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数ミリでも近くに

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「次は俺のターンだ。兄ちゃんが幸せだった分よりもっと多く、俺は幸せを手に入れる」
 放り投げたクッキーが口の中に吸い込まれる。
「私はこれまで通り、晴人に接してもいいんだよね?」
 二人を順繰りに見る葉子に「勿論」と晴人は頷き、健人もそれに倣った。
「隙あらば取り返す」晴人は強気で言ってみたものの、健人には勝てないような、そんな気がしていた。

「これで良かったのかな――」
 晴人は自室へ戻った。残ったのは横並びに座った健人と葉子だった。
「うーん、良かったかどうかなんて結論は、付き合っていく中でしか出てこないよ」
 そうだよね、と葉子はソファの背に凭れた。
「付き合ってみないと分からない、今回みたいな事も、あるんだもんね」
「そうだね」
 晴人の事は変わらず好きだ。趣味も合うし、楽しい。ただ、恋人として身体の関係を持ってしまうと、彼の性欲についていけない。
 たったそれだけ。たったそれだけなのに。
 健人には欲張った性欲というものがない。
 そんな事だけで、恋人を決めてしまった。
「そんな事」?葉子の中では重要な事だった。性的に繋がりあっているという満足感は時々で良いし、お互いの生活を考えて避妊もすべきだし。パジャマの壁を取っ払って抱き合って寝るだけでも、葉子にとっては最高のひと時だった。
 やっぱり晴人にはついていけない。


「シェアハウス内で、まぁくっついたり離れたり、ドラマみたいだね、全く」
 クリスマスに武との会瀬を愉しんできたスミカは、夕食のエビフライを食べながらそう言ったが、葉子は「スミカだってやってたじゃん」と思わない事も無かった。
「理由も理由だけどさ、性的不一致って」
 健人はちらりと晴人を見遣ったが、ガツガツとエビフライを口に運んでいる。
「まぁ、性に関してはひとそれぞれ考え方はあると思うしね。葉子と俺がこれから順風満帆にいくかどうかも未知数だしさ」
 健人は今度は葉子を見遣ったが、偶然顔を上げた彼女と目が合ってしまい、葉子は頬を赤らめて目を逸らした。
 スミカと健人はどうだったんだろう、と葉子はふと思った。彼らが一時期付き合っていた頃は、健人は性的に淡泊だったんだろうか。
 自分に合わせて淡泊を装っているとしたら――。
 健人に限ってそれはないとは思うが、やはり気になる。
 夕食が終わり、片付けが終わったスミカを捕まえて、葉子は自室に招いた。


 スミカは椅子に、葉子はラグに座った。
「ねぇ、スミカと健ちゃんが付き合ってた時はさぁ――」
 端的に訊いて良い物か、言い淀んでしまった。
「セックスの話?」
 いつでも歯切れの良い物言いをするスミカが羨ましいなと葉子は思う。
「そう。しょっちゅうだった?それとも時々だった?」
 スミカはフフフと笑った。「健人を疑ってる?」
「そういう訳じゃないけど――」
 窓の外を一瞥し、それから葉子に視線を移したスミカは口を開いた。
「二度しかしてない。俺はあんまりしないからって言った。私はてっきり葉子に未練があるからだと思ってたけど、本当に淡泊なのかって今回の事で知ったんだよ」
 葉子の頬が緩んだ。嘘じゃなかったんだ。
「でも世の中、健人みたいな人って少数派だと思うよ。大抵晴人みたいな人が多い」
 経験の多いスミカが言うと妙に説得力があり、「ほほう」と講演会でも聴くかのように納得している葉子がいた。
「私は健人ぐらいのペースが丁度いいと思うって言ってもまだ、その――してもないんだけどね」
「私はクリスマスイブとクリスマスで四回はしたかな」
 葉子は両手で耳を塞いだ。


 一月に入ったある夜、葉子は自室から健人に電話をした。
『どうした?』
「今からそっちに行ってもいい?」
『あぁ、いいよ』
 葉子は健人の部屋に行くと、目の前でドアが開き、健人が出迎えてくれた。
「ベッドに腰掛けていいよ」
 言われた通り、葉子はベッドに座った。横にあった枕を手に取り、抱きしめた。
「あのね、こんな事言って変な奴だと思わないでね」
 断りを入れた。健人は眼鏡の向こうで優しく微笑んで頷いた。
「健ちゃんの身体を、知っておきたいの。そんな風に思ったんだけど、変かなぁ?」
 健人は椅子から降り、葉子の隣に座った。
「葉子とは気が合うなと思うよ。俺もそろそろ、と思ってたんだ」
 長い髪を、大きな手で撫でる。まだ完全に乾ききっていない髪からは、シャンプーの香りが香った。
「淡泊だからって言われるとそれはそれでどれくらいのペースでやったらいいのか分かんないんだけど――」
 そう言う葉子を健人は両腕でギュっと抱きしめた。葉子が抱いていた枕は、床に落ちてガサっと音を発した。
「これから二人のペースを探していけばいいんだよ。そんなに難しく考えなくてもさ」
「うん、そうだね。健ちゃんは優しいなぁ」
 抱きしめていた力を緩め、健人は葉子の唇に短いキスを落とすと、立ち上がって電気を消した。ベッドの宮に眼鏡を外して置くコトンという音がする。
「隣はスミカがいるからね。声が出ない様に優しくするから」
 そう言って健人は葉子のパジャマのボタンに手を掛けた。



.異変


 健人と付き合う前に取ったライブチケットがあり、健人の了承が降りたので晴人と葉子は二人でライブに行った。
 最寄駅のすぐ近くで、以前の様に「終電を逃した」なんて事にはならないからだ。
「ウォレットチェーン、どうする?」
 チェーンの先端を持つ晴人が、葉子を見下ろすように言うので、葉子は見上げる形で首を横に振った。
 一月も下旬に入り、外は痛いほどの寒さで、ライブハウス内は熱気を孕んでいるためか、気温差で葉子は体調が悪かった。
「ねぇ晴人」
 ざわつく場内で少し声を張り上げて晴人を呼んだ。
「なに?」
 葉子の顔の所まで晴人は顔を下してきた。
「ちょっとね、気分悪いんだ。多分気温差のせいだと思うんだけど。私、今日はあのドアの所にいるよ」
 場内の横にある赤いドアを指差した。
「大丈夫?」
 葉子は胃の辺りを擦りながら「悪い物でも食べたかな」とぶつぶつ言い、ドアへ向かった。
 ライブ中、葉子の様子が気になり、時々ドアの方を見遣ったが、葉子はライブどころではないと言った様子で、照明が当たる度にその顰めた顔が映った。

「体調悪そうだなぁ、風邪か?」
 晴人は葉子が気になっていて殆どライブに集中できず、汗もかかなかったので、持っていた乾いたタオルを葉子の肩に掛けてやった。
「風邪かもね。こんなに寒いんじゃ。昨日も遅くまでギターいじってたし」
 顰めた顔はなかなか元に戻らない。
「そこのベンチ座ってて。ロッカーの中身持ってくるからさ」
 晴人は足早にロッカーに向かった。葉子はベンチに腰掛け、壁に身を預けて晴人が来るのを待った。やっぱり体調がおかしい。
 二人分の上着と鞄を持った晴人が戻ってきた。葉子の肩に掛かったタオルを取り、紺色の上着を着せてやった。上からピンクのマフラーをぐるぐると巻く。
「ありがと」
 晴人は葉子の顔を見て心配を隠しきれない顔で頷いた。
 歩けないほどではないのだけれど、胃の辺りのムカムカが酷い。
「大丈夫?歩いて帰れる?タクシー呼ぼうか?」
 葉子は首を横に振った。「歩けるから」
作品名:数ミリでも近くに 作家名:はち