ハイビスカスの女
深紅の大輪が沈もうとしていた。一日最後の炎上に空も海も入り江も、世界は朱に染まった。紺碧の上空に星々が瞬き出した。僕らはA子の差し入れたワインで何度も乾杯した。彼女はセイシュールより、カレドニアより、フィジーより、どこよりも素晴らしい!と讃えた。生涯に残る、記念すべき贅沢な洋上ディナーであった。
四
翌日、クルージングの三日目は風の無い重苦しい天候だった。
低気圧が近づいているとかで、帆走するヨットには最悪であった。Kさんは今日を予想して昨日、距離を稼いだのであろう。彼は風を巧みに拾いながら前進したが、追い風を受けた昨日とは比べものにならなかった。
僕らのテンションも上がらなかった。昨夜のアルコールのせいかもしれない、蒸し暑く風の無い天候のせいかもしれない、三日目で疲れが溜まっていたのだろうか、A子は不機嫌でKさんにまとわりつかなかった。
午後になると、たれ込めた曇り空に黒雲が広がり湿った風が吹き出した。いつものスコールの始まりだった。
KさんはA子の機嫌を直そうとしたのだろう、彼女にシャワー、シャワーとシャンプーをぶっかけた。ヤメテ!A子は邪険に払った。それでも彼はシャンプーかけを止めなかった。怒ったA子はシャンプーを奪おうと追いかけた。怒った、怒ったとKさんは面白がり狭いデッキを逃げた。捕まりそうになった彼はシャンプーを僕に投げた。
「ヤメテ!ヤメテ!」A子はKさんの胸ぐらを叩いた。
当たりが薄暗くなり、大粒の雨が落ちてきた。
ふざけていたKさんの表情が一変した。突然、A子の両腕を握ると背後から羽交い締めするよう合図した。
「何するのよー、離して!」A子は激しく抵抗した。
Kさんから笑顔が消え目が三角につり上がった。A子のTシャツを捲ると日焼けしていない白い乳房にシャンプーを垂らした。シャンプー液が形の良い乳房に蜜のように垂れた。
「何するの!ヤメテ!」A子は怒って睨んだ。
不敵な笑みを浮かべながら、Kさんはいたぶるように乳房を揉み始めた。彼女は「ヤメテ~、お願い!」と身をよじった。僕は獲物に食らいついた獣ながら離すまいと力を込めた。頭を振りながら嘆願するA子の声がかすれ出した。Kさんは加虐的にほくそ笑みながら乳房をもてあそび続けた。
スコールが激しくなった。驟雨が音をたてて僕らを叩いた。Kさんは喘ぎ出したA子の唇を奪った。抵抗していた彼女の全身から力が抜けた。彼の手が下腹部に伸びビキニを解いた。ア~ァ、彼女は崩れかかり、僕は必死に支えた。彼はひざまづくと日に晒されたことのない秘所に顔を埋めた。星屑の夜と同じだった。羽交い締めしたまま、僕はKさんが交わるのを手伝った。
雨煙が立ちこめ一層暗くなった。豪雨が濁流のように流れた。僕らは外界から閉ざされた。稲妻が走り、雷鳴が轟(とどろき)いた。モラルも理性も吹っ飛んでいた。Kさんに代わって僕が交わっていた。交替するとき、彼女は僕を認めたが拒まなかった。獣のように突き上げる僕の動きに長く尾を引く喜悦で応えた。
豪雨と雷鳴の中で、僕らは欲望の蛇に変身していた。身悶えする白蛇のA子と絡みつく僕ら二匹の黒蛇、三人は欲望の蛇となって官能の海深く沈んでいった。
どれくらい官能の海を漂っただろうか。
僕ら三匹の蛇は官能の深海から浮上した。狂ったようなスコールが通り過ぎ、雨雲が千切れて無数の黒雲に変わっていた。雲間から鮮やかな青空が覗いていた。上空から涼風が舞い降り火照った身体を冷やした。
A子の背中が僕の側にあった。彼女は放心状態から醒めていないようであった。Kさんは少し離れたデッキに転がっていた。横様に寝ている彼女は何もまとっていなかった。僕はそっとバスタオルを掛けた。その時、彼女はボンヤリ遠くを見つめていた。放心した眼差しはゾッとするほど美しく孤独だった。
五
その後、僕らは何事も無かったように振る舞った。
Kさんが舵を取り、僕は指示に従い、ひたすら船を走らせた。A子は僕らを見たくなかったのだろう、キャビンにこもってしまった。僕らは声をかけなかった。石垣港に入れば三人は解散する。それまでのことなのだ。あえて波風を立てることはない。
その日遅く、僕らは石垣港に入った。Kさんが到着を知らせたがA子は応えなかった。夕食を作ったがキャビンを出ようとしなかった。僕は明朝の船で波照間へ渡る予定である。Kさんはキャビンに籠もったA子にアタックしたがなしの礫(つぶて)であった。仕方なく僕らはデッキで横になった。
彼女がひどく傷ついたことは確かである。
今回の出来事はスコールの異常事と言え、Kさんが起こしたのものである。A子も僕も彼の欲望に従ったのだが、僕らが無実の被害者であったかというとそうではない。僕は自ら進んで荷担したし、A子も僕と交わるのを拒まなかった。それどころか、僕と一緒に何度も絶頂を極めたのである。だから、彼女が僕らに廻されたとか、もてあそばれたとか、そんな被害感を持ったとは思えない。
ただ、彼女がKさんに裏切られたことは確かである。
彼が本当にA子を愛しているなら、いくらスコールの異常時とは言え、僕と交わることを勧めたろうか。Kさんは家庭を持っていたから、どこかで彼女を重荷に思う気持ちがあっただろう。それを軽減するために僕を利用したと言えなくもないのである。
僕ら男は、彼女に加害感というか、罪意識のようなものを感じたが、お互いに嫉妬心や敵愾心(てきがいしん)を持たなかった。むしろ、二人に秘かな共犯意識、罪の連帯感のようなものが芽生えた。その結果、彼女は僕らから疎外された。疎外というか、彼女はKさんの愛人にとどまらず共有の女になった。それはKさんが望んでいたことかも知れないが、彼女は巫女や遊女のような存在に祭り上げられたのである。そのことにA子が気づいたかどうか、分からない。彼女とKさんに深刻な亀裂が入ったことは確かであった。
A子の思いは複雑で混乱していた。
彼女は妻子持ちのKさんに惚れていた。二人きりになりたくて西表までやって来たのである。ところが、彼は僕とのクルージングにこだわり、あろうことか僕にも交わらせた。3Pと言う異常行為はA子に対する裏切りであるが、それに応じた彼女もKさんへの愛を裏切ったと言える。3Pでかってない愉悦を味わった彼女に彼の裏切りを非難する資格はない。
A子は男を魅了する奔放な女性だったから、女としての性愛の喜びを知っていた。性愛はフィーリングが合えば愛などと関係なく堪能出来る。むしろ、それらを取っ払って本能に徹した方が愉悦は大きく深い。キャビンに籠もった彼女は自分の愛を裏切った本能、そのアナーキーな快楽原則に戸惑っていたのではないだろうか。
夜が明けてもA子さんはキャビンから出て来なかった。僕はバックを出さねばならなかったが、彼女と顔を合わすのが辛かった。躊躇としていると、Kさんが強引に扉を押し開けて入った。彼の平身低頭で謝る声が聞こえた。A子の泣きじゃくる声も聞こえた。しばらくして、Kさんが僕のバックを持って出てきた。
「A子のことは俺の責任だ。お前は急げ。波照間行きは本数が無い。」