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数ミリでも近くに

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 フラフラしながら歩く葉子を後ろから支えるようにして歩き、帰路についた。

「とりあえず今日はこのまま横になりなよ」
 身体を支えたまま、葉子の部屋に入った。ロフトの階段を上がり、葉子をベッドに寝かせた。
「明日休みだし、ゆっくり寝てなよ。スミカ達には明日の朝伝えておくから」
「うん、ありがとう」
 葉子はそれからしばらく、胃のムカムカが解消せず、ベッドで寝返りを繰り返していたが、やがて睡魔が襲ってきて、眠りについた。


「葉子が?」
「うん、ライブが始まる前から様子がおかしくて、結局ヘロヘロのまま帰ってきたんだけど。風邪かなぁ」
 三人で食卓を囲みながら話していた。葉子の分のハムエッグにはラップが掛けてあり、マグカップとトースト用のお皿は空だ。
「後で体温計持って行ってみるよ」
 どこにあるんだっけ?と訊いた健人は、スミカに「あの箱の中」と教えてもらった。

 体温計を手に、葉子の部屋のドアをノックした。返事はない。
「入るよ」
 一応告げた。もしかしたらまだ寝ているのかも知れない。それならまた後で来よう。そんな風に思っていたら、ロフトの上から「健ちゃん?」と蚊の鳴くような声が聞こえた。
「体温計持って来たよ」
 階段を上り、葉子が寝ているベッドの枕元に腰を掛けると、葉子は身体を起こした。
「風邪かなぁ。胃がムカムカするんだよね。起きたら治ってるかと思ったけど、だめだ」
 脇の下に体温計を差し込み、電子音がするのを待ったが、意外と早く音が鳴った。
「うーん、微熱ってとこだね。三十七度」
「微熱だね」
 体温計をケースに仕舞い、健人は葉子の背中を擦った。
「気持ちが悪い?」
「うん、そんな感じ」
「何も食べられそうにない?」
「普通のご飯は食べたくないな。下から上ってきたハムエッグの匂いにもウッってなった」
 健人は暫く無言で考え事をしていた。悪寒がした。
「変な事訊くけど、兄ちゃんと、ゴムつけないでセックスした事ある?」
「あるけど――うそ、そんな事って――」
 健人は背中を擦る手を止め、彼女を再び横たわらせた。前髪をかき上げるように撫で上げ、「ゼリー飲料みたいなのを買ってくるから、待ってて」と葉子に言った。

 葉子は妊娠しているのかも知れない。しかも、時期からも避妊の面からも俺の子供ではない。兄の子に間違いない。
 ドラッグストアでゼリー飲料と、妊娠検査薬を買って帰ろう。
 もし妊娠していたら――どうする?兄にはどう伝える?遺伝学的な父親は間違いなく兄だ。それを隠しておくか?

 まずは、彼女がどういう道を選択するか、が先決だ。

 ドラッグストアにつくと、カゴの中に数種類のゼリー飲料と、ピンク色の箱に入った妊娠検査薬を入れてレジに並んだ。
 クリスマスプレゼントを買うのは恥ずかしかったのに、妊娠検査薬を買うのは恥ずかしい事じゃないんだな、ふと思った。

「葉子、歩ける?」
「うん」
 検査薬を箱から出して彼女にそれを握らせ、一人でトイレに向かわせた。健人が一緒にトイレまで付いて行くというのも何だか変な感じだったし、リビングには晴人がいたからだ。
「大丈夫か?」
 兄の大きな声が聞こえた。
 それから暫くして、足を引きずるように葉子が部屋に戻ってきた。ラグにへたり込んだ。
「妊娠、してる――」
 悪夢が現実になった。これは風邪なんかじゃない、つわりだったんだ。
 葉子は事態に狼狽えていると言うよりも、茫然自失と言った状態で、何と声を掛けたらいいのか分からなかった。
「葉子は――葉子はどうしたい?」
 葉子はラグに身体を横たえようとしたので、頭を支えて健人の脚を枕にさせた。
「私のお腹に宿った命だから、私に会いにきたんだから、産みたい。けど――」
「父親が、でしょ」
 無言で頷く葉子の目には、涙が浮かんでいた。
「一つ目は、シングルマザーとして出産する。二つ目は本当の父親である兄ちゃんと育てていく。三つ目は――」
 涙が零れる寸前の双眸を健人に向けた葉子は「三つ目は?」と小さな声で訊いた。
「俺が父親になる。葉子さえよければそうしたい」
 葉子の目から涙が線となって流れ出た。
「お腹の子は、俺との血のつながりはないけど、兄ちゃんの血が流れてる。俺は兄ちゃんと半分は血が繋がってる。そう遠くないと思わない?」
 葉子は少し笑った。笑うとまた涙の量が増す。
 晴人とはやっていけない、そう心に決めて、健人と付き合うことを決めたのは、他でもない葉子本人だ。
 お腹の中の子供が晴人の子供であっても、晴人との将来なんて考えられない。
 かと言って、子供を父親なしで育てていく勇気はない。
 健人の気持ちが有難かった。だけどそれでいいんだろうか。健人は、自分と血のつながりが無い子供を愛してくれるのだろうか。不安だった。
「一日、考えさせて。その三つしか選択肢はないと思うから、一つ選ぶよ」
「分かった。皆には体調が悪いみたい、で通しておくから、ベッドで横になってなよ。何かあったら携帯鳴らして」
 葉子の携帯を掴み、葉子を支えるようにしてロフトにあがり、ベッドに横たわらせた。
「葉子の気持ちを尊重するから。おれは三つのどれになってもいいから」
 そう言うと健人は立ち上がろうとしたが、葉子が健人の手を掴んだ。
「健ちゃん、大好き」
 しゃがみ込んで健人は葉子の髪をかき上げ、触れるだけのキスを落とした。



.拡散


「葉子体調悪いみたいだから、ハムエッグは俺が食べちゃうよ」
 リビングにいたスミカに言うと「食べちゃってー」と返事が返ってきた。
 ダイニングテーブルについて、レンジで温めたハムエッグを突く。
 スミカは手にしていた新聞をローテーブルの下に置き、ダイニングテーブルの対面に座った。
「葉子、どんな感じ?」
「胃がムカムカするんだと」
 むしゃむしゃとハムエッグを口に運ぶ。
「ねぇ、それってつわりじゃない?」
 健人の動きが止まった。思わずスミカの顔を見てしまった。
「図星。嘘がつけないタイプだね、健人は。晴人には内緒にしておくよ」
 健人は肯定も否定もせず、ハムエッグを食べた。
「夕飯も恐らく食べられないだろうから、三人分で良いと思うんだ。
「ごめん、今日私、武とデートだから、夕飯は佐藤さんが来るから」
 という事は、夕飯は兄と二人でとる事になる。
 いずれは言わざるを得ない話。すべきか、しないでおくべきか。


「じゃぁ、私はこれで」
 スミカの実家から来た家政婦の佐藤さんが、夕食にオムライスを作って帰って行った。
「兄ちゃん、夕飯だよ」
 あいよ、と声があって晴人が部屋から出てきた。
「二人で夕飯なんて、何か珍しい光景だね」
「そうだね」
 スープに口をつけ、少し晴人を見遣った。何か思案顔をしているのが分かる。
「なぁ、葉子、まさか妊娠したんじゃないよなぁ?」
 部屋にいる葉子には聞こえない様な小さな声で健人に訊ねる晴人は、健人の返事を聞く前から動揺していた。
「身に覚えがあるんでしょ、兄ちゃん」
 敢えて晴人を見ずにそう言うと、「んー」と返事に窮していた。
作品名:数ミリでも近くに 作家名:はち