りた私は、決して多いとは言えない人々とともに改札口を出た。まだ明けたばかりの白い大気の中で、駅はまだその広い構内をもてあまし気味にしていた。
  私は駅前のターミナルに一台だけ停まっていたバスに乗った。乗客は私一人だけだった。行き先も確かめずに乗ったそのバスは市街地を抜け山を越えて海岸沿いを走った。
 どれだけ走ったのかは覚えていない。「お客さん、終点だよ」と運転手に言われて、私は腰を上げた。少し眠っていたようで、頭の中がぼうっとしている。
  そこは小さな鉄道の駅前だった。本当に小さな駅で、そこにはおもちゃのような赤い電車が一輛だけ停まっているのが見えた。早朝と言うには少し遅い時間にもかかわらず、駅前はひっそりとしていて、人影ひとつなかった。広場の何でも屋のような商店が一軒だけ店を開けていたが、店の人の姿は見えなかった。
 窓口で駅員から切符を買った。
 電車は、外から見るよりもずっと小さかった。車内は明かりを消しているせいか暗くすすけたような感じで、いかにも古そうだった。何やら異空間めいた雰囲気がたちこめ、私は未知の世界へと運ばれてゆく気がして胸が高鳴った。
 
 そうしてやって来たのが、この港町だった。
 それにしても、私はここに、もうどれくらいいるのだろうか。
 電車に乗っていた時間は、それほど長くはなかったはずだ。
 そして今は、昼をとうにまわっている気がする。時計を見て確かめれば済むことだが、べつに見ようという気も起こらない。言いようのない、かと言って決して不快でもない気怠さだけが全身を支配し、私は足をぶらつかせながらずっとこうしていた。思考さえも、冴えているのか鈍っているのかわからないまま、何か考えなければという気持ちだけがうずまいている。
 その時、私は一瞬、すべての機能が停まったように感じた。
 波の音も、風が耳をなぶる音さえ聞こえない。
 ――思い出さなければ……――
 それは一瞬のことだった。
 再び聞こえてきた波の音は、その前よりも高く聞こえた。
 何を思い出せというのか。私の中で、何か別の存在が動き出す気配がした。
『……ずっと……、すっと前に、来たことがある……』
 心の中で、誰かが私の声で囁きかけた。辺りには誰もいない。波に揺られて小さな漁船が陽を浴びているだけ。
「幼いころ? ……私の記憶にない幼い頃……」
 今度はもう一人の私が、私の口を使って小声で囁いた。
「どうしたんだろ……。私ったら、なにをうわごとみたいなこと……」
 私は自分の理性を確かめるように呟いてみた。
 それにしても、変……。
 旅に出てきて、こんな気持ちになるなんて……。