超短編小説 108物語集(継続中)
それから三年、貴史に成り切れた頃に、幸夫は、いや貴史は七瀬優子と知り合った。優子はいつも潤んだ目で貴史を見つめ、献身的に支えてくれた。幸夫はそんな優子が好きになり、もちろん押木貴史としてプロポーズした。
そして結婚後、幸夫が演じる貴史の人生は順風満帆だったと言える。子供たちも巣立って行ったし、今は妻と穏やかな日々を送っている。それでも幸夫はもう一度事故の場所を訪ねてみたくなった。
遺体は眠ったままであり、また死の間際に頼まれたとは言え、友人の人生を勝手に生きてしまった。この罪の意識が膨らみ、どうしようもなくなってきたのだ。
こうして杉村幸夫は、吹き来る風が心地よい渓流へと出掛けてきた。当時と何も変わっていない。かって貴史が落下した現場へと足を踏み入れた幸夫、思わず冷気を一息吸い込んだ。その瞬間のことだった、朽ちかけた墓標が目に入った。
幸夫は歩み寄り、目を凝らして文字を読むと、そこには『押木貴史の夢を繋ぎます。愛を誓い合った七瀬優子より』と刻まれてあった。
幸夫は腰を抜かすほど驚いた。妻の優子が貴史の恋人だったとは。さらに幸夫の秘密、すなわち貴史の身代わりであることを知っていたとは。
それにしても今も夫婦として一緒に暮らしている。それが夢を繋ぐってこと……?
作品名:超短編小説 108物語集(継続中) 作家名:鮎風 遊