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 わたしはもう一度読んだ。そして声に出してもう一度読んだ。
 人生を狂わせてしまったわたしを許してくれたのだ。何度こころの中で許して、と叫んだだろう。わたしの目から涙がボタボタ溢れた。涙が泉のように湧き出てきたのだ。今になってこんなにすてきな手紙がわたしに届くなんてありえないと思った。でもそれは確かにここにある。わたしの手は震えていた。
 カウンセラーが言った、自分との関係が人間関係すべての始まりなんです、という言葉をあらためて思い出した。
 夜中なんてことを忘れて、わたしはお母さんに電話した。
 「手紙、ありがとう。ほんとうにありがたい手紙だった」
 「いままでよく頑張ったね」
 「心配ばかりかけてしまって・・・本当にごめんなさい。次のお休みには帰るからね」
 この4年間わたしは一度も実家に帰らなかったのだった。

 4年前、トムが会社を辞めるよう追い込んだのはわたしだった。そしてトムが辞めてからすぐわたしも退職した。
 トムはわたしの上司だった。
 わたしの上司がトムに代わったのはその1年前。わたしたちの職場は外国人も多く働いているのでみんなニックネームで呼び合う。新しい上司はツトムといった。留学していた頃からニックネームはトムだったというのでわたしたちもトムと呼ぶことになった。
 トムは外資系の会社から移ってきた。
 物腰の柔らかな、穏やかな話し方をする人だった。奥さんはアメリカ人という話も伝わってきた。
 わたしは入社以来ずっと翻訳の部門にいて、仕事には全力投球していたし、自分の仕事に誇りも自信も持っていた。前の上司はわたしに絶大な信頼を置いていてくれて、他の人たちも暗黙のうちにそれを認めていてくれたと思う。
 わたしはトムも同じようにわたしに一目置いてくれるだろうと当然のように思っていた。でも違った。
 同じ職場にわたしより一年後輩の女の子がいた。彼女はどちらかといえばおとなしい感じで、職場でもあまり目立つほうではなかった。わたしは他の女の子たちとは食事に行ったり旅行に行ったりしたけれど、彼女とは仕事以外でつきあうことはなかった。
 そんな彼女を仕事面でトムが高く評価したのだった。わたしを全面的に信頼していた前の上司のようにわたしの意見を取り入れてくれない。大事な決定事項で、トムは彼女に意見を求めたし、デリケートな仕事をわたしではなく彼女に任せた。わたしは自信を失くしていってしまった。
 トムが来てからしばらく経ったときときわたしはトムに自分のことをわかってもらおうと思って、食事に誘ったのだった。わたしはひどく焦っていた。トムは、申し訳ないね、ちょっと先約があって・・・と言った。それならまた改めて声を掛けてみよう、と思ったのに、わたしはその日、トムと後輩の彼女が退社後並んで駅に向かって歩いているのを見て冷静さを失った。
 初めてわたしは敗北感というようなものを味わった気がした。入社以来築いてきたものが音を立てて崩れるように感じた。エゴの塊だった。
わたしは会社の人事宛に無記名の文書を送った。トムと後輩の彼女とのスキャンダルを作り上げて・・・2度も・・・
 彼はそれからしばらくして会社を辞めていった。事実無根を主張したのに会社側が理解してくれなくて異動の話を持ち出されたので、自分から辞表を出したという噂だった。
 そのとき初めてわたしは自分のしたことに気づいたのだ。ほんと、最低の人間。
 罪悪感はとてつもなく大きかった。わたしは自分のことがこころの底から大嫌いになって、人と顔を合わせることができなくなっていた。スキャンダルの出所がわたしらしい、という噂が立った。
 わたしも彼を追うように会社を辞めて実家に戻ったのだ。
 今降り返れば、あのときわたしが真っ暗な闇の中に自ら入ってしまったことがわかる。エゴの塊になってしまったわたしは頭に血が上ったままだった。ほんの少しでも自分を見つめることがあのときできたら、と何度思ったことだろう。
 実家の両親は何も言わないでいてくれた。遊んでいるわけにもいかないのでビル清掃のアルバイトをした。清掃というのは気持ちを落ち着かせてくれる。
 そしてわたしは毎日部屋の窓から富士山を眺めた。富士山は刻々変わるその姿でわたしにいつも元気をくれた。

 1年くらいすると罪悪感はまだ強烈に残っていたけれど、愚かな自分を認めて、この罪悪感を抱えたままでもともかく生きようと思えるようにはなった。
 わたしは再び東京に出た。昔見たテレビドラマの台詞で「人生は何度でもやり直せる」というのがあった。わたしはその台詞に賭けたかった。仕事はなんでもしようと思っていたけれど、英語学校で雇ってもらえることになって本当にありがたいと思った。わたしの特技は英語だけだから。
 わたしは東京で暮らす前にルールを決めた。

 できるだけ安いアパートに住んでできるだけ質素に暮らす。
 お金はできるだけ貯めて、やりたいことが見つかるまで使わない。
 どこかでわたしにできる奉仕活動を定期的にする。
 実家には自分がちゃんとできるまで帰らない。

 下町の築35年のアパートでわたしは新しい生活を始めた。アパートの人たちはこころのやさしい人たちばかりだった。わたしは本当に助けられた。毎日の生活の中に、実は無数の小さな幸せがちりばめられていたのだ。
 笑顔でおはよう、と言ってもらうことがどんなにすてきなことか。ほんの少し立ち話をしてその日にあったことを話したり聞いたり・・・あたりまえの幸せを生まれて初めて知った気がした。こういうことが生きていることなんだと思えた。
 奉仕活動というと大げさだけれど、土曜日と日曜日の朝6時、毎週近くの公園のごみ拾いをした。アパートの近くにある公園はわたしが真っ先に好きになった場所だった。ケヤキとサクラの木があって、子どもたちの遊び場もあって、ベンチが置いてある。散歩に出ておいしいパンを買って、ベンチでのんびり子どもたちを眺めながらパンを食べることも楽しみのひとつだった。子どもたちも、「またここで食べてるの?」なんて話しかけてくる。
 この公園を管理する人はいるけれど、公園のまわりにごみはやっぱりあるのだ。わたしはゴミ袋と軍手を持って毎週出かけた。
 何ヶ月か経つと、おかしいことに、毎週のごみ拾いに段々人が集まってきた。これは思ってもみないことだった。
 この公園でラジオ体操をする人たちがいるのは知っていた。その何人かが早く来て掃除を一緒にするようになったのだ。そして、今度はわたしがつられてラジオ体操をするようになったのだ。小学校の夏休み以来だ。ラジオ体操が新しくなっていたなんてびっくりしてしまった。
 そしてそのうち、ジョギングをしていた若い男の子までわたしたちに参加するようになった。
 いつの間にか年齢もまちまちな男女が7人、毎週顔を合わせることになった。同志というのだろうか、皆なんだかいつもニコニコしていた。
 こんな風に生きてきた4年間だった。
 トムから手紙をもらってから何ヶ月か過ぎた。わたしはずっと考えていて、ひとつの決心をしていた。もうすぐ英語学校の契約更改の日が来る。そうしたら地元に帰って今自分がやりたいことを始めようと思う。
作品名:リ・メンバー 作家名:草木緑