犬一匹物語 『危機一髪』
この10年の生活、思えばいろんな危機一髪がありました。
あれはこの家に住み出して3年目の頃、奥さんがヨックンに頼んだのです。
「ヨックン、危機一髪を散歩に連れてって」
それで外へ出掛けたのですが、しかし、まあ……どちらかと言えば、僕がヨックンを連れて散歩に出掛けたということでしょうね。
案の定、途中でいじめっ子に会ってしまいまして、ヨックンがやられそう。だけど、そうなる一歩手前に、僕は出来るだけ低い声で、「う~う~」と吠えてやりました。これでいじめっ子が逃げて行き、危機一髪で、ヨックンを助けたのです。
それとか、今から2年ほど前のことでした。年頃になったエッコの帰りが遅い。僕はその時もう庭に出されていまして、少し心配だったので、そこから抜け出し、公園でエッコを待っていたのです。しばらくして、エッコが暗闇の中を帰ってきたのですよ。しかし、背後に怪しい影が。僕はその時とっさに思ったのですよ。「痴漢だ」と。
エッコが危ない。僕は必死になりました。だって、公園で僕を拾ってくれて、今まで可愛がってくれたエッコのことですよ。
さあ一大事。ここはなんとしてでもエッコを助けなければと思い、痴漢目掛けて一目散に突っ走りました。そして牙力(きばぢから)一杯にして……ガブリと。
エッコは、背後に男がいたなんて知らなかったのですよ。突然、そこへ現れた犬がその男に噛み付きました。エッコはその時初めて背後の男が痴漢だと気付いたのです。
「きゃー!」
エッコの驚きと恐怖の悲鳴。痴漢は犬のどう猛さに怖じ気付き、いや、それよりもエッコの派手な声に驚いたのか、噛まれた足を引きずりながらどこかへ逃げて行きました。僕はその逃げる男の背中に向けて、勝利の雄叫びを……「う~、わ~んわん」と吠えてやりました。
「あら、なんでここに……危機一髪が?」
エッコは不思議がっていました。僕は「これが、エッコへのお礼だよ~ん、わんわん」と頷いて、エッコの腕の中へと飛び込んで行ってやったのです。するとエッコは、ぽつりと呟いたのですよ。
「危機一髪の危機一髪で……助かった、わん」
僕はそんなアホな言い草を軽く聞き流し、ただ一言だけ、「くん」と答えてやりました。
この家に住まわせてもらって早10年、こんな類の危機一髪が一杯ありました。僕は僕なりに、その時々でこの家族を守るために頑張ってきたつもりです。しかし、昨日起こった危機一髪だけはホント参りました。それは僕自身の危機一髪でもあったわけです。
作品名:犬一匹物語 『危機一髪』 作家名:鮎風 遊