バイバイ(コスモス3)
祐輔が、踵を返して教室へ戻っていく。俺は振り返って階下を覗いたけれど、すでに高橋椿の姿はなかった。諦めて教室へ入ると、掃除を終えてこれから帰るらしい叶野綾香と目があった。化粧をばっちりして、髪を巻いている彼女は、一部の男子の中で人気がある。何の香水なのかわからないけれど、独特な甘い匂いが鼻についた。
「津山くん、今から部活?」
叶野綾香にそう聞かれて、俺は「おう」と返事を返した。
「そっか。頑張ってね。バイバイ」
そう、彼女が軽く手を振った。
「バイバイ」
俺も、軽く手を振った。その、軽く挙げた手をなんとなく見る。
こんなにも簡単な言葉が、彼女の前で出てこないのはなぜなのだろう。
学校へ行くと、いつもは一本のタカやんの机の上のコスモスが、今日は三本活けられていた。コスモスだけでなく、チョコレートなどのお菓子やジュースが、机の上に置かれていた。
「今日が、タカやんが死んで一ヶ月なんだよ」と、祐輔が耳打ちしてくれた。今日で一ヶ月だったのか。俺も何かしようと思ったけれど、ポケットの中にはガムしか入っていない。数個氏か残っていないガムを、チョコレートなどと並べて置いた。
高橋椿は、わいわいとにぎわうタカやんの机には目をくれず、窓の外をいつもの調子でぼーっと眺めている。タカやんの一ヶ月忌であるというにもかかわらず、高橋椿は今日はタカやんの机に興味を示さなかった。相変わらずぼーっと窓の外を見て過ごし、お弁当を相変わらずのスローペースで食べ、ときどき佐々木雅恵らに嫌がらせを受けながらも、やっぱりいつもの調子で気にせず窓の外を眺めていた。
五時間目のロングホームルームの時間に、全校集会が開かれた。それは、タカやんの死を追悼するもので、校庭で行われることになっていた。
英二や祐輔らと教室を出たけれど、校章を付け忘れたことを思い出して、取りに戻った。普段は校章や名札といったものは格好悪いからとはずしているのだけれど、集会などでついていないと後で生徒指導の呼び出しを食らう羽目になる。名札はつけたのだが、校章をつけるのをすっかり忘れていた。
チャイムがあと少しで鳴ってしまう。校舎内の生徒らが、どんどん押し出されるように外へと流れていくその流れに逆らって、階段を駆け上った。クラスの教室がある三階はすでにしんとしていて、さっきまでの騒然とした様子が嘘のようだった。
作品名:バイバイ(コスモス3) 作家名:紅月一花