人情日常大活劇『浪漫』
最後のシーン、二人が自転車に乗ったまま、海へと沈んでいくシーンは、そこだけ見れば意味がわからないものに違いなかった。けれど、僕の心には、どうしようもない悲しみが浮かんでいた。そしてそんな悲しみが、得も知れぬ充実感を与えてくれた。
僕は、初めて作品というものに、虚構で作られた偽りの世界に、感動を覚えていたのだ。
映像が終わっても、しばらくは何もできなかった。それだけ力のある作品だったのだ。そして、何も考えられないまま、僕は横になり、布団の中ですぐに眠りに落ちた。
眠る直前、なぜか涼子さんの顔が、頭に浮かんだ。
* * *
「ダメ―! 今のカット、もう一度行くよー!」
普段と比べてもなお力強い怒号が、撮影現場に響く。声の元は、僕がよく知ってる女性。けれど、普段の飄々とした態度からは、とても今の姿は想像できない。
彼女は現場の中をあちこち歩きまわり、たくさんの人に声をかけて回る。それは励ましであったり、役者への注文であったり、様々だ。笑顔だったかと思えば真顔になり、かと思えば悲しそうな顔もする。けれど、その心根は真剣そのものだった。
ここは繁華街の公園。朝、蓮さんに連れられて『浪漫』を出た僕は、ここで蓮さんの仲間という人達と出会った。簡単なあいさつを済ませたあとは、レフ板と呼ばれるアルミ質な板を片手に、ひたすらに右往左往である。
なんでも、カメラに入る光の量を調整するためのものらしいのだが、素人である僕にはよくわからない。
だが、集まった人々は当然のように、それぞれの仕事へと没頭していた。
カメラを操る人や、そのカメラにつながった小型モニターを凝視する人、荷物持ちをする人もいれば、演技をする役者らしき人々もいた。
蓮さんは彼らの間を駆け回り、それぞれに指示を出しているのだ。彼らは決して蓮さんと同じような年齢ばかりではない。中にはかなり高齢の人すらいた。だが、彼らは文句ひとつ言わず指示を聞いていた。誰もかれもが蓮さんと親しいらしく、信頼をおいているのが、遠目にもよくわかる。どうやら、蓮さんは彼らの中心人物であるらしい。
普段から元気のいい彼女ではあるが、今日の彼女はなんというか、一段と輝いていた。
「よおし、オッケイ! んじゃ、十分休憩しよっか!」
何度も撮り直したらしい場面が終わったのか、休みを提案する蓮さん。仕事に従事していた人達は、息を吐き出し、思い思いの休みを取り始める。
そうしていると、僕の頬になにやらひんやりとした、固い感触があった。
「や、お疲れさん。大丈夫?」
そうして声をかけてきたのは、二十代前半くらいの女性。タンクトップにカーゴパンツという、動きやすさを重視した格好だ。現代では珍しい服装でもある。
髪を後ろでくくり上げたその女性は、携帯式の水筒を揺らしている。
「はぁ、なんとか」
「そっか。ま、一息入れようよ」
そう言って彼女は、水筒からよく冷えているであろう麦茶をコップに注ぎ、僕の方へと突き出してくる。僕はお礼を言って、そのコップを受け取り、一息に飲み干す。喉を冷えた感覚が降りて行く。実に美味い。
「君はあれかな、蓮の友達?」
「まぁ、そんなとこです。僕が働いてる飲み屋の常連なんです、蓮さん」
「あーあれか、『浪漫』だっけ?」
「そうです。御存知なんですか?」
女性はからからと笑って、芝生に座り込んだ。隣をぽんぽんと叩き、「座りなよ」と促してくる。特に逆らう理由もない。僕もその女性の隣に座り込んだ。
「ちょくちょくあいつに連れてってもらったよ。酒も料理もおいしいし、いいとこだよね」
「はぁ」
普段働いているとこを褒められるのは、悪い気がすることじゃない。しかし、こそばゆいものも感じるな。
「君はあれかい? 映画が好きでこの企画参加したの?」
「いや、そういうわけじゃ。いろいろお金が必要で、仕事を探してたら蓮さんに誘われたんです」
「そうなんだ。結構大変じゃない? ここ。好きでもないときついでしょ」
「別に、嫌いってわけじゃないです。身体を動かすのは好きだし、それに 」
「それに?」
「映画のことはよくわかりませんけど、蓮さんに見ておいてって言われて見た映画は、よかったです」
「ああ、参考試写やったんだ、蓮のやつ。何見たの?」
僕は、昨日見た映画の内容をかいつまんで話す。思わず、熱を込めた話し方になってしまったかもしれない。
「あれ見たんだ。あれがわかるってのは、君、けっこうすごいよ」
「そうなんですか?」
「かなり古い映画だしねー、共感できる人とできない人がはっきりわかれるタイプだし。ま、そんな人だから、蓮は誘ったんだろうけどね」
そう言った彼女は視線を動かした。視線の先では、蓮さんが休憩中にも関わらず、シナリオを片手に、役者の人達と話しこんでいる。どうやら次のシーンの演技について説明しているようだ。
「あの、蓮さんってどういう人なんですか?」
ふと思いついた疑問を口にした。しゃべったあと、少し後悔する。
「ん? どういうって?」
「いや、その……僕、誘われて仕事してるだけで、蓮さんのことあんまり知らなかったんです。けど、ああやってすごく真剣に何かをしてるの見るの、初めてで。なんとなく気になったっていうか……」
彼女は、少し黙る。しゃべってもいいものかどうか、思案しているような顔だ。しばらく、芝生の香りが場を満たす。
「んー……あんまり言いふらすのもよくないんだけどね。言えるとしたら、あいつは、ホントに映画が好きなやつだってことかな」
「映画が、好き」
「うん、ホントに。たぶん、三度の飯より、どんな宴会より好きなんじゃないかな。それどころか、映画がなかったら生きていけないってくらい。映画は、もうあいつの人生そのものなんじゃないかな」
「人生そのもの、ですか……」
人生が、何か一つのことのためにある。それがなければ、死んでいるのも同然。
それは、すごいことなのかもしれないが。
どこか、悲しいことのようにも、僕は感じた。
「ま、今の時代、映画ってもんがどんだけやっていけるかってのは疑問だけどさ。昔は映画館、なんてものがあって、そこでは年中映画を上映してたらしいけど、今じゃもう無くなってるし」
「それでも、撮り続けてるんですね、蓮さん」
「うん。たぶん、一生撮り続けるんじゃないかな。どれだけ見てくれる人が少なくても。たぶん最後の一人になるまで」
そういう彼女も、瞳には輝きがあったように思う。きっと、蓮さんと同じくらい、映画というものを愛しているのだろう。
いや、彼女だけじゃない。この場にいる人は、きっとだれもがそうなのだろう。
衰退して、活気を失っている時代でも、ある所にはあるんだな。
希望、ってやつは。
「ちょっとそこの二人―! 続きやるよー!」
蓮さんの声が飛んでくる。話に夢中で気付かなかったが、どうやら休憩は終わりのようだ。
「っと、いけないいけない。んじゃ行こうか」
「はい」
そう言って、僕と彼女は戻った。夢と虚構を作り続ける場所へと。
* * *
「おっし! 今日のところはこれで終わり! 皆お疲れさまー!」
作品名:人情日常大活劇『浪漫』 作家名:壱の人