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天つみ空に・其の八~恋月夜~【最終章】

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 そして、伊勢屋では、更に予期せぬ事態が起こりつつあった。かつての女中おみねに主人清五郎の手が付いたのだ。しかも、おみねは早々と清五郎の子を宿し、腹の子は四月(よつき)になる。清五郎は身重のおみねを今戸の寮(別荘のようなもので、普段は寮番がいるだけだ)に移し、時折、そちらを訪れるようにしていた。
 しかし、そのことを伊勢屋で知らぬ者はいない。何しろ、おみねといえば、鈍重で何をするのも遅く、幼い丁稚までもが馬鹿にしていたような娘だったのだ。それがいきなり主の手が付き、更にすぐに懐妊した。今ではおみねは綺麗に化粧もし、着飾っているため、ちょっと見には、あれがあの山猿の化けたような娘かと眼を疑いたくなるような変身ぶりだ。
 清五郎はおみねを愛しているわけでも惚れているわけでもなく、ただ、お逸のいない淋しさと恋しさに身を持て余し、手が付いたというのが実情だが、清五郎とて血の通った人間だ。よもや己れの子を身ごもった女を無下にはできず、やむなく面倒を見ているといったところである。
 その清五郎もまさか、うすのろとさえ囁かれていた馬鹿な女が最初から清五郎を籠絡するつもりで近付いたとは考えてみたこともなかった。お逸の失踪後、おみねは自分から清五郎に接近していった。例えば、夜、清五郎が寝る前、わざと用事はないかと訊ねに寝所まで行ったりした。
 ある夜、酒を呑みたいと言った清五郎に、おみねは命じられたように酒を運んだ。その際、ふと清五郎の視線がおみねのふくよかな胸許や腰に注がれた。一度意識し始めたら、いやが上にも意識はそちらへ向いてしまう。
 清五郎は銚子を掲げ持って酌をするおみねの身体をそれとはなしに眺めた。この着物をはぎ取り、豊満な身体を見てみたい。そう想った刹那、清五郎は、おみねの手を掴んでいた。
 おみねの悲鳴や抵抗がかえって清五郎の欲情を煽った。その抵抗はほんの形だけのもので、普段の彼であれば、おみねの下心も透けて見えたはずなのだが、いかにせん、そのときの彼は暗い情動やお逸に逃げられた失意で冷静に物事を見ることができなかった。
 その夜、清五郎はおみねを抱いた―。それ以降も、清五郎は女が欲しくなると、おみねを抱いた。おみねの懐妊が発覚したのは、それから三ヶ月後のことだった。
 おみねを愛してはいないが、とにもかくにも子を身ごもったとなれば、それなりの待遇を与えてやらねばならない。おみね自身はゆくゆくは生まれた子と共に伊勢屋に戻り、晴れて内儀の座に納まることを望んでいるようだが、清五郎にはおみねを女房にするつもりは毛頭ない。おみねには悪いが、清五郎の意は最初からお逸にあった。清五郎が女房にと望むのはあくまでもお逸であり、伊勢屋の身代を継がせたいのは自分といずれはお逸の間に生まれるであろう子であった。
 もっとも、お逸自身は、伊勢屋のこんな内情など知る由もない。
 お逸は、そのまま物想いに耽り続けた。
 夕刻、伊勢屋から遣いが来て、清五郎の訪れが遅れると告げられた。何でも深川で行われる寄合に出て、それから登楼するのだという。無理にそこまでして来なくても良いのにと思うのは、お逸が清五郎を嫌っているせいだ。
 その日もまた一日、何をするでもなく無為に過ぎた。
 春の陽も隠れると、吉原の町に夜の帳が降りる。夜見世が始まり、往来に俄に人通りが目立ち始める。
 お逸は、そっと部屋の障子窓を開けた。
 この部屋は往来に面しており、二階の窓からは賑やかな町の通りが見渡せる。通りに面した二階の窓枠に頬杖をつき、お逸は虚ろなまなざしを通りへと投げた。
 往来の両脇を薄紅色の花をたっぷりとつけた樹が飾っている。吉原の桜は春、いずこかより運ばれてきて、植えられる。そして、時季が過ぎれば、また引っこ抜かれ、持ち去られるのだ。桜が終われば、今度は菖蒲の見頃になるけれど、それもまた植えられ、抜き取られる運命にある。
 吉原で咲く花は、すべてが紛いものだ。そこで開く夢も恋も何もかもが自然のものではなく、人工的に作られたものだ。花の吉原、江戸でも最大規模を誇る公設の一大歓楽地帯。だが、そこで生きる女たちは己が身を削り、生命を削り、生死と隣り合わせの苛酷な日々を生きている。
 男から男へと身体を開き、慰み物となり、身体を酷使したあまり、病になる女も少なくはない。使い物にならなくなれば、ろくな治療も受けさせては貰えず、儚く散ってゆく。骸は、不浄門と呼ばれる普段は閉ざされている門から跳ね橋を通って運び出されてゆく。
 後は無縁仏として投げ込み寺に投げ入れられるのが宿命であった。
 そんな薄幸な女たちの境涯は、どこか吉原で咲く紛いものの桜に似てはいないか。盛りの時季が終われば、無情に引き抜かれ、捨て去られる、それが娼妓たちのさだめであった。
 それでもなお、桜の花は吉原の夜を華やかに彩る。いや、己れの生命が短いと知っているからこそ、花はこんなにも美しく咲くのか。
 限りある生を生命の限り生き、輝かせようとするのか。
 お逸はゆるゆると視線を動かす。
 墨を溶き流したような漆黒の空に浮かぶのは、わずかに欠けた月。今を盛りと咲き誇る桜花が月光を浴び、雲母(きらら)に光って見える。それは、さながら蒔絵細工に施された螺鈿の花のようにも見えた。
「久方の天つみ空に照る月の 失せむ日にこそ わが恋止まぬ」
 お逸の唇からか細い声が呟きとなって零れ落ちる。小さな呟きは春の夜風に乗り、花びらのように夜空を漂い、儚く溶けて散る。  丸い月が涙で朧に滲む。
 たとえ清五郎に身請けされ、女郎の身分から抜け出しても、結局、あの男の思うがままにされ続ける境遇は何一つ変わらない。
 ここにいれば、清五郎以外の男―顔も名前も知らぬ大勢の男に抱かれねばならないだけ。清五郎に身請けされても、ただ清五郎一人のための女郎になるだけのことだ。
 ここに来る前の暮らしと何ら変わりない、贅沢な鳥かごに閉じ込められた籠の中の鳥にすぎない。男から男へと身体をひらかなければならないのも嫌だったけれど、このまま伊勢屋に戻れば、恐らく、清五郎は今度こそお逸を女房として抱くだろう。
 今夜だって、また一晩中、折檻のごとくの性交を続けるに違いない。考えただけでも、怖ろしさと忌まわしさに身体が竦み、気が狂いそうになる。
 お逸は懐からそっと風船蔓の実を取り出す。手のひらに載せて振ると、小さな茶色い実はカサカサと乾いた音を立てた。
 お逸には、その音が何故か、幼い頃に聞いた乳母の子守歌のような気がした。優しかった乳母は、お逸が七つの春、実家(さと)方に暇を取って帰った。お逸にとっては、それ以降は父仁左衛門がたった一人の大切な人だったのだ。
―良いかい、どんなことがあっても諦めちゃ駄目だよ。絶望したら、そこでおしまいだ。何があっても、生きるんだよ。泣くだけ泣いたら、前を見て笑顔で歩き続けるんだ。
 おしがの科白が今更ながらに耳奥で甦る。