人情日常大活劇『浪漫』
死屍累々、という比喩表現がよく合う。ただし、この間『浪漫』を襲った男達どころではなく、事態は深刻だったが。
爆破テロの首謀者はもう去ったようだが、その傷跡が街のあちらこちらに残っていた。がれきの山からは煙が上がり、いまだに火が盛り続けている。その合間合間にいる人々は傷つき、倒れ、あるいは恐怖と混乱で頭を抱えていた。
「涼子さん……」
「ああ、とにかく救助だ。動ける人間をかき集めるぞ」
事細かに考えを伝えるまでもなく、以心伝心した というかこの状況だ。まだ動ける僕らのやることは、議論を挟むまでもなく決まっている。
膝に鞭うって立ち上がる。ずきりと痛むが、動けないほどじゃない。ならば、今は動くべきだ。僕らは走り出し、救助活動を開始した。
涼子さんの指揮の許、動ける人間はすべて動いた。意外なことに、まるでずっと昔からしていたように、涼子さんの指揮能力は高かった。人々も、混乱の中指揮をしてくれる涼子さんには、思わず従ったのだろう。がれきを運び、傷ついた人々を運び出し。ひとしきりできうる限りの救助を終え、救助隊が駆け付けるころには、夕陽が顔を覗かせていた。
気付けば身体中が汗でまみれている。そんなことを気にする余裕など、まるでなかった。
「一息つこう、大和」
涼子さんもまた、額に汗が浮かび、服は肌に張り付いていた。その手には水の入ったビン。僕らは比較的安全ながれきの上に腰をおろし、ビンに口をつけた。
「とりあえず、だな」
「ええ……」
動くだけ動いたためだろうか。頭の中に雑念が浮かぶ。奴らは、いまだにやめていなかった。たかが二カ月足らずで、何かが動くということに期待していたわけではない。けれど、それでも落胆を感じずにはいられない。
もっとも、僕は逃げ出しただけだ。もとの場所での変化を期待するのは、虫が良すぎかもしれないが。
「ちょっと、君達」
うなだれている僕の頭の上から、声がする。目線を上げればそこにいたのは、救護服に身を包んだ、がたいのいい男性。一目で救助隊の人間だとわかった。
「どうもありがとう。君達のおかげで、大勢の人が救われました」
「……いえ」
礼を言われることなどなにもしていない。僕は、最低限のことすらできていないのだ。この程度では、罪滅ぼしにもなりはしない。
「特にそちらのあなた。見事な手際でした」
「大したこっちゃないさ。似たようなことをやったことがあってね。昔取った杵柄ってとこだよ」
「ご謙遜を。見ず知らずの人を相手に、あれほど見事に陣頭指揮をとれるのは大したものですよ。何か、特別な仕事に就いていらっしゃったのですか?」
「別に 」
「特別もいいところだろう」
別の方から、野太い声がする。視線を向ければ、そこにいたのはスーツ姿の男。見覚えがある。爆破テロの直前、演説を打っていた政治家だった。
「軍事だろうと政治だろうと、指揮において君にかなう人間は、そういないはずだ。それだけの訓練を受けてきているだろう? 菱石涼子君」
「……お久しぶりですね、先生」
……?
ひげ面の政治家を見据える涼子さんの目から、光彩が薄れる。いつもうっすらと浮かべている微笑が消え、真顔へとなる。まるで、いつかは来るとわかっていた日が来たような、もはやこれまでかと観念したような そんな、悲しい覚悟を決めたような、表情だった。
「どこに隠れ住んでいたのかは知らないが やはり、君の人徳は隠せないな」
「そんないいものでもないですよ。今はしがない酒場の女亭主です」
「そうか。だが、事態は君をしがない酒場にのさばらせておいてはくれない。この騒ぎを見ただろう。国民の鬱憤は限度を迎えている。かつて、君にお願いしたことを、今一度お願いするよ」
男はそういうと、膝を折った。大地に膝をつけ、手を地面におき、頭を下げる。
「頼む──いや、お願い致します。どうかこの現状を、この国を、救ってください。菱石涼子──第二皇女様」
* * *
「ま、こんな暮らしが、いつまでもできると思ってたわけじゃないんだけどね──予想していたよりは、少し早かったかな」
涼子さんは、果実酒の入ったグラスを傾ける。中の氷がカラン、と快い音を奏でた。
「気に入ってたんだけどねえ、この暮らし。自由気ままで、毎日宴会の世話をして。ここに来るやつらも、最初は鬱憤の溜まった面ぁしてんだけど、酒を飲めば陽気になる。そんなやつらを眺めてるのが、私は好きだったのさ」
『浪漫』の店部分。いつもなら酒宴でにぎわう場所も、臨時休業の看板が店先にかけられ、静けさが場を支配している。
あの後、政治家は夜に使いを寄こすと言って去っていった。話はもう通っているはずだ、とも言い残していた。
そう、あの──涼子さんが、この国の王室の人間であるという、驚くべき事実を述べた後で。
「プリンセスって立場も、まぁそりゃ、大切なのは理解してたんだけどさ。なにせ国がこんな状態だ。救うとなれば、よりでかい国との合併しかないのは見えてたし、そうするためには政略結婚でもなんでもしなけりゃいけない。第一皇女である姉上には、世継ぎを産む使命もある。そうなれば当然、御鉢が回ってくるのは私ってことさ」
巨大国家、合衆国との合併。それは確かに、この国に残った最後の希望だろう。民族としての歴史も矜持もかなぐり捨ててでも、生き残ることだけは可能となる。そのためには、相手国、特に増強した軍部のトップへの貢物──つまりは王室からの政略結婚が必要になる。
そしてその事実は、重婚を認めている合衆国のトップ、その御曹司に対しての慰みもの。何番目かとしての、妻となることを、示していた。
「この店──『浪漫』は、そうなる前にあたしが望んだ最後のわがままだったのさ。嫁げばプリンセスとしての人生しか残らないからね。その前に、町娘としての人生を歩んでみたい。人々の暮らしの中から、この国を見てみたい──っていうね。実際、楽しかったよ。けどもう、時間だわね」
誰も知らなかった、隠れていた、涼子さんの過去。
合気柔術などの格闘技から帝王学、軍事指揮から政治、経営までの様々な手蓮手管 言い換えれば、「人の上に立つもの」としての器量を身につけていたこと。私塾を開いて、ささやかながらも国のための活動を続けていたこと。すべてが一本の糸のようにつながる。しかし。
「昼会った先生もそうだけど、政治家の大半は合併案に賛同してる。過激派なんかを収めるためにも、これ以上引き延ばすことはできない。今夜にも、国家間での秘密会合が持たれるだろうさ。今更、皇女個人の思惑なんてもので、流れを動かすことなんかできやしない」
淡々と、他人と状況によって決定された、己の未来を語る涼子さんは、しかし。
達観の影に、悲しみが見え隠れしているように、僕には思えた。
「そんなわけだ。この店は大和にやるよ。上の下宿もな。あんた一人できついなら、誰かを雇えばいい。私は──もう、行かなきゃいけないからね」
「僕は」
ここまでの間、ずっと沈黙を保ってきた。しかし、それでもここは口を開く。主語は自分。どうしても、話さなければならないことがあったから。話さずにはいられないことがあったから。
「涼子さん、僕は」
作品名:人情日常大活劇『浪漫』 作家名:壱の人