楽園
暗い、暗い、闇───。
雨宮の頭の中にはそれしかなかった。思い出そうにも思い出す場所がない。
シャッターが閉じているように深く重く思い出そうとするたび頭が割れるほど
の頭痛が雨宮を襲った。
過去を思い出せない。それは暫くして恐怖に変わった。
生きていることや言語、自分という存在や名前。そういったものはいとも簡
単に思い出せる。ほんの少し手を伸ばせばあるような距離に自分の過去はある
。しかし幾ら手を伸ばしてもそれに届くことはない。
ふっと息を吐き出す。大きく深呼吸する。背もたれにどかっともたれ掛かり
空の上を走っているこのバスを不思議に思いながらも目を閉じる。
なんだか少し眠い。それは不思議な感覚だった。
母が昔言っていた言葉、バスの車内の懐かしい風景、そういったものは頭の
中に強くこびり付いている。それなのに抽象的な映像やシーンだけが頭に浮か
び、肝心の具体的な過去はどうしても思い出せない。
雨宮は空の上をガタコトと音をたてて走るバスの車内にいることが信じられ
ずにいた。現代の科学はここまで進化していたか?
そこでふと雨宮は運転手の存在が気になった。横にある窓から見える景色は
ゆっくりであるが横に流れていた。このバスは前に進んでいる。
雨宮は少し首を伸ばしバスの車内をもう1度よく見直した。客は一人もおら
ず自分だけが最後尾の椅子に座っている。それは少し不気味な景色だった。
運転席の方を見てみるが、ちょうど運転席のとこに板があるためここからは
運転手がいるのかどうかは分からない。ただ人影は見える。きっといるのだろ
う。このバスが前に進んでいる限り、それは当たり前のことなのだが。
雨宮は目覚めて数分にして、常識を失いかけていた。
自分は何故こんなところにいるのか、何故バスの中にいて、何故空の上を走
っているのか。自分がここにいる全ての謎を運転手に聞こうかどうか悩んでい
た時───車が停車しバスの後ろの扉が音をたてて開いた。乗客だ。