人情日常大活劇『浪漫』
僕の隣の人が席を立ち、会計を済ませた。店員が机の上の食器をかたずけ、すぐに次の人を席へと案内していく。やたらと太っていた人だった。ランプによって脂ぎった顔が、一際光っていた。
「衝撃だったよ。そこに写ってたのは、昔のこの国の人。で、あたしと似たような境遇なの。んで、その人は絶望した挙句、最後には飛び降り自殺しちゃうんだけど、その瞬間の走馬灯っていうのかな、人生が流れ出すって話だった。そこに写っていた人生が、なんか、あたしの事をしゃべってくれてるみたいだった」
店長らしき人が、肉に包丁を入れて切り裂いていた。それを別の店員が受け取り、煮えたぎる油の中へと入れる。小気味よい音が、店内に響いた。
ガチャガチャという、皿と皿の当たる音が耳に残る。
「終わった時には、あたしは泣いてた。自分をわかってくれたような人が確かにいて、あなたは一人じゃないって言ってくれたような気がしたから。次の日には、あたしは全部捨てて逃げてた。親父のいないときを狙ってね。だけど、その映像ディスクだけは持ってたの」
白米の湯気が少し弱くなっている。香りも少し弱まっただろうか。油で上げた魚が、少し色あせたようにも感じた。
「後はひたすら逃亡と放浪の日々さ。別に親父はあたしを探しはしなかったけど、女のガキが一人で生きてくのは、けっこう苦しかったよ。盗みとかもやったしね。けど、そんな中で、チャンスがあればひたすら映画を見た。見続けたよ」
頭上のランプがやや揺らいだ気がする。気付いた店員が店長に報告していたようだ。客はやはり食事と歓談に夢中だった。誰も、こちらを気にしてはいない。
「特にこの国のが多かった。昔流行ったエロいやつとかね。そんな生活を続けているうちに、次第にあたしはこの国に興味を持った。そのころにはもう映画を撮り始めてたかな。そんで、なんとか密航のツテも見つけて、この国に来た。やっぱりっつうかなんつうか、放浪しながら映画の日々さ。次第にあたしは行き倒れた。その場所が『浪漫』のまん前で、後はあんたとほとんど同じさね。お涼ちゃんに拾われた。ま、こんなもんかな。あたしが映画を撮る理由って。納得した?」
「……」
蓮さんの昔話の最中、僕は全く口をはさめなかった。はさみたくもなかった。
まさか、な。
いや、やはりというべきか。
大陸の向こうまで。海を渡った先までも。
絶望ってのは、広がってるんだな。
そんなことを思ってた。
「どしたの? やっぱどん引き?」
「いや そんなことはないです。ただちょっと、驚いただけで」
驚いたのは蓮さんの過去そのものじゃないけれど。
というか、驚愕よりも失望の方が大きかったかな。世界ってのは、やっぱりどこまで行っても変わらない、という。
どこまで行っても変わらない、という。
ただ 唯一本当に驚いたとすれば、それは蓮さん自身に、かもしれない。彼女は、本当に、本当に映画が好きで。好きで好きでしょうがなくて。どうしようもない、本物なんだ、ということに、驚いてはいたんだと、そう思う。
「そう? ま、そんな気にしないでよ。あたしは過去なんてどーでもいいもん。不幸なんて振りかざしたって、ろくなことにはなりゃしないしね。さ、食べよ食べよ。冷めちゃったかな」
僕ら二人は、湯気が消え去るほど冷めてしまった食事に箸をつけはじめる。自覚のなかった空腹も手伝って、定食はそれなりにおいしかった。
そうして二人そろって『浪漫』へ帰り、二階へ上る。涼子さんも寝てるのか、建物は静まり返り、暗闇が廊下を席巻していた。僕らは就寝のあいさつを交わし、部屋の前で別れる。
僕は風呂に入ることも忘れて、布団に倒れ込む。昨日も相当だったが、今日も恐ろしく長い一日だった。だが、身体の疲労とは裏腹に、頭の中では蓮さんの話がひたすら反芻されていた。
十三で実の父親にレイプされ、その後放浪と逃亡を繰り返し、今は犯罪すれすれの仕事をしながら映画を撮る日々、か。
まさに、映画のような人生だ。
それは皮肉のようでもあったけれど、真実でもあった。
映画は虚構。けれど、その虚構も人の手で作られるもの。
ならば、虚構は真実を内包する。つまり、人の持っている絶望を。苦痛にまみれた人生を描くのが、虚構なのだ。
そして自分と同じ絶望を他人が持っていることに、人は喜びを見出す。
他人が自分をわかってくれる、わかってくれるから優しくしてくれる。そんな錯覚。そんな甘え。そんな、希望を。
それを、少なくとも、今日過去を僕に話してくれた彼女は、持ち続けているわけか。それは 幸せで、同時に不幸なのかもしれない。
その感覚は、僕の味わって来た絶望とは、違うのかもしれないし、同じなのかもしれない。考えるほどに、よくわからなくなった。
けれど、なんとなく。本当になんとなくだけど
僕は少し、蓮さんがうらやましいと、そう思った。
ってなことを布団の中で考えていたら、なんだかまどろんできた。明日も仕事だ。風呂入らなきゃな……いや、面倒くさいし、いいか……。
第二章
蓮さんの仕事を手伝ってから数日。収入はそれなりに得たものの、それでもまだ一人立ちするには心許ない程度の蓄えでしかない。もうひと稼ぎしたいところだ。
とは言え、蓮さんの仕事は基本的に不定期であり、『浪漫』の仕事とバッティングすることもあり得る。そう毎度毎度手伝わせてもらう、というわけにはいかなかった。
そういうわけで僕は、相も変わらず『浪漫』での皿洗いやら薪割り炊き出しその他に従事する毎日を送っていたのだ。
そんな折、涼子さんから妙な頼まれごとが舞い込む。
「大和、ちょっと筆屋に行ってきてくれ」
「筆屋?」
「ああ、鉛筆を十本ほど買ってきて欲しいんだ」
十本? 何やら妙な話だ。
そんな大量の文房具が要る様な事態には、なってないはずだが。『浪漫』で使うのは、せいぜい注文票くらいのはずである。そこまで大量の文房具が必要になることなど、あり得ないと思うのだけど。
「いいですけど、そんなにたくさん、何に使うんですか?」
「ああ、言ってなかったっけ? 私は私塾を開いてるんだよ、そこで要り用なのさ」
「私塾?」
時代が変わっても、学校というもの自体はまだ存在している。だが、基本的には荒んだ時代。そうそう多くの親が子供を学校に行かせられる余裕はない。まして、エネルギーも尽き、高度な科学技術のほとんどが使えなくなってしまった昨今である。学歴社会などはるか昔の話。学問の有用性は薄れているし、学校自体数が縮小している。
そんなわけで学校に行く人間は少なくなっているのだが、それでも教養のため、学問を子供に学ばせたいという人間も中にはいた。そんな人々のために、学校よりもずっと安い月謝で私塾を経営している人間もいる、とは知ってはいたが
「涼子さん、私塾なんて開いてるんですか?」
「ああ、あんたが仕込みをやってる時間だからね、知らなくても無理はないよ」
意外と言えば意外だ。私塾なんてのは、もっぱらボランティアみたいなもので、稼ぎを期待してやる人はまずいない。
『浪漫』はそこそこ繁盛している酒場ではあるが、そんなものをする余裕があったのか、この人。
作品名:人情日常大活劇『浪漫』 作家名:壱の人