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天空詠みノ巫女/アガルタの記憶【零~一】

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               ☆

 一時間後――彼らと潜水艇は、帰港途中にある屈斜路丸の甲板上にあった。
 優太は休む間もなく、回収に当たったクルー達と潜水艇のメンテナンスに勤しんでいた。
 そんな彼らの様子を、池上は少し離れた場所から見ていた。嗜好するセブンスターに火を点し、デッキの手擦りに背中を凭れながら、ただぼんやりと見ているだけであった。
「今回はこれで終いかい?」
 その声に振り向くと、湯気の立つマグカップを手にした向井が立っている。
「……そうね。クライアント次第ってこともあるけど……多分、もう無理ね。私はそういう報告書を書くつもり……」
 言うと池上は、先ほどまでいた海域に視線を移した。
「クライアントといえば、おかしな話……。発注元は北方未来開発機構って、役人の天下り先によくありそうな団体なんだけど……」
 池上はそこまで話すと神妙な面持ちになり、向井に近寄り小声になった。
「でも直接依頼に来たのは、カミヤ観光ってリゾート会社の女役員だったのよ……。経産省と開発局の『お墨付き』はあったし、出資者関連かと思ってその時は気にも留めなかったんだけど……。向井君は開発から?」
「ん?……いや、ウチは小笠原興業ってゼネコン経由だな」
「……それって、なんだかおかしくない?」
 池上は急に声を荒げると、周囲の注目を一気に集めた。「痴話喧嘩か?」との声に一瞥をくれると、再び声のトーンを落とす。
「こっちには『ガス田開発の地質調査です』なんて言っておきながら、実際に動いているのはリゾート会社にゼネコンって……なんだか解せない話よね?」
「ウチも下請けだから、あまり詳しいことはわからねぇんだが……」と前置きをしたうえで、向井は自分が知りうる限りの事情と、彼なりの考察を語り始めた。
「今回の『旗振り』に関しちゃ不明な点が多いことは確かだな。まぁ、ウチとしては払うものさえキチンとしてくれれば、どこの仕切りだろうと問題はねぇんだけどさ。ただ、ガス田開発って名目にしろ、なんとか機構って団体にしろ、かなり胡散臭いってことには違いないけどな。これは元請けの担当が口滑らせたのを聞いたんだが……今回はまともな入札すらなかったらしいぜ。これだけの計画に、どこの商社も絡んでこないっていうのも、いくら談合組んでいたにせよ、怪しいにもほどがあるってもんだがな……」
「公共事業を謳った詐欺って線は?」
「それはどうだろうな……。単なる詐欺なら、こんな大事(おおごと)にする必要もないだろうし、現に俺達はこうして現場に入っているんだ。と、いうことはだ、どっかしら予算が出ているってことだと思うぜ。……逆に聞きてぇんだが、実際問題あんな所にガス田なんてできるもんなのかい?」
「現状では、国内のメタン・ハイドレートやシェールガスの正確な分布域や埋蔵量って、良くわかっていないのよ。掘削が始まっているのはごく一部で、まだ間もないし……。学者によっては、現在の使用量換算で百年分とか三百年分なんて言ってる奴がいるけど、どれも憶測の域を出ていないものばかりで……なんにせよ、本格的な調査もまだ始まったばかりなのよ」
 池上は携帯灰皿に煙草を揉み消すと、手擦りに頬杖をつきながら、事の経緯を思い起こしていた。 
「……ここいらは千島の火山帯域だから、掘れば『温泉』くらいは出るんじゃない?」
「まさかこんな海のド真ん中で、温泉宿でもおっ建てようって気なのかね?」
 そう言うと向井は、「ガハハハ」と笑い飛ばした。だがそれとは対照的に、池上は考えれば考えるほど腹が立つ思いがしてならない。
「ただでさえ要の知れない仕事させられて、挙句の果てにあんな物まで出てきたんじゃ、危なっかしくてこれ以上首は突っ込みたくないわね」
 空になった煙草の箱を握り潰すと、それを上着の中へと無造作にねじ込んだ――池上は、あまりにも杜撰でいい加減なこの計画に、安易に乗ってしまった自分にも腹を立てていた。
(そもそも、海洋学者でも地質学者でもない私に、なぜこの話が直接回ってきたの?捜そうと思えば、専門としている者など他にいくらでもいただろうに……)
 疑問は疑念を産み、彼女の脳内を渦巻いていく――池上はこの計画の裏に潜む、なにか陰謀めいたものを感じずにはいられなかった。
「だいたい、私の専門は『魚の養殖』だっつーの……」
 それを聞いた向井は、飲んでいたコーヒーを思わず噴出してしまいそうになった。
「そ、それって、一番の問題点なんじゃねぇのか?」
「別に経歴を詐称した訳じゃないわよ。知ってて頼んできたのは向こうなんだから……特に問題でもないんでしょう?」
 そう言うと真新しい煙草の封を開き、再び白煙をくぐらせた。
「問題は別の所にあるのよ、きっと……。向井君以外、素人に毛が生えたような私らに一体何をさせたかったのか……。この計画には私達には知らされていない、何か別の目的があるのかもしれないわね……」
「なるほどな……。確かにあんなのは二度とゴメンだが、今回きりで終わっちまうと、こっちは『奴』の修理費で足が出ちまうぜ」
 向井の視線の先には、後部デッキに吊り下げられたEX-マリナー5000と、その洗浄作業に精を出す優太の姿があった。
「ほら、まていにやんねぇと錆ついちまうぞ!」
 向井のその声に、優太は手を挙げて応える。
それでも、ウチにとっちゃ得たものはあったかな……そう思う向井の優太を見る目は、どこか優し気であった。
「あの子、まだ若いわよね?新人さん?」
「ああ、俺の甥っ子なんだが、身内なんでつい甘やかしちまう」
「素直そうでいい子じゃない。ウチの連中にも見習って貰いたいものだわ……」
 フンと鼻を鳴らすと、池上はひとり船内へと戻っていく。
「先生はこれからどうするんだい?」
「ん?……そうね……本店(大学)に戻って先生の真似事か……もしくは、噴火湾にでも行ってホタテのお世話ってところかしらね。ああ、でもその前に『娘』に会っておかないと――」
「え?……なに先生、結婚してたのかよ!?」
「なに言ってるのよ、独身に決まってるじゃない。男なんて付き合ったこともないわ」
 向井には、彼女の支離滅裂な言動を理解することはできなかった。
(言ってることがさっぱり分からねぇ。やっぱり大学の先生ってのは、変わった人が多いのかねぇ……。割と美人なのに、ほんともったいねぇ……)
 そんなことを思いつつも、本人を目の前にして決して口には出せない向井であったが、どんな相手であろうと『営業』だけは忘れない男である。
「こっちは来月から一週間ほど内地に入るんだが、その後はなんにも予定が入ってないんだ。先生の方でなんかあったら声掛けてくれや」
 船内へと入っていく池上は、背を向けたまま、手を挙げてそれに応えていた。
 その後姿を見送った向井は、四月の冷たい海風に思わずツナギの襟を立てた。