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仙境綴り(せんきょうつづり)2~梨羅の姫君~

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其の二
 美芳(メイ・ファン)は小さな息を吐き出した。彼女を取り囲む宮殿の壁は相変わらず美しく光り輝き、辺り一帯を満たす張りつめた静寂は荘厳さすら漂わせる。
病の床にある母のためにどんな難病をも治すという幻の妙薬宝寿草(ほうじゅそう)を採りにきた美芳は、昆論山脈(コンロンさんみゃく)の頂近く、山深い仙境に迷い込んだ。そこでめぐり逢った美しき仙王は美芳に彼を泣かせるか、または唸らせるような面白い話を三つせよと迫った。見事その約束が果たせれば、仙王は美芳を人界へと無事帰してくれるという。一つめの話に仙王は殊の外満足した様子で、涙さえ浮かべていた。
 だが、まだ更に二つの話をしなければならない。美芳は気を緩めてはいられなかった。ふもとの小さな村では、母が美芳の帰りを待ち侘びているのだ。母のためにも宝寿草を持って帰らなければならない。
 仙界のありとあらゆる仙人を統べるという仙界の王―仙王が静かな眼差しで美芳をその透き通った輝ける玉座から眺め下ろしている。その視線を逸らすことなく真っすぐに受け止め、美芳は最初の言葉を口に乗せる。
「それでは、二つめのおをさせて頂きましょう。時代は流れ、梨羅(りら)と猛訓(もうくん)の悲劇が起こりしより、更に幾ばくかの刻(とき)を経た頃の世のことにございます。羅の国の国王にたいそう美しき姫君がおいでになられました。国王には三人のお后との間に数人の姫君がおいでになられましたが、末のその姫君の類稀なる美しさと心映えを愛され、とりわけ掌中の玉と愛でておいでになりました。そんなある日、海を隔てたはるか遠くの大国超(ちょう)から遣いが寄越されました。超と羅はいにしえより同盟を結ぶ関係にありましたが、この度、新たな和平の証(あかし)として是非姻戚関係を結びたいと申し出てきたのです。もし国王の姫君の一人を迎えることが叶えば、超は今後百年間は一切羅には攻め込まないと申します。残念なことに、当時の羅は同盟国とは申せ、その国力は超と並ぶべくもなく、盟約の証として末の姫君は海を越えた遠き異民族の国へとはるばる嫁いでゆかれることになりました。国王は愛娘を泣く泣く手放されたのです」
 美芳がここでひと息をつくと、仙王は憂いを秘めた眼差しをゆるりと動かした。しばらくあらぬ方を見つめていたかと思うと、おもむろに美芳を見つめる。
「羅の国の姫君―、哀れなことだな」
 美芳は淡く微笑んだ。
「この話には、まだまだ先がございますわ。果たして、仙王様のご想像なさるように、姫君は哀しいご生涯を彼(か)の国で過ごされたのでしょうか。どうかこれより後の私の話をお聞き下さいませ」
 美芳はうっすらとした微笑みを浮かべたまま、語り始めた。麗しき少女の口から再び、はるけきいにしえの国の物語が紡ぎ出される。
第二話―梨羅の姫君―
 羅の国王は愛娘のために財を惜しむことなく美々しい花嫁支度を整えた。贅を尽くした花嫁衣装は、やわらかな光沢のある絹織物を使い方々に珍しい宝石をあしらい、金糸銀糸で精緻な刺繍が縫い込まれている。調度品も当代一流の細工師が腕によりをかけた名品ばかりであった。その贅の限りをこらした数々の品は、当時の羅の高い文化を誇らしげに象徴するかのようでもあった。
 その中には砂漠を行き来する隊商によってもたらされた異国の珍しき品々も含まれ、何と生きた鳥までいた。極楽鳥(ごくらくちょう)と呼ばれるその鳥は体は燃え立つようなオレンジ色と海のような深い蒼、翼は翠緑色と実に鮮やかな外見を持っていた。
 まるで炎のように際立った色合いから別名「火鳥(ひどり)」とも呼ばれ、梨羅の花と同じく、五十年に一度だけ啼く珍しい鳥だと珍重されている。実際に五十年もの間啼かないわけではないのだろうが、それほど滅多と啼かない鳥なのだ。彼(か)の珍しき鳥は、羅の姫君の入輿の品々と共に海を渡り、はるかな異国へともたらされたのである。
 羅の末の姫君は名を桃華(とうか)といった。その名のごとく、桃の花のように愛らしく可憐な姫君であった。桃華の美しさや才知はつとに国の外にも知られており、父王はまだ十七歳の娘を三十七歳の皇帝に嫁がせるのは不憫でならなかった。
 皇帝の后になるとはいえ、桃華は和平の約束の証として迎えられるのだ。いわば、内実は体の良い人質である。桃華の父である羅の国王は四十を幾つか過ぎたばかりであったから、現実として桃華と良人たる皇帝は親子ほども歳が違うことになる。また、超の皇帝李彩鳳(りさいほう)は若い頃に一度皇后を迎え、数年後に喪っている。いわば、寡夫であった。だが、超と羅の国力の違いを思えば、羅王は超の申し出に逆らうことなど、およそ考えられないのであった。
 数日がかりの旅を終えた桃華が超国に到着した翌日、超の宮殿では皇帝と新しい皇后との華燭が盛大に執り行われた。正殿での厳かな婚儀の後は、居並ぶ重臣たちの前での祝宴に臨まねばならない。すべての行事を終え、深夜になった時、十七歳の初々しい花嫁はすっかり疲れ果てていた。
 宴が引けた後、桃華は年輩の女官にしんと静まり返った後宮の、更に奥まった皇帝の寝室に案内された。昼間は艶やかな黒髪を高々と結い上げられ、数々のきらびやかな宝石をあしらった髪飾りで飾りたてられていた。今はそれらも取り払われ、豊かな黒髪を惜しげもなく解き流している。豪華な花嫁衣装は脱がされ、純白の寝衣一枚きりの頼りなげな姿で桃華は大きな寝台にぽつんと腰掛けていた。
 いかなることが逢っても、皇帝に逆らってはならない―、桃華は羅から共についてきた女官にくどいほど言い聞かされている。
―たとえどのようなことがありましても、すべて皇帝陛下の御心のままになさいますように。どんなことにも、けして嫌だと申し上げてはなりません。
 女官の台詞を今また思い出しながら、桃華はともすれば震えそうになる身体を両手でギュッと抱きしめる。皇帝の私邸でもある後宮の中でも最奧部にあるこの寝室は、真夜中でもあるせいか、物音一つ聞こえない。その静寂が余計に桃華の恐怖を増す。
 やがて、部屋の両開きの扉がギイーと軋んだ音を立てて開いた。桃華はその音にピクリと小さな身体を震わせた。桃華は蹲踞(そんきょ)の姿勢で、床にひざまずいて良人たる皇帝を迎え入れる。
「長の船旅に続き、儀式の数々はさぞ御身にはこたえたであろう」
 ふいに頭上から温かな声が降ってきて、桃華は思わず伏せていた顔を上げた。
 聞いていた歳よりは若々しい、精悍な風貌の男が笑顔で自分を見下ろしていた。超といえば十代以上も続いた王朝で、大国の皇帝は玉座に座っているだけの優男なのかと思って
いたけれど、眼前の男は上背もあり、まるで武人のように逞しかった。やはり、桃華と同じような白一色の寝間着姿である。
 初夏とはいえ、夜更けともなれば、夜気にもひんやりとしたものが混じる。元々、この超は南国の羅とは異なり、一年を通して気温がさほど上がらない。冬の厳しさも殊の外と聞く。皇帝を見上げた桃華の瞳に一瞬、怯えの色が走った。それに気づいているのかいないのか、皇帝は唐突に桃華の華奢な身体を抱き上げた。あまりに突然のことに、桃華は身体を強ばらせる。
「おお、身体がこのように冷えている」