人情日常大活劇『浪漫』
「い、いや、お嬢さま。ちょっと待ってくだ」
「問答無用だ! 死にさらせえええええええ!」
そこからの時間は、ほんの数瞬だったと思う。涼子さんは、地面を縮めたかのようなスピードで男たちに近づき、つかみかかる。そしてその手に触れるや否や、男達が宙を舞う。ひたすらにその繰り返しだった。
あまりと言えばあまりの光景に、僕は絶句するしかない。ただ、怒気であふれ、暴漢達に、彼らの内包するそれを超える暴力をふるい続ける涼子さんは、それでもなお。
美しかった。
「お嬢様……我々にも、立場というものが」
「やかましい! 帰って主人に伝えな! 来るんなら、周りの人間を巻き込むな! 直接てめえが来いとな!」
死屍累々という言葉がふさわしいほどに、積みに積みあがった男たち。『浪漫』の店先に放り出された男たちは、自分達の身体でできた山を崩し、お互いに肩を貸しながら、夜の街へと去っていった。
「さすがお涼さんですな。私が手を貸すまでもないと思い、だまっておりましたが」
「……つーか、どこにいたんですか、あんた」
ひょっこりと、店の中から顔を出した影朗さん。夕方の神妙さはどこに行った。
ジト目で影朗さんを睨んでいると、額にひんやりとした感触。視線を正面に戻すと、涼子さんの顔が間近にあった。
「りょ、涼子さん!?」
完全な不意打ち。顔が一気に紅潮していくのがわかる。うわやばい、無表情が貫けそうにない。
「悪かったね、大和」
「え?」
「怪我。ちゃんと治療するから、中へ入りな」
やさしい言葉が身にしみて、返す言葉もなかった。涼子さんにつられて、いまだ鳴りやまない胸を抑えながら、僕も入口をくぐった。
店の中は、かなりのカオスである。僕もそれなりに暴れたが、何より涼子さんの投げ飛ばしが功を奏したというか。椅子は倒れ、机は傾き、食器は割れ、窓ガラスにはあちこちヒビが入っている。
「こりゃ片づけるのは骨だな……」
ぼやく涼子さん。しかしそのセリフと表情とは裏腹に、彼女はとりあえずその辺の椅子を起こし、てきぱきと僕を座らせて薬箱を開いた。
僕はと言えば、なされるがままに頭に包帯を巻いてもらっていた。
「あの、涼子さん」
「あん?」
「あいつら、知り合いなんですか?」
気になっていたことだ。彼らは涼子さんを「お嬢さん」「お嬢様」と呼んでいた。おそらく、涼子さんはそう呼ばれるような人間であり、あいつらは涼子さんの過去に関わりを持つ人間、ということになる。
僕は涼子さんの過去を知らない。影朗さんも知らないらしいし、おそらく蓮さんも知らないだろう。別に詮索するつもりもないが、それでもこうしてお互いの身に危険が迫ったのだ。もう知らぬ存ぜぬでは、済まされないだろう。
「んー……まぁ、知らない仲じゃないよ。ああ見えて、それほどやばい連中ってわけじゃない。仕事はしっかりしてるしね。ただ 」
「ただ?」
「あたしは少なくとも、もうしばらくはあいつらには関わりたくなくてね。追い払おうとしていた時に、あんたらが帰ってきたってわけ。影朗、あんたも大丈夫だったかい?」
「私は大丈夫。むしろ面白いものが見えました。合気柔術、というやつですかな」
涼子さんは、わずかに目を伏せる。
「そ。昔、ちょっとやっててね」
ちょっとやっていた、というレベルではなかった気がするが、そこは黙っていた。それ以上は、たぶんだけど、踏み込んじゃいけないところな気がしたからだ。
影朗さんも同じことを感じたのだろう。それ以上質問を投げかけることはしなかった。
わずかな間、沈黙が場を支配する。
「はい、おしまい」
治療が終わったらしい。まだ痛みはするものの、とりあえず出血は止まったようだ。
「さて、大和に影朗。あんたらもう寝な」
「え? でも、店片づけないと」
「どうせ一晩やそこらじゃ片付かないさ。今日はもういい。明日を臨時休業にして、じっくり片すよ」
「はぁ……」
そう返されてはにべもない。僕は『浪漫』2階、下宿部分へと足を向けた。
「では、おやすみなさいですな、大和少年」
「はい」
月明かりが窓から差し込み、静まった部屋。影朗さんは床に陣取り、僕はいつも通りの簡易ベッドに横になる。
僕は襲ってくる眠気を感じながらも、ひとつの疑念に捕らわれ、なかなか寝付くことができなかった。
涼子さんは、何者なのか。
それを聞くのはマナー違反、人づてに聞くのもNG。どうしても知りたいなら、本人が口を開くのを待て それが、ここ『浪漫』、ひいて言えば街全体のルール。
蓮さんと影朗さん、二人の過去を聞いた僕は、そのルールの重要性は十分に理解できているつもりだった。だから、そのルールを犯すつもりもない。
けれど、涼子さんのことは、気にかかった。黒スーツの男たちは、何者なのか。涼子さんの過去に何があって、何に捕らわれているのか。気にしてもしかたないと頭ではわかっていても、疑問が心を支配する。
「……『浪漫』、か」
意図せず口に出た言葉は、この場所の名前。居酒屋兼下宿屋、『浪漫』。僕が寝食を行う場所で、蓮さんや影朗さん、その他大勢のお客さんでにぎわう空間。陰気な時代にあっても、そこから逃れるかのように陽気があふれている場所。
いつかは出ていく場所だし、長居をするつもりもなかった。その気持ちは今も変わっていない はずだ。
帰る場所なんて、もうない。できるはずもない。ただ、行くあてもなくさまよい続けるだけ。それが僕の、残った人生のはずだ。
そう思っていた。今も思っている。
そうさ。ここは、渡り鳥の止まり木に過ぎない。少し長くいたから、情が移ってしまっただけ。それだけだ。
できるだけ近いうちに出て行こう。これ以上情が移ってしまうのは、よろしくない。たぶん、お互いにとって。
お互い? 誰と誰を指す?
……まぁ、いい。とにかく、早めにここを出ていく。それだけだ。
無理やり(無理やり?)結論づけた僕は、襲い来る睡魔に身を任せ、瞼を落とした。眠気はすぐにやってきて、僕は夢の世界へと誘われた。
第三章
影朗さんの手伝いから数日後。つまりは『浪漫』の襲撃事件から数日後。店の片づけは一日ががりの大仕事ではあったが、無事に終了し、事件の翌々日には『浪漫』は通常営業に戻っていた。
涼子さんも普段と変わらない。蓮さんや影朗さんはいつも通りくだを巻いて僕に酒を飲ませようとするし、毎日ドンチャン騒ぎだ。ただ、時折涼子さんがどこか遠い目をしているような、思いつめてた表情をしているように、僕には思えていた。
それは、気にしなければ普段と何も変わらないような日々。けれど、いつのまにかすっかり当たり前になっていた日常の、終幕への序曲だった。
ある日の夜。僕はいつものように、蓮さんと影朗さんを適当にいなしながら業務を終わらせ、自室へと戻った。明かりもつけず、月明かりに情緒を感じていた。今日も疲れたな、なんて感慨にふけり、風呂に入る前に軽く簡易ベッドに横になっていた。すると、その時ドアからノックの音がした。
「大和、いる?」
声の主は、確認するまでもない。涼子さんだ。
「はい。どうしたんです?」
「明日、ちょっと頼まれて欲しいんだけど、いい?」
作品名:人情日常大活劇『浪漫』 作家名:壱の人