双星恋歌
2.前回までのおはなし(回想編)
話は十数年前の春に遡る。桃花が風に舞い散る昼下がり、遥の本家に双子が生まれた。子どもたちの父親であるところの遥家当主は、赤ん坊を取りあげた産婆と顔を見合わせた。
どうしたものだろう。
双子は吉凶でいれば断然凶よりで、今後の遥一門のことを考えると分家ならまだしも本家筋の子どもで双子がいるとなると、外聞がよろしくない。中央のみならず地方にも満遍なく官吏として登用されている遥家の人間たちを、纏め上げる立場にいる本家に妙な噂が流れるのは本意ではなかった。
喜ぶべき子どもの誕生が、頭痛の種に早変わりである。産後の経過があまり芳しくない妻も、ひょっとしたら双子が引き寄せた凶事が原因となり苦しんでいるのかもしれない。
途方に暮れていた男の背を押したのは、子どもたちの出産に立ち会った産婆であった。古くからひとの生死を見てきた彼女には常人とは思えぬ力が備わっており、はるか先の運命まで見通すことが出来るという。産婆は皺の寄った瞼を下ろすと、ひとつひとつの言葉を噛みしめるように言った。
殺せとはいいませぬ、もうひとりは本家のお子として育てず分家に養子に出すのが良いでしょう。よいですか、この子どもたちを決して近づけてはなりません。
すると仕事上の付き合いも長く、親しくしていた分家筋の者が、双子の一方、それも男の子を引き取りたいと申し出てきた。娘ばかりで男がひとりもいなかったために、いずれは娘たちの誰かの婿として後を継がせようという算段であるらしい。
本家にはこの双子たちの上にふたり、男のきょうだいがいるので後継問題には確かに、何の支障もない。今度は女の子がいいな、などと妻と話していたところだったので、正直言ってそちらを手放すのは惜しい。だが、こんな軽々しく子どもをやり取りしていいものなのだろうか。
この子たちは双子であり、この世に生まれおちた時から、さらに言えば母親の腹の中からずっと、離れず一緒に過ごしてきたのである。勝手な都合で、引き離すのは酷ではないか。分家に出すと言えば聞こえは良いが、体のいい子捨てに過ぎないのでは?
「あ、なた」
掠れた声にはっとする。男は苦しげな息を漏らした妻の手をぎゅうと握りしめた。数日経った今も彼女の顔色は悪くなる一方である。自分の不甲斐なさに胸がつぶれるようだった。
「こどもたちは? 私たちのあかちゃん…」
「女の子がひとり。もうひとりは、残念だが」
そう、とつぶやいた妻の目尻から涙がぽろりと零れ落ちた。
ざあと風の渡る音ともに開け放しにした窓から、桃の花弁が入り込む。きれいね、と言って彼女は微かな笑みを見せる。これでいいのだ、と男は考えることにした。最善の道を私は選んだのだ。
月日が経つのは早いもので、今回の正月を迎えて双子の片割れ、遥本家で育てられた女の子は十七歳になる。玉瑞と名付けられた彼女は名前の通り、楚々とした可憐な娘へと成長を遂げた。あくまで、見た目の上ではであるが。
「ねえ、わたしこの衣(ふく)飽きちゃった。新しい上衣と桾子縫ってよ、鮮やかな…そうね、牡丹の刺繍してあるやつ。それと新調したのに合う簪もほしいの」
控え目、清楚。口さえ開かず、そっと微笑みだけ浮かべていれば容姿から生じるである好印象は崩れない。我の強く、高慢な娘であるとは誰も気が付かないだろう。
玉瑞はいなくなったきょうだいの分まで両親の愛情を受け、目の中へ入れても痛くないというほど大切に、基本甘やかされて育っていた。なお悪いのは彼女の兄たちである。
幼少のころから、「お前は可愛い。芍薬だろうが牡丹だろうが百合だろうがどんな花にだって引けを取らない、ああなんて可愛いんだろう俺たちはお前がだいすきだぞ」と筋金入りの妹愛(シスコン)を発揮し、まるでなにかのまじないのように何度も繰り返し唱え続けた結果、玉瑞の我侭な性質は増長されたと言っても過言ではない。
妹と同じく上の兄たちが母親に似て容姿端麗であったことも災いしたのか、彼女は他者の美醜にやたら厳しくなってしまった。靤や出来物ひとつあることで相手を見下す。じぶんより、何もかもが劣っているものと見做すのであった。
そして、正月。彼女にとって運命の日となる朝をいつもどおりのんびりと迎えていた。絹糸のような髪だとは到底、形容し難いごわついた髪質の侍女が、身支度を手伝いに来るまで、玉瑞はだらだらと室の中で仕舞ってある衣装を取りだしてはぽいと投げ捨て、面白いから、と兄上たちから渡された書を読み散らしていた(こんな、戦しか起きない本のどこが面白いっていうのよ)。歎息してから、うんざりしたように目を瞑る。
からから、と戸が開く音に反応して横たえていた身体をゆるやかに起こし、玉瑞は帳を持ち上げた。
「ちょっと、まだ早すぎるんじゃな……い、の」
「……ん? おや。此方は遂良様の部屋では…ないようだ」
広くなった視界に突如として現れた青年を前に、玉瑞は固まってしまった。
彼女は、女ならば十七年の人生の中でたくさん見てきた。美しい娘も(じぶんが認めるようなものは多くはいないが)、欠点だらけの娘も。その中には、宴に招かれた貴族の娘もいたし、じぶんに仕えてくれた侍女もいた。
ところが、男といえば。玉瑞は女のように美しい兄たち、そして同年代というにはいささか年が離れすぎている父親を除いて、直接目にしたことはなかった。ちなみにそれも両親たちの入念な囲い込みの成果である。
茫然とした様子で彼女は、じぶんの部屋に乱入して来た男を眺めていた。切れ長の眸は気まずそうに伏せられ、このまま逃げ出すのもなんだかなと思っているのが窺えた。口端はわずかに上がり、困惑気味に笑みを形づくる。失礼した、と簡潔に謝罪の言葉を述べると、彼は玉瑞に背を向けた。翻った濃紺の袖がくっきりと目の奥に焼き付いた。
どくん、と胸の奥が熱くなる気がした。どくん。手をあてがった丁度上の辺りが、もういちど、鳴る。
(どうして)
くるしい。空気を吸い込むことも、吐き出すことも出来ない。
「玉瑞さま? どうされたんです…あ~また散らかして。こんなところ殿方に見られでもしたら、呆れられちゃいますよ」
「うう、うるさいわね! 放っておいて…ってああああ! わたしったらあの方の前でなんて醜態を…」
青年と入れ替わりに入ってきた侍女が指摘したように、玉瑞の自室は散々な有様だった。書や衣服やなんやかやで足の踏み場もない、たおやかな貴族の姫君としてはあり得ない状況をあの青年に。
(み、見られた…)
さらにこんなだらしない部屋着姿までも、ばっちりと。
最悪だ。恥ずかしさのあまり、ぐちゃぐちゃに散らした衣の中に面を沈めた。ひんやりした絹の感触が熱りを鎮めるのに役立ってくれればいいのだけれど。
おそらくこの衝撃からは、簡単には立ち直れそうになかった。
謹んで新年のお慶びを申し上げます。