超短編小説 108物語集(継続中)
「あなた、いる?」
玄関から女性の声が。
しかし、朝一番の取引中だ。翔平はパソコンの前から離れられない。それにしても滅多に人は訪ねてこないのに、あなたとは、一体誰だろうか?
気にはなったが、「上がって、待っててください」と画面に目を釘付けさせたまま返した。
それに応えて、「いいわよ」と女が言ったような、言わなかったような、それでもスリッパを穿いて、リビングへと向かったようだ。
それから30分は経過しただろうか、翔平は一段落し、女が待つリビングへと入って行った。
しかしだ──女がいない。
どこへ行ったのだろう?
奥を覗いてみると、なんと女は、台所に立って手際よく煮炊きをしているではないか。翔平にとってそれはあまりにも意外で、我が目を疑った。それでも精一杯問い掛ける。
「えっとえっと、どちらさんでしたっけ?」
背後の翔平に気付いた女、振り返りざまにニコリと笑い、さらりと言い放つ。
「あらっ、私よ、妻の百花よ」
妻、妻、妻?
唐突に発せられたこの言葉に、翔平はびっくらこいた。
だいたい翔平は、彼女いない歴、堂々の十五年、色恋に縁のない独身男だ。妻なんて……、信じられな〜い。
動転でオロオロする翔平に、女は声を1オクターブ上げて、実に嬉しそうに、さらに一言。
「再会できて、良かったわ」
翔平は訳がわからない。
「百花さんでしたよね。ところで、その再会って?」
翔平にとって、こんな質問がやっとこさ。
「あなたは勝手に籍まで抜いて、私を置き去りにして、雲隠れしてしまうんだから。探し当てれば、こんな隠遁生活に入っちゃっててさあ。一旦は離れ離れになった私たち夫婦、やっぱり固い絆で結ばれてたってことね、だから再会できたのよ。さっ、もう良いでしょ、あなたの好きな芋の煮っ転がしを今作ってるから」
この女、いや百花が畳み掛けるものだから、取り付く島もない。それでも目一杯、「芋の煮っ転がしって、俺、好きじゃないんだけどなあ」と反発したものの、「ウッソー! 絶対に、あなたの好物よ」と一蹴されてしまう。
こんな百花の強引さに翔平は全身全霊打ち砕かれ、これは成り行きというものなのか、まっえっかと一緒に暮らし始めたのだった。
作品名:超短編小説 108物語集(継続中) 作家名:鮎風 遊