FLASH BACK
苦笑したままの鷹緒さんは、どこか寂しそうに見えた。
鷹緒さんの横目が、壁に貼られている選挙ポスターをかすめるのが見えて、私たちは信号待ちをする。酔いが回っているせいか、歩くのは苦痛じゃなく、むしろ涼しくて気持ちがいい。
「じゃあ洞察力に優れている繋がりで、ひとつ気付いた点あるんですけど、聞いてもいいですか?」
「何?」
「副社長とは、昔恋人だったとか……」
酒の力も手伝い直球で聞いた私に、鷹緒さんは予想以上の驚いた顔を見せ、そして笑った。
「おまえ、結構俺のこと見てるよね」
「じゃあ、やっぱり……」
だが鷹緒さんは笑ったまま、空を見上げる。
「残念だけど、そんな単純じゃない。もっとディープな関係だよ。俺とあいつは……」
私はその言葉に考え込んだ。恋人よりディープな関係とはなんだろう。兄妹だとでもいうのか。頭が回らない今の私には、さっぱり答えが浮かばない。
「単純じゃないって……」
「それ以上は秘密。でもそんな面白いもんじゃないから、気にすんな。他の奴にもそんなつまんないこと言うなよ」
「……はい。わかりました」
それ以上は聞けない何かがあった。
「あれ? 誰かいるのかな」
事務所が入ったビルを通り掛かると同時に、鷹緒さんがそう言った。
見上げると、事務所部分にはまだ明かりがある。
「本当だ……」
「ヒロかな。しょうがない、後で寄るか」
「今じゃなくて平気ですか?」
「いいよ。寄ったら仕事させられるかもしれないし。帰れる時に帰ったほうがいい」
「私は大丈夫ですよ」
「……じゃあ行くか」
鷹緒さんも気になっているのか、私たちはそのまま会社へと入っていった。
「こういう時って緊張しない?」
エレベーターの中で、鷹緒さんが言った。
「ああ、誰か倒れてるかもとか」
「誰かイチャついてんじゃないかとか」
からかうように歯を見せて笑う鷹緒さんに、私も赤くなって笑う。
「確かにそうかも……」
会社に入ると、モデル部署の大きなテーブルの前には副社長がいた。
「理恵! 何やってんだよ」
一気に酔いが醒めたように、鷹緒さんがそう言った。
「鷹緒? 万里ちゃんも。珍しい組み合わせね」
「子持ちのくせに一人で残業かよ。誰かいなかったのか?」
「だって私の仕事だし。今度うちのモデルたちが大きなファッションショーに関わることになったから、人員配備と下準備も兼ねてね……」
そう言う副社長は、疲れたように力なく笑う。
鷹緒さんはテーブルに座りながら、その書類を見つめていた。
「……俺も手伝うよ」
やがて鷹緒さんがそう言った。
「ええ? いいわよ」
「なんだよ、俺じゃ役不足か?」
「そうじゃないけど、あなたにはあなたの仕事があるでしょう?」
「俺に出来ない仕事じゃないなら、これも俺の仕事のうち。それに一人で根詰めたって、どうしようもない時もあるだろ」
そう言って、鷹緒さんは理恵さんの隣に座る。
「万里。悪いけど、あとは一人で帰れる?」
その言葉に、私はちょっとショックを受けた。でも鷹緒さんは親切心で仕事をするのはわかっている。
「大丈夫です。すぐ近くですし……私にお手伝い出来ることはないですよね……」
「うん、あとちょっとだし、大丈夫だから」
副社長がそう言ったので、私はお辞儀をした。
「それでは、お先に失礼します」
「ああ、万里。家に着いたら電話して」
鷹緒さんの言葉に、私は驚いた。そんなことは彼氏にも言われたことがない。
「え、大丈夫ですよ。子供じゃあるまいし」
「俺が大丈夫じゃないの。メールでもいいから、必ずしろよ」
「はい……じゃあ、失礼します」
私は苦笑して背を向ける。心配症にも取れる鷹緒さんの気遣いが、素直に嬉しかった。
その夜、二人がどうなったかは知らない。でも私は約束通り、帰るなり鷹緒さんに電話をした。その時は、もうすぐ仕事は終わるような言い方をしており、次の日会った時にも、いつも通りの二人がいた。
その日から、私は妙に鷹緒さんのことが気になっていた。
同じ空間にいれば、その姿を追ってしまう。いなければ不安に思ってしまう。私も他のみんなと同じように、鷹緒さんに惹かれているのを感じていた。
でもその恋は、突如として叶わぬものとして終わった。
「鷹緒さん。これ、忘れてたよ」
出勤したての鷹緒さんに近付いたのは、モデルの小澤沙織(おざわさおり)ちゃんだ。うちの事務所でもトップといえるくらいの人気モデルさんで、有名アーティストと噂になったりしていた。
鷹緒さんの親戚でもあると聞いたが、最近どうもおかしい。沙織ちゃんがではなく、鷹緒さんがだ。
「悪い、忘れてた。わざわざ持ってきてくれたのか」
鷹緒さんは沙織ちゃんから書類ケースを受け取って、すまなそうにしている。
「だって急ぐと大変だと思って」
「ありがとう。助かるよ」
「よかった。じゃあ、またあとでね。あ、寝ぐせついたままだよ」
「え……」
「じゃあね」
沙織ちゃんは、そのまま事務所を出ていった。
からかわれるように言われ、鷹緒さんは少し照れながら窓ガラスを鏡に見立て、自分の髪の毛に触れている。
「どうしたの?」
念入りに髪を直している鷹緒さんを見て、朝のコーヒーを入れて持って来てくれた副社長が、驚いたように尋ねた。
「いや、寝ぐせが……」
「そんなのいつもじゃない」
「ひでーな。それは寝ぐせじゃなくて、ただの癖っ毛だよ」
鷹緒さんは苦笑して、副社長からモーニングコーヒーを受け取る。
「一緒よ。でも沙織ちゃんのおかげで、ずいぶん丸く可愛くなったもんじゃない」
副社長が小声でそう言った。でも一番二人に近い場所にいる私には、辛うじて聞こえる。
「人をからかうな」
「だって本当でしょ。でも、ちょっと妬いちゃうな……そんなに格好付けてる鷹緒、初めて見た」
「はあ?」
「あら。じゃあ私に向かって、格好つけたことあった? 鷹緒は何もしなくても格好いいからかもしれないけど、そういうふうに自分から格好付けたところなんて見たことないもん」
「ないもんって……まあ、ないかもな」
そう言って苦笑した鷹緒さんの顔は、今までで見たことがないくらい可愛らしく美しい。
「しかしおまえ、人のことを格好いいだのなんだの、色眼鏡かけすぎだし。言われるこっちが恥ずかしい」
「そんなの今更でしょ。私だけが言ってるんじゃないんだし」
「ったく、おまえまでくだらないこと言うなよな」
仲良く続けている鷹緒さんと副社長の会話も、もう私には聞こえない。
私はそこで、鷹緒さんが沙織ちゃんと付き合い出したことを悟ったのだった。
それから私は、一人で失恋を悟りながらも、鷹緒さんの姿を目で追い続けていた。
てっきり副社長と何かがあるのだと思っていた私は、沙織ちゃんという予想外の人物の登場に、呆気に取られてしまっている。
でも私は知った。私が鷹緒さんに惹かれたのは、鷹緒さんが話しやすく、私にバリアを張らなかったからだ。すなわち、自分が恋愛対象として見られていないことに気付いたのである。だから私も気を張らず、自然体で彼と接してこられたんだと思う。
作品名:FLASH BACK 作家名:あいる.華音