犬一匹物語 『危機一髪』
それは、この家で暮らし出して1週間経った昼下がりのことでした。奥さんは普段の疲れが出たのか、ソファーで横になり昼寝をしていました。僕はというと、奥さんの足下で、つけっ放しにされたテレビをウトウトしながら観ていたのです。
だけど、そんな時に、なにか変だなあと感じたのですよね。焦げたような臭いがして、それがどんどん強くなってきました。
「これは、ちょっとヤバイぞ」
僕はそう思いました。そしてなにか身の危険を感じ、パピーながらも「キャンキャン」と鳴き続けました。
奥さんは僕の甲高い声に目を覚まし、「あららららっ、どうしましょう。ヤカンが真っ赤で、取っ手が燃え出してるわ!」と、大びっくり。
そうなんですよ、奥さんはお湯を沸かしていたのを忘れ、寝てしまっていたのです。
要は……空だき。今にも壁に引火しそうになっていました。
火事にもなりかねないヤカンの空だき、奥さんは慌ててガスを止めに走りました。そして、濡れたふきんを燻(くすぶ)るヤカンに被せ、無事鎮火させました。
「ワンちゃん、賢いわね。もう一歩で火事になるところだったわ。ありがとう」
奥さんはそう言って、僕を思い切り抱き締めてくれました。
公園で拾われて、お世話になり始めた家、幼いながらも何かお役に立ちたいと思っていた矢先の出来事でした。そしてこういう形で早速感謝されて、僕は嬉しかったです。
だけど残念なことなのですが、その時まだ僕には名前がなくってね、ワンちゃんとしか呼ばれなかったのですよ。これがいささか不満でした。
それで、ちょっと拗(す)ねるように、何も返事せずに横を向いていたのです。そうしたら、奥さんがハッと気付いてくれました。
「ゴメンね、ワンちゃん、そういえば、まだ名前がなかったわよね。そうね、どんな名前が良いかしら?」
それからです、しばらく考えて、「良い名前があったわ」と奥さんがじらしてきました。「わんわん」と僕が催促すると、おもむろに発表がありました。
それは……「危機一髪よ」……だって!
作品名:犬一匹物語 『危機一髪』 作家名:鮎風 遊