人情日常大活劇『浪漫』
涼子さんほどではないが、十分に長い黒髪を頭の後ろでまとめ、毛先は四方八方に飛び散っている。切れ長でたれ気味、しかし眼力は十分すぎるほどに強い目をして、僕を不思議そうに見つめていた。
「いや、別に。ちょっと仕事を探してて」
「仕事? 『浪漫』で働いてるじゃん、あんた」
「それだけじゃ金がたまらないもので。誰かさんと毎日飲み明かしてるもんでね」
嫌みたっぷりに言ってやった。たまにはこの人も落ち込んでも罰は当たらないだろう。この程度なら、神様はそこまで狭量な真似は見せないだろうし。
まぁ僕は無神論者だけどね。
「あっはっは! 確かに、お姉さんと毎日ただれた日々を送ってるもんねえ! そりゃ金もなくなるか!」
「……卑猥な表現はよしてください」
まったく応えてなかった。この人、笑顔以外の表情をどこかに置き忘れたんじゃなかろうか。
そんな僕の心情を読み取ったのか、ふと真面目な顔になる蓮さん。
「けどなんでお金がいるの? 別に今でも生活はできてるじゃん」
「……いつまでもお世話になるわけには、いかないでしょう」
「そお? いーじゃん、も少し『浪漫』に住んでなよ。別にどこかで女が待ってるんだーってわけでもないでしょ」
「……まぁ、それは」
女、ね。確かに僕の帰りを待つような女性はいない。
なにしろ、僕の居場所をなくしたのは、あの人達なんだから。
「けど、やっぱり、いつまでもあそこにいるつもりもありませんから」
「ふーん。ならさ、あたしの仕事、手伝ってみる?」
「え?」
仕事を手伝う? 蓮さんの?
そう言えば、影朗さんもそうだが、この人が何をやって生活しているのか、僕はまったく知らない。というか、一カ月たらず(ほぼ強制的に)いっしょに酒を飲んだだけの仲なのだ。僕はその程度でその人のことを何か知っていると言えるほどの自信家でもなければ、占い師でも読心術師でもない。
「仕事、紹介してくれるんですか?」
「紹介っていうか、純粋にあたしの手伝い。ちょうど男手が一人必要でさ、とりあえず一日だけでいいし。報酬ははずむよ?」
ふむ。考えものだな。
僕が知る限り、蓮さんはただの大酒飲みで、宴会好きな女性。というか、むしろ女の子である。
直接聞いたわけではないが、極度な童顔でもない限り、僕とそう歳も変わらないだろう。初対面からその印象は変わっていない。そんなまだ年端もいかない女の子が、人に紹介できるような仕事をやっているのだろうか。
だとすれば、おそらく……
「水商売とか、そんなのですか?」
「ちっちっち、そんな男の慰み物になるような商売はごめんだね。もっとくりえーてぃぶな仕事よ、おほほほ」
英語の発音がいやに悪いのは、まぁ大陸生まれ故と言ったところか。
あっちの言語、あるいは教育が今どうなってるのかは知らないが、まぁあそこも戦争じゃ勝ち組の一つだったはず。この国より悪いってことはないんだろう。となれば、単に言語の種類の問題なのか、それとも蓮さん個人の問題か。まぁ、ここでそんなことはどうでもいい。
「報酬って、どのくらいです?」
「うーんとねぇ……」
そこで蓮さんが答えたのは、あり得ないほどとまでは行かなくても、未成年が稼ぐには十分すぎる価格だった。
「そんなに?」
「払いのいいお客さんがついててね、どんなご時世でも、金ってのはあるところにはあるってことよ」
ふむ……何をするのかは知らないが、犯罪ではないのだろう……たぶん。だとすれば、これはおいしい。とりあえずの軍資金としても、悪い話ではない。
「うーん……じゃ、やります」
「ホント? よっしゃ、決まりね」
パチン、と指を鳴らす蓮さん。なんとなくだが、この人は心の底から人生を楽しんでいる気がする。本当に、なんとなくだが。
「でも、何をするんですか?」
「んー、まぁその日のお楽しみってことね。んじゃいつにしよっかねえ。大和、明日は空いてる?」
「『浪漫』は夜からですから、まぁ昼のうちなら。仕込みは朝やっとけばなんとかなりますし」
「じゃ、明日決行ね。手ぶらでいいわ。明日の朝、いっしょに出ましょ」
「はい」
と、こうして。
僕は臨時のアルバイトとして、蓮さんを手伝うことになった。
冒頭で言ったことの繰り返しになってしまうが、やはりここでも言っておこう。
やめておけばよかった。
* * *
「ん、いいよ、大和……」
「れ、蓮さん」
「そのまま、そこ、そこに入れて……」
「こ、ここですか?」
「ん! いいよ、そのままそのまま……あん、そんなとこ触っちゃだめ……」
「って、卑猥な声出さないでください!」
いろいろ誤解を招く! いろんな意味で!
「何よ、面白みのないやつ。まーいいわ、次、このコードね」
そう言われて僕は、渡されたコードの接続ジャックを小型液晶装置につなぐ。こんな前時代の遺物、よく残ってたもんだ。かなり高価なはずだし、電気だって何もせずには入らないはずなのに……。
「OK! よーし、これで仕事ができるわ! いい映像(え)撮るよー!」
さて、ここがどこで、僕らが何をしていて、どうしてこんな状況になったかという説明をするためには、少し時間をさかのぼる必要がある。具体的には、今朝ぐらいまで。
* * *
「お涼ちゃーん、今日の昼、大和借りていい?」
蓮さんの仕事を手伝う約束を交わした翌日。例によって昨夜はまた宴会さわぎだったのだが、運よく僕はその酒乱の場を逃れ、ゆっくりと睡眠をとった。すっきりと目覚めた僕は、気持ちのいい朝を満喫しながら『浪漫』の仕込みをしていたのだが、そこにタンクトップに短パンというラフな格好をした蓮さんが現われたのだ。
「んー、いいけど、何に使うの?」
……物か何かだと思われてるのかな、僕。まぁそんなことはいいとして。
「にゃ、今日のあたしの仕事、大和に手伝ってもらうって、昨日約束してたんだよ」
「そうなのか? 大和」
「はい。仕込みは朝のうちにしときますんで」
「ふむ……」
なにやら思案顔の涼子さん。値踏みでもしてるかのような按配だ。
「まぁいいだろ。夜には返せよ」
「りょーかい! んじゃ大和、仕込みが終わったら出かけるよ!」
「はい。でも、どこに行くんですか?」
「んふふ、行ってのお楽しみだよん」
口を猫風にしてほくそ笑む蓮さんだった。ホントに、どこで何をやるんだろうか。何やら嫌な予感も結構してきたな……。前にも言ったが、この手の予感は外れたことがないだけに、実に不吉だ。
「ほれ大和、蓮とのデートの前に、手ェ動かせ」
「は、はい」
涼子さんに叱責され、手が止まっていたことに気付く。っていうか、デートちゃいますがな。
結果から言っても、それは決して逢引きなどではなかった。むしろ、道連れだったのだ。
太陽が最も空高く登るころ、僕と蓮さんは『浪漫』を出発し、最寄り駅から汽車で移動していた。切符の金額から考えて、大分都心の方へ行くようだったのだが、僕は未だに行き先を聞かされていない。
ただ、それよりも気になることがあったので、そっちを先に尋ねることにした。
「あの、蓮さん」
「うん?」
「これ、なんなんですか?」
作品名:人情日常大活劇『浪漫』 作家名:壱の人