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数ミリでも近くに

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「ご飯は基本的に私が作ります。勿論お手伝いは大歓迎。私が作れない日は実家の家政婦さんに頼みます。お風呂とトイレ、共有スペースと外の掃除は残りの三人で適当に分担してください。ご飯が不要な時は十八時までに私に連絡を。家賃と食費は月の終わりに精算するので、私に支払ってください。あとは、晴人さんの年齢にもよりますが――あまり離れていなそうなので、敬語は無しで」
 ここでも話の間に何度も真面目な顔で「はい、はい」と返事をする晴人が可笑しくて、葉子は顔を背けたり、クッションを顔に押し付けたり、終始落ち着きがなかった。
「皆さんが嫌じゃなければ是非、シェアさせてください」
 落ち着き払った声で晴人が皆を見た。
 スミカはにっこり笑って頷き、健人は紹介した身であり断る訳もなく明後日の方向を向いていたし、葉子はクッションで顔を覆い「意義なーし」くぐもった声を発した。
 葉子は内心、パンク好き(かどうか見た目しか判断材料はない)が一つ屋根の下で暮らす事を少し喜ばしく感じていた。ある事を切欠に、バンクス全般に好意を寄せているのだ。そのウキウキ感が、落ち着きの無さに表れていたのかも知れない。
 こうしてバードハウスは、新しい住人を迎える事となった。



.種違い


 三連休の中日を挟んで最終日に、晴人の引越しが行われた。
 引越しと言っても驚く程荷物が少なく、手伝う間も無くあっという間に引越しが終わったので、Tシャツに短パンという姿でスタンバっていた葉子は拍子抜けした。

 晴人はタオルで汗を拭きながら、リビングのソファに座った。
「お茶飲む?」
 スミカの声に「ああ、いただこっかな」と大きく伸びした。
「スミカ、私もー」
 葉子が自室から出てきて、晴人の対面に腰掛けた。
「私は横山葉子。研究員やってる二十五歳。葉子って呼んでね。んでそちらは?」
 晴人は頭の後ろを掻いている。照れているのだろうと感じ、葉子は可笑しかった。照れるパンクス!
「俺は晴人って呼んで。二十六歳。平日はスーツ着て営業マン」
 麦茶を持ったスミカがやって来て葉子の隣に腰掛けた。
「私はここのオーナーの孫で、山下スミカ。葉子と同じ会社に務めてるんだ」
 ふーん、と声に出して頷く。
 葉子は麦茶を一口飲み、晴人の方を向いた。
「ねぇ、健ちゃんって昔っからパソコン好きなの?毎日パソコン抱きかかえてるみたいだけど」
 晴人は「うーん」と中空に視線をやった。過去の思い出を引き摺り出しているらしい。
「高校の時に親に買って貰って、まあ色々やってたみたいだな。プログラミングとか?俺と違ってあいつは出来がいいからな、ココの」
 そう言って自分の頭を人差し指でコンコンと打った。
「晴人は音楽が好きなの?」
 葉子は自分の仲間が増えるんじゃないかと期待に胸を膨らませて訊いた。
 今日は引っ越し作業だったため、晴人は流石にライダースは着ていない。ラモーンズのTシャツに膝丈のダメージデニムだ。
「パンクやハードコアなら洋邦問わずだな。エレクトロも少々。何、葉子も音楽好きなの?」
 葉子は彼に背を向けた。Tシャツの背にはセックスピストルズのプリント。
「同じく」振り返り晴人の顔を見ると、彼はその頬を崩した。
「仲間が出来たなぁ」
 やり取りを見ていたスミカは自分の空いたグラスを手に立ち上がった。音楽の話をされると、居場所がなくなる。
「部屋、戻るね」
「あ、うん」と葉子が返事をした。
 食洗機に空いたグラスを置いたスミカの眉間には、俄かにシワが刻まれていた。葉子も、もちろん晴人も、それには気づいていなかった。
 二階でパソコンに向かっていた健人は、会話と雰囲気で察していた。
 いつでも会話の中心でありたいスミカは、二人の音楽の話にはついていけない。

 葉子と晴人はその後、音楽の話で盛り上がり、引っ越し当日にも関わらず、相当打ち解けた。
「いやぁ、健人がこんな面白い奴とルームシェアしてるなんて思いもしなかったよ」
「私は健ちゃんのお兄ちゃんがパンキッシュだなんて思いもしなかったよ」
 キッチンの冷蔵庫から、作り置きの麦茶を持って来て、二人分のグラスに継ぎ足す。「お、サンキュ」晴人はグラスを取る。
「つーかパンクスが営業マンって凄いなぁ。何の営業?」
 葉子は興味深げに身を乗り出す。
「理化学機器だよ。健人の大学にも出入りしてる」
 笑いを噛み殺せずに吹き出してしまった葉子に「何だよ」と食ってかかった。
「いやー、想像できませんな。晴人がスーツ着て営業なんて。髪型は七三ですか?オールバックですか?」
 過剰におちょくる葉子に、晴人は顔を真っ赤にして反論した。
「フツーの髪型だよ。明日見せてやるよ。俺は平日は実に真面目なサラリーマンなんだからな」
 そう言いつつ、ワックスの塗られた髪を七三に分けて見せる晴人に、葉子は脚を大きく広げて手を叩きながら爆笑した。

 その日の夕飯は、晴人の歓迎会も兼ねて、いつもより少し豪華で、ワインまで開けた。
 酒に滅法弱い健人は「俺はもう寝る」と千鳥足で歯も磨かずシャワーも浴びずに部屋へと戻った。
 スミカは晴人に対して当たり障りのない質問をしたが、当たり障りのない答えが帰って来るのみで気分を害したのか「私もそろそろシャワー浴びるから、後片付けお願いできる?」と葉子の顔を見た。
 少し険しい顔だな、と葉子は感じたが、黙っていた。こういう事は、時々ある。
「勿論、やっとくよー」
 お酒が入って気持ちが良かった葉子は、あまり気に留めず、酷く陽気に答えた。
 着替えを取りに部屋に戻る途中のスミカの眉間には、またしてもシワが刻まれていた。


 葉子は低血圧故に、朝の起床に弱い。携帯のアラームを止めて二度寝、目覚まし時計を止めて三度寝、、最終手段はスピーカーからピストルズの「アナーキーインザUK」を爆音でかける。大体ここまでやって起床する。
 重たい体を垂直に折り曲げてロフトから下に降りるまでに数分かかり、その間にも音楽は鳴り続けている。
 スミカや健人はこの事に不満を漏らした事はない。
 それもその筈、スミカは既にキッチンに立ち、健人の部屋は離れているのだから。
 葉子の部屋のドアを乱暴に叩く、ドン、ドン、という音がした。
 スリッパをつっかけ、水色のドアまでスタスタと歩き、ノブを回す。
「何だよー」
 全身から気だるげなオーラを放ちながら声を発した先には、眠そうに目をしばたかせている晴人が立っていた。
「なんで朝からアナーキーインザUKを爆音でかけてんだよ」
 その瞬間にも音楽は部屋の中から恐るべき音圧で襲って来る。
「何でって、目覚まし?」
 さも当然の如く言う葉子に、晴人は額に手を付け目を瞑った。「あっそーなの」
 バタンと水色の扉が目の前で閉まり、葉子は自分が何か悪い事でもしたのかと頭を捻った。くるりと反転して、気怠げに音楽を消しに行った。

「葉子おはよ」
 キッチンでスミカが朝食の準備をしていた。お皿同士が触れ合う音が響く。
 目をこすりながら「おはよー」視点を合わせるのに精一杯だった。
 取り敢えず顔を洗って、パジャマのままダイニングテーブルについた。健人も同じく部屋着姿で気怠そうに二階から降りて来た。
作品名:数ミリでも近くに 作家名:はち