リ・メンバー
Member3 はじめの一歩だよ
ぼくは小さい頃から何をしても上手にできないと感じていた。そしてずっとトンネルの中にいたような気もする。こころから楽しいと思ったこともあまりないし、他の人が楽しそうに笑っているのを見ると、もともと自分とは違うのだと思っていた。
友だちはいた。いつもひとりだけ。クラス替えがあると本当にどきどきした。そしてぼくの心配はいつも当たって、たったひとりの友だちと離れてしまうのだった。でもまた友だちは必ずひとりだけ見つかるのだった。
家の中でも、兄さんも姉さんも明るいし、はきはきしているし、超の付く優等生だったので小さい頃からぼくはだめだ、だめだと言われ続けてきた。ぼくはすまない気持ちでいっぱいだった。でもぼくにはどうにもできなかったのだ。
高校は入学したけれどすぐに行かなくなって、もう4年以上家にいるので、塾に行ってせめて勉強をしなさい、ニートは困る、勉強がいやならアルバイトをしなさい、と毎日のようにずいぶん言われる。
ぼくだっていろいろイヤになるほど考えた。何かを始めれば新しい世界が広がることだってあるだろう。でも、とそこでいつも踏みとどまってしまうのだ。恐怖感だ。世の中そういいことばかりではない。踏み出してみて、もしぼくに合っていない世界だったら、ぼくはどこまでも落ち込むだろう。
それを家族に言っても分かってはもらえなかった。
段々食事もひとりで食べるようになって、家族と会話もしなくなっていった。
こんな八方塞がりみたいな状態だったけれど、こんな状態のぼくに最近、ひとつだけ好きなことがようやく見つかった。
それは絵を描くこと。植物の本やガーデニングの雑誌を見ながら自分の世界を作っているときは何もかも忘れられる時間だ。
このぼくが絵を描くなんてうそみたいだ。図工だって美術だって成績はひどかったし・・・
小学校の先生は写生会のあと全員の絵が壁に貼られると、きまってぼくの絵のことを、
「だれの絵か、わかるなあ。ずば抜けて変わっているから」
と言う。するとみんながはやし立てるのだった。手を抜いているわけじゃないのに、とぼくの劣等感は加速した。
こんなぼくが絵を描くようなったのは、半年くらい前だった。あまりにも時間を持て余して部屋の片づけをしたときだ。小学校のときに買ってもらった新しい画用紙と色鉛筆がクローゼットから出てきたのだ。
ほう、画用紙か、と思って捨てようとしたのだけれど、思い直した。真っ白い紙がすごくきれいで、すごく惹きつけられたのだ。画用紙というのは誰にも邪魔されない空間だから、そこでは何をしてもいいんだ、とぼくは初めて気づいた。もう笑う人もいないし・・・
さて何を描こうと思ったとき、目に入ってきたのは部屋の窓からふと見たうちの小さな庭だった。お母さんがたくさんのプランターを置いている。
お母さんはいつも何かをしていないと気がすまない人なのだ。ガーデニングもそのひとつ。フラワーアレンジメントもするので家の中もあちこちに花が置いてある。
今まであまり意識していなかったけれど、ぼくはこれまでずっと花に囲まれて暮らしていた。
庭の30個近くあるプランターには色とりどりの花が植わっていた。名前なんてわからない。でもあらためてじっと見てみると、花はやはりきれいだ。この花たちはどうやって最高の状態を作り出せるのだろう・・・
それから花のある庭を描くことに没頭するようになった。お母さんの庭園の写真集を見ているとすごくおもしろくて、いろいろなイメージが湧いてくる。下手でいいんだ、と描くうちに段々自分でもマシになっていく気がした。
一日中食事と睡眠の時間以外はひたすら描いていた。家族とは喋らないままだし、テレビやゲームはもともとあまり好きではなかったし、時間はたくさんあった。
朝ジョギングしようと思いついたのは絵を描き始めてから少し経ったころだった。
でも、外に出ることには相当抵抗があった。部屋の中は安全だし、いつもと同じことをしていると安心していられる。それにからだを動かすことは小さいときから苦手なのだ。
何ヶ月も考えてから、それでもぼくは決心した。
ここで一歩踏み出してみることがものすごく大事な気がしたから。
最初は顔もおそらく悲壮感いっぱいで走っていたと思う。でも慣れてくると段々すがすがしさを感じるようになっていった。
ぼくの走るコースの途中に公園がある。その公園ではいつも土日になると決まって掃除している人たちがいた。知ってはいたけれど、ぼくにはとっては朝の風景のひとコマだった。
その人たちの中にいつもぼくに声を掛けてくれる女の人がいた。おはよう!今日も元気そうね!って。
あるときぼくが通りかかると掃除を終えた人たちが公園でお茶を飲んでいた。いつもの女の人が、
「ほらー、あなたも飲んでいってー」
とぼくを呼び止めた。
知らない人たちと一緒にお茶を飲むなんてぼくには考えられないことだけれど呼ばれた瞬間足を止めていた。
いろいろ聞かれたらどうしよう、と思いながら立ち止まったぼくだけれど、心配することはなかった。誰もぼくのことを聞かなかったし、公園の緑の中で飲むお茶は旨かった。
うまい、と思わず口に出して言った。
これをきっかけに、ぼくはジョッギングの帰り、公園の掃除を一緒にするようになり、ラジオ体操までするようになったのだ。こんなことを誰が想像できただろう。家族もまだ知らないと思う。
その仲間はみんなニックネームで呼んでいた。ぼくは、
「何て呼んだらいいの?」
と聞かれて、とっさに
「悟飯」
と答えた。ぼくは『ドラゴンボール』という漫画が大好きだったのだ。 悟飯は主人公の子どもだ。
みんなは、食べるご飯だと思ったらしくて大笑いしていた。食いしん坊なんだな、なんて声も聞こえた。
ぼくに声を掛けてくれた女の人はユリさんと呼ばれていた。
ぼくは毎週土日が楽しみになった。みんなぼくのことをこのぼくのまま受け入れてくれた。どこの何をしている誰ではなくて。
特にユリさんはぼくの言うことをケラケラ笑いながら聞いてくれて、ぼくは家でも学校でもそんな風に話を受け入れてもらったことがないのですごく嬉しかった。
ぼくは生まれて初めて居心地のいい場所を見つけられた。
ぼくはよく自分のことをいじけるような言い方で言ってしまう。するとユリさんがニコニコしながら、
「悟飯は人と違うところをいっぱい持っているよ。うーんと素晴らしいね。人と違うっていうのは最高の贈物なのよ」
と言ってくれた。人と違うところはすべて弱点だと思っていた。でも、 もしかしたらそうではないのかもしれない、と思わせてくれた。
ジョギングと公園掃除がぼくの生活の大事な一部になっていたある日、ユリさんが東京からふるさとに帰ると聞いた。百合さんのふるさとは富士山の麓で、そこで富士山の素晴らしさを伝えるガイドになるのだそうだ。ラジオ体操の会も作るわよ、とぼくたちに夢を語るユリさんは輝いていた。
ユリさんがぼくに、悟飯の夢は何?と聞いた。