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 自己紹介もすごく緊張したけれど、先生が気さくな感じの人だったのでほっとした。笑いの研究者なのだそうだ。ときには自分でも落語の高座に上がるそうだ。

 はじめはいつまで講座に通えるかと思っていた。でも段々この日が楽しみになったのだ。今までのわたしを知っている人がいないから、緊張する必要がなくてすごく気楽だった。会社の仕事も講座のためにしている感じになってきた。
 集まった人たちと話すようになったのは実習が始まってからだった。
 実習というのはひとりで、あるいはペアになってコントをすること。中にはすごくうまい人もいたけれど、講師が一生懸命励ましてくれたり誉めてくれたりするので失敗しても構わない、と思えた。

 最初は講師の台本を使った。同じ台本なのに演じる人が違うとすごく違う。その人そのものが出るのだからそのままがいいんですよ、と講師が言った。

 初めて人に笑ってもらったときは嬉しくて思わずバンザイをしてしまった。講師が「今の笑顔はよかったね」と言ってくれたのでまたバンザイをした。こんな風に誉められたのって何年ぶりだろう。と思ったら今度はブワーって涙が出てきて止まらなくなってしまった。
 悲しくない涙。こういうのもあったんだ。

 ある日の実習で面白いことをした。ペアを組んで、相手から何を言われてもそのすべてに同じ反応をするというものだった。
 相手をしてくれたのはカハラさんという歯医者さんをしている男の人だ。
 歯医者さんが言った。
 「今、自分が人から言われたくないと思うことはある?」
 「はい、たくさん」
とわたしが言うと、歯医者さんは、
 「それをぼくが怒りながらあなたに言う。それに対して、あなたは何を言われても、ありがとう、としか言わない、というのはどうでしょう?」
と提案した。
 わたしも面白そうだと思ったので、考えられるだけたくさん、言われたくないことを挙げて、歯医者さんに伝えた。
 計画性がない、向上心がない、暗い、覇気がない、ネガティブ、若いのにいろいろなことに興味がなさすぎる、しゃれっ気がなさ過ぎる、堂々としていない、部屋が汚い、食べるときこぼす・・・
 これに加えて、歯医者さんは、歩くのが遅い、とか、バナナの皮をむくのがへた、とかまたいろいろ考えてネタを増やした。
 わたしは、「ありがとう」をどう言おうかと考えた。そして子どもの頃習っていた空手の形を使いながら、済ました顔で応じることにした。
 昔習っていた空手の経験が生きた。空手を習っておいてよかった。

 そして、なんと、わたしたちのペアがみんなの投票で1番に選ばれたのだ。
 この日の夜、すごく大切なことにわたしは気がついた。
 それは、わたしが一切気にしなければ、何を言われても傷ついたりする必要はないのだ、ということだった。
 次の日の朝、いつもの生活が始まったが、わたし自身はいつものわたしではないような気がした。
 いろいろなことに振り回されていたわたしがいた、昨日までは。それがすべてだったのだ。目からウロコ、というのはこれのことだ。
 わたしは気にしない、そう決めた。家族から何を言われようと、誰に何と思われようと、ニコニコ笑っていよう。

 歯医者さんとは実習でそれからも何度もペアを組んだ。わたしと歯医者さんのペアは人気があって、クラスメートも楽しみにしてくれた。年齢差があるのと、雰囲気やテンポが何となく合っているのだろう。すごく不思議な気がする。

 その歯医者さんがあるとき、どんどん楽しそうな顔になってるよ、とわたしに言ってくれた。自分でもそう思う。歯を出してこころから笑えるようになったから。喜びがたくさん見つけられるようになった。それに比べたら家族にあれやこれや言われることなんて、本当に小さなことだった。

 家族から発せられる言葉がこの頃は直接わたしをグサグサ刺さない。 家族はわたしのことが気になって言わずにいられないだけなんだなあ、と思える。わたしは大丈夫だからね、と心の中で返事をする余裕さえできた。

 歯医者さんとのコントで、わたしが歯医者、歯医者さんが患者を演じるものは人気のシリーズになっていた。わたしは無謀な歯医者の役なので、思う存分ありえない歯医者というのを演じられるのが気持ちよかった。
 「この隣の歯もなんとなく気に入らないから抜いちゃいましょう」とか、「犬歯が異常に鋭く尖っていますねえ。もっと尖らせちゃいましょうか。今年は寅年だし・・・」なんて普段は決して言えないことが言えるのだから気持ちがいい。
 講師に「人間を演じるには人間が好きでなくてはいけない。ふたりのコントには人間愛があっていいよ」と言ってもらった。

 お笑い講座が終了して間もなく、わたしは運送会社を辞めた。思いがけず同僚が送別会を開いてくれたので、そこで小話をした。会社でのわたしはずっと地味な口数も少ない女子社員だったので、みんなびっくりしていた。たくさん笑ってもらったら急にみんなと仲良しになれた気がした。

 そしてわたしはその後、念願の旅行会社に就職したのだ。採用通知を受け取ったときは自分でもすぐには信じられなかった。家族はもっとびっくりしていた。
 このところお母さんも妹も前みたいにわたしにあれこれ言わなくなっている。そして、わたしの再就職をすごく喜んでくれた。
 お母さんは、
 「やるときはやるわねえ。やっぱりわたしの子だわ」
ですって。
 まったくもう、言いたい放題だけれど、わたしは一緒に笑っていられる。

 旅行を通して、人と直に楽しく接していきたい。人といることが今はすごく楽しい。
 これからは自分の人生を自分でしっかり開拓していこうと思う。どんなことも信念をもってやっていったら、きっと納得していけるんじゃないかと思っている。たとえうまくいってもいかなくても。
 暗雲たちこめる生活からようやく抜け出せたようだ。でも暗雲というのは実は自分で作り出しているものだった。

 お笑い講座で経験したことはすごかったと思う。自分の思いひとつできっと道を開けるのではないだろうか、と思わせてもらったから。
 ネールアートの講習を受けた友だちは今ネールアーティストになってすごく楽しそうに仕事をしている。今度会ったら小話をしよう。そして、カルチャースクールに目を向けさせてくれてありがとう、と言おう。

 それから歯医者さん。お父さんよりずっと年上だけどわたしの大事な仲間。わたしに声を掛けてくれる限りこれからもずっと一緒にコントをするつもりでいる。本当にすばらしい相方に出会えた。

 そして、家族にも今は感謝している。家族は、わたしがクリアしなくてはいけないことを教えてくれていたのだ。わたしがクリアしたのは、周りに振り回されないで自分をしっかり持って自分を表現していくということ。
 生きるというのはすごいことだと思う。大変だし疲れるし・・・でも生きるってすごく素晴らしい。謙虚に歩いていきたい。
作品名:リ・メンバー 作家名:草木緑