数ミリでも近くに
.歓迎!
白く塗られた壁を、紺色の広い屋根が覆い、新緑の香りを運ぶ風がそこを通り抜けて行く。広いルーフバルコニーからは眼下に川の流れが見える。川は、四季折々の変化が楽しめ、人足が絶えない。
四角いタイルの様な飛石を歩いて辿り着く先には、海外の映画に出てきそうな赤いポストが、細長い支柱に支えられて立っている。
茶色い木製の重厚な玄関ドアを開けて中に入ると、天窓から光が差し込むダイニングキッチン。奥には、赤いソファセットが目を引く、大きな窓に面したリビング。
玄関の右手には少し短い廊下があり、水色に塗られたドアが仲良く二つ、並んでいる。
リビングから木製の階段を上がると、ここにも水色のドアが二つ。
ここは「バードハウス」と名がつけられた、横浜の丘の上に建つシェアハウスだ。
一階の、一番広い個室の住人、横山葉子は、幼い頃から大切に手入れして弾きこんできたピアノが置けるようにと、他の部屋より少し高い家賃で、少し広い部屋を借りている。
ギターも少々嗜むので、騒音(と呼べるレベル)の観点から部屋は広い方が良い。
葉子は見た目は平凡、少々男勝りな性格で、言葉遣いも荒っぽい。男性遍歴は皆無だ。彼氏いない歴が年齢。
二階の右手にある部屋には、葉子の同僚である山下スミカが生活する。スミカはバードハウスのオーナーである資産家の孫で、カナダ人の父親と、日本人の母親をもつハーフ。
人形の様な可愛らしい風貌で周囲の注目を惹き、同僚の彼氏がいながらして他の男性からアプローチされるぐらいだ。常に人の輪の中心にいる。
一見、母親の様に穏やかに見えて冷静沈着、性に奔放、葉子とは正反対と言えよう。
二階の左側には、インターネットでシェアを希望してきた、小久保健人が暮らす。
健人は、葉子ら二人の母校に当たる国立大学の理学部で学ぶ大学院生で、遺伝子研究に勤しむ。
葉子もスミカも共に微生物の遺伝子研究所に勤務しているため、会話に事欠かないし、健人から見たら先輩に当たる葉子やスミカの話を聞く事は、健人にとって少なからず勉強になる。
黒縁の眼鏡の奥にある顔はそれなりに整っているが、口数は少なく、家にいる時は自室にこもっていることが多い。時々リビングに下りて来てはクッキーを食べている。
一階の手前側の一部屋が空室となっている。
スミカの祖母の持ち家であるこの家で、空き部屋があるからとて祖母が何か口を出したりする訳では無い。
しかし、空き部屋がある分、家賃負担と掃除の負担が葉子と健人にのし掛かっている事は確実であり、しがない会社員の葉子と、雀の涙程の仕送りやバイトで生活している健人は耐えきれず「シェア募集をしよう」とスミカに持ち掛けた。
スミカはファッション誌を読みながら「どっちでもいいけど」と言っ放った。彼女は自室の家賃を支払っていないから当然なのだが。
健人の時と同じようにインターネットで公募をかけようかと、三人で話していた時だった。
「シェアのアテがあるっちゃあるんだけど――」
健人がボソッと呟いた。
「あるなら初めから言えよー」
ソファの隣に座る健人の肩を、葉子がポカッと叩いた。
健人はずり下がった黒縁眼鏡を指で直しながら控えめに笑う。
「後で電話してみるよ」
その「アテ君」が今日、部屋の内覧に来る事になっている。
「健人とは、どういう関係なの?」
いそいそとお茶の用意をしながらスミカが尋ねたが、健人は片方の口端を上げながら笑みを作り「知り合い」と答えるだけだった。
何か特別な関係なのだろうか。恋人だったりして?葉子は邪推した。
約束の時間迄あと五分という所で、コツコツ、と石畳を硬いもので叩く様な、そんな足音が玄関に近づいた。リンドンと昔ながらの呼び鈴が鳴る。
葉子は「はいはーい」と走って行って玄関のドアを開けた。五月の爽やかな風が部屋へ流入した。
そこに立っていたのは、腰からウォレットチェーンを下げ、黒い革のライダースを身につけ、タータンチェックのパンツにエンジニアブーツを履いている、見るからに「パンク」なお兄さんだった。髪型も、色こそ黒いがソフトなモヒカンに近い。
対峙する形となった葉子は唖然とし、その様子を見に来たスミカは音が聞こえるぐらいの規模で息を呑んだ。
ただ一人、健人だけは「いらっしゃい」と冷静に声を出した。
「む、麦茶でいいですか?」
スミカが彼に尋ねると、意外と申し訳なさそうに「恐縮です」と答えたので、葉子は笑いを堪えきれず顔を覆った。
「恐縮です、だってよ」
キッチンに立つスミカの肩をバシバシ叩きながら耳元でクスクス笑う葉子を、スミカはやんわりたしなめた。
「人は見た目じゃないんだから」
「でもスミカだってビックリしてたじゃん、ヒュッて息飲んだの、聞こえたぞー」
「そうだけど」
さぁお茶出すよ、とスミカは四人分の麦茶が乗ったお盆をリビングのテーブルに運んだ。対面するソファに合わせて、四人分の麦茶を置く。
葉子は目の前に座る「アテ君」をチラチラと観察した。
何月だと思ってるんだ、もう五月だよ?暑くないの?ライダースにブーツってどんだけパンクス!
内心でそう語る葉子だが、好き好んで聴く音楽はパンクミュージックだったりするので興味は津々だ。
麦茶を配り終えたスミカがアテ君の隣に座り、「お名前聞いてもいいですか?」と覗き込むようにして会話の口火を切った。
「小久保です。小久保晴人です」
葉子とスミカは顔を見合わせ、示しを合わせたように二人揃って「小久保?」と首を捻った。
それに答えたのは健人だった。
「兄なんだ。種違いの兄ちゃん」
小久保晴人は無言で二度頷きながら、ライダースを脱いでいる。
「ああ、確かにチョット似てる、よね?」
葉子はスミカに話を振ると、スミカは「うん、何か似てる」と二人を交互に見た。
パンク色を無くした小久保晴人は、健人に似ているかもしれない。あるいはメガネを外した小久保健人は、晴人に似ているかも知れない。
「先に部屋を見てもらおうか?」
葉子は立ち上がり、「こっちです」と晴人を案内した。
葉子の部屋の手前、水色のドアを開けると、ギギィと古い金具の音がする。
「下が四畳半、上はロフト。ベランダは私の部屋と続きになってます」
はい、はい、と話の途中途中で律儀に返事をするパンクスが可笑しくて堪らない葉子は、腹筋の痙攣を抑えるのに必死だ。地味な筋トレだ。
「隣は私の部屋で、弟さんとスミカ、あの人形みたいな子、二人の部屋は二階。風呂とトイレはリビングの横から行けます」
足早に説明し、スライディングでもするかの勢いでソファに戻って行く葉子の後ろ姿を、晴人は怪訝な表情で見つめた。
葉子はソファに身を沈めるなり足の間に顔を埋めて笑いを堪えた。パンクス、礼儀良過ぎ。
晴人も再びソファに座り、スミカからシェアに関する決まりごとの説明を聞いた。
白く塗られた壁を、紺色の広い屋根が覆い、新緑の香りを運ぶ風がそこを通り抜けて行く。広いルーフバルコニーからは眼下に川の流れが見える。川は、四季折々の変化が楽しめ、人足が絶えない。
四角いタイルの様な飛石を歩いて辿り着く先には、海外の映画に出てきそうな赤いポストが、細長い支柱に支えられて立っている。
茶色い木製の重厚な玄関ドアを開けて中に入ると、天窓から光が差し込むダイニングキッチン。奥には、赤いソファセットが目を引く、大きな窓に面したリビング。
玄関の右手には少し短い廊下があり、水色に塗られたドアが仲良く二つ、並んでいる。
リビングから木製の階段を上がると、ここにも水色のドアが二つ。
ここは「バードハウス」と名がつけられた、横浜の丘の上に建つシェアハウスだ。
一階の、一番広い個室の住人、横山葉子は、幼い頃から大切に手入れして弾きこんできたピアノが置けるようにと、他の部屋より少し高い家賃で、少し広い部屋を借りている。
ギターも少々嗜むので、騒音(と呼べるレベル)の観点から部屋は広い方が良い。
葉子は見た目は平凡、少々男勝りな性格で、言葉遣いも荒っぽい。男性遍歴は皆無だ。彼氏いない歴が年齢。
二階の右手にある部屋には、葉子の同僚である山下スミカが生活する。スミカはバードハウスのオーナーである資産家の孫で、カナダ人の父親と、日本人の母親をもつハーフ。
人形の様な可愛らしい風貌で周囲の注目を惹き、同僚の彼氏がいながらして他の男性からアプローチされるぐらいだ。常に人の輪の中心にいる。
一見、母親の様に穏やかに見えて冷静沈着、性に奔放、葉子とは正反対と言えよう。
二階の左側には、インターネットでシェアを希望してきた、小久保健人が暮らす。
健人は、葉子ら二人の母校に当たる国立大学の理学部で学ぶ大学院生で、遺伝子研究に勤しむ。
葉子もスミカも共に微生物の遺伝子研究所に勤務しているため、会話に事欠かないし、健人から見たら先輩に当たる葉子やスミカの話を聞く事は、健人にとって少なからず勉強になる。
黒縁の眼鏡の奥にある顔はそれなりに整っているが、口数は少なく、家にいる時は自室にこもっていることが多い。時々リビングに下りて来てはクッキーを食べている。
一階の手前側の一部屋が空室となっている。
スミカの祖母の持ち家であるこの家で、空き部屋があるからとて祖母が何か口を出したりする訳では無い。
しかし、空き部屋がある分、家賃負担と掃除の負担が葉子と健人にのし掛かっている事は確実であり、しがない会社員の葉子と、雀の涙程の仕送りやバイトで生活している健人は耐えきれず「シェア募集をしよう」とスミカに持ち掛けた。
スミカはファッション誌を読みながら「どっちでもいいけど」と言っ放った。彼女は自室の家賃を支払っていないから当然なのだが。
健人の時と同じようにインターネットで公募をかけようかと、三人で話していた時だった。
「シェアのアテがあるっちゃあるんだけど――」
健人がボソッと呟いた。
「あるなら初めから言えよー」
ソファの隣に座る健人の肩を、葉子がポカッと叩いた。
健人はずり下がった黒縁眼鏡を指で直しながら控えめに笑う。
「後で電話してみるよ」
その「アテ君」が今日、部屋の内覧に来る事になっている。
「健人とは、どういう関係なの?」
いそいそとお茶の用意をしながらスミカが尋ねたが、健人は片方の口端を上げながら笑みを作り「知り合い」と答えるだけだった。
何か特別な関係なのだろうか。恋人だったりして?葉子は邪推した。
約束の時間迄あと五分という所で、コツコツ、と石畳を硬いもので叩く様な、そんな足音が玄関に近づいた。リンドンと昔ながらの呼び鈴が鳴る。
葉子は「はいはーい」と走って行って玄関のドアを開けた。五月の爽やかな風が部屋へ流入した。
そこに立っていたのは、腰からウォレットチェーンを下げ、黒い革のライダースを身につけ、タータンチェックのパンツにエンジニアブーツを履いている、見るからに「パンク」なお兄さんだった。髪型も、色こそ黒いがソフトなモヒカンに近い。
対峙する形となった葉子は唖然とし、その様子を見に来たスミカは音が聞こえるぐらいの規模で息を呑んだ。
ただ一人、健人だけは「いらっしゃい」と冷静に声を出した。
「む、麦茶でいいですか?」
スミカが彼に尋ねると、意外と申し訳なさそうに「恐縮です」と答えたので、葉子は笑いを堪えきれず顔を覆った。
「恐縮です、だってよ」
キッチンに立つスミカの肩をバシバシ叩きながら耳元でクスクス笑う葉子を、スミカはやんわりたしなめた。
「人は見た目じゃないんだから」
「でもスミカだってビックリしてたじゃん、ヒュッて息飲んだの、聞こえたぞー」
「そうだけど」
さぁお茶出すよ、とスミカは四人分の麦茶が乗ったお盆をリビングのテーブルに運んだ。対面するソファに合わせて、四人分の麦茶を置く。
葉子は目の前に座る「アテ君」をチラチラと観察した。
何月だと思ってるんだ、もう五月だよ?暑くないの?ライダースにブーツってどんだけパンクス!
内心でそう語る葉子だが、好き好んで聴く音楽はパンクミュージックだったりするので興味は津々だ。
麦茶を配り終えたスミカがアテ君の隣に座り、「お名前聞いてもいいですか?」と覗き込むようにして会話の口火を切った。
「小久保です。小久保晴人です」
葉子とスミカは顔を見合わせ、示しを合わせたように二人揃って「小久保?」と首を捻った。
それに答えたのは健人だった。
「兄なんだ。種違いの兄ちゃん」
小久保晴人は無言で二度頷きながら、ライダースを脱いでいる。
「ああ、確かにチョット似てる、よね?」
葉子はスミカに話を振ると、スミカは「うん、何か似てる」と二人を交互に見た。
パンク色を無くした小久保晴人は、健人に似ているかもしれない。あるいはメガネを外した小久保健人は、晴人に似ているかも知れない。
「先に部屋を見てもらおうか?」
葉子は立ち上がり、「こっちです」と晴人を案内した。
葉子の部屋の手前、水色のドアを開けると、ギギィと古い金具の音がする。
「下が四畳半、上はロフト。ベランダは私の部屋と続きになってます」
はい、はい、と話の途中途中で律儀に返事をするパンクスが可笑しくて堪らない葉子は、腹筋の痙攣を抑えるのに必死だ。地味な筋トレだ。
「隣は私の部屋で、弟さんとスミカ、あの人形みたいな子、二人の部屋は二階。風呂とトイレはリビングの横から行けます」
足早に説明し、スライディングでもするかの勢いでソファに戻って行く葉子の後ろ姿を、晴人は怪訝な表情で見つめた。
葉子はソファに身を沈めるなり足の間に顔を埋めて笑いを堪えた。パンクス、礼儀良過ぎ。
晴人も再びソファに座り、スミカからシェアに関する決まりごとの説明を聞いた。