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飛騨の狐

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「弥助さんの言ってることはよくわからないね。角左衛門さんは庄屋ですよ。狐と何のかかわりがあるんです」
「隠さずとも良い、角左衛門に投宿している旅役者は狐だと解っておる」
 弥助には狐を匿う角左衛門は幕府隠密であるという確信が付きまとっているが、それをいっそう強く信じ込ませているのがお富の存在である。
「狐の仲間はいま何処に居るのか、お富は知っていようが。狐を集めで頼母を打つ謀議をしよう。頼母が気付かぬうちに事は急がねばならぬ」
 お富が弥助は正気なのかと疑う程にこの言葉は激しいものだった。弥助が「頼母憎し」の感情に動かされていることを知ったお富は、この男と組すれば頼母一派から身を守ることが出来ようと確信した。お富が床を叩くと、それが合図のように狐が飛び出して来る。驚いたのは弥助である。「あつ」と声を上げた。
「梅、桃、桜、飛騨の国の春を待ちわびる仲間だよ。弥助さんの助けをして働こう程に、遠慮なく使ってくださいよ」
 弥助は、言葉を発する余裕も無く、緊張した面持ちで目の前の狐を凝視している。狐は隠密装束に身を固め、弥助の出方を警戒しているような構えを取っていた。

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 角左衛門屋敷に国家老・斉藤頼母がお忍びで訪れたのはそれから一月後のことである。頼母は供侍に扮した弥助と女中姿のお富を従えてやってきた。それを迎えた角左衛門の脇には八重と尾由がいる。驚いたのは弥助である。
 角左衛門が丁重に頼母と挨拶を交わしている間中、弥助は隣のお富と向かいの尾由を目に穴の開くほどに見比べている。二人は全く同一人物に見えるのだ。先般、弥助がお富と見たのは尾由である。弥助の様子を見てお富と尾由はクスクスと笑っていた。
 上座に据えられた頼母は、落ち着かない様子で、何から話を切り出してよいのか迷っているようである。角左衛門は、八重と尾由を引き下がらせ、神妙に控えていた。
「今日伺ったのは他でもない。藩財政が逼迫し、このままでは士分の俸禄も支払えぬ。そこで、年貢をこれまでの倍に上げることに致した。貴殿の了承を得たいのだが」
「倍とは無体なことをおっしゃる。押し付ければ一揆になるは必定、幕府に上訴されれば大事に至ろう。頼母殿とて無事では済まぬと思うが」
「庄屋を務めるそなたの意見としては尤もじゃが、他に手段が無ければ致し方ない。農民が一揆を起こせば捕縛せねばならぬ、そうなれば庄屋であるそなたも一揆を唆した罪で処断されよう。たとえ制止したとしても一揆が起これば責任は負わねばならぬ。それをまぬかれる為のそなたの唯一つの道は拙者の命に従って行動することじゃ。さすれば一揆が起きても罪は問われまい。そのことは老中・但馬守殿がわれ等に約束されておる。ここまで明かした以上は、そなたはわれ等と行動をともにせねばなるまい。存念を聞かせてもらいたいものじゃ」
 頼母は言い終わると額の汗を拭いている。よほどに意を決したことであったらしい。但馬守の名を出したことは自らが幕府と通じていることを明かしたも同然であるから、角左衛門が味方であるとわかっていなければ出来ないことである。しかし、頼母にはその確信が無い。そこで、一揆が起これば庄屋である角左衛門も処断せねばならぬと脅しながら、自分たちに従っておれば一揆が起きても罪は免れると従順を求めたのであろう。
「「頼母殿の仰せは庄屋である拙者に一揆を唆せよと言っておられるとしか聞こえぬ。一揆が死罪であることを承知の上でのご発言は、領民を守るべき立場に居られる国家老の言葉とは思える。ましてや、一揆の責任を逃れようとの算段が見られるのはまことに遺憾。その上、老中・但馬守殿が一揆を事前に了承されているがごときご発言はもってのほかでござろう。公儀に聞こえでもすれば貴殿の首は刎ねられましょう。何事も軽々に口外なさらぬが賢明と存ずるが」
 角左衛門は頼母を押さえ込むように話した。弥助は頼母が但馬守の名を挙げたことに驚愕し両手を固く握り締めている。お富は唖然としたような顔だった。頼母の命脈はこれで切れたと思ってよい。それに気付いていないのか頼母は平然としていた。
「但馬守のことはここだけの話じゃ。おぬしも幕府隠密を勤め居るのなら承知のことではないか。ところで、この屋敷に旅役者が投宿していると聞き及んでいるが、身元は確かなのか」
 頼母は角左衛門に突っ込まれて顔をしかめると、反撃するように旅役者のことを持ち出した。このとき、お富が緊張する。
「旅役者のことなら安心されたい、彼等は狐でござる。われ等の仲間と心得られていい」
 弥助が頼母の詮索に止めをさすように言った。弥助はすでに頼母を排除する思いを抱いているらしい。弥助がお富に目配せすると、お富は口笛を吹いた。すると狐が現われる。
「頼母殿を案内せい」
 弥助の口調は厳しい。狼狽する頼母を狐たちが抱え込んで運び去る。それは瞬間の出来事であった。

 
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 その数日後、城では国家老・斉藤頼母殿失踪の騒ぎが起きていた。城方は八方手を尽して頼母の行方を捜したのだが見つからなかったのである。この事件は早速、江戸に伝えられた。知らせを受けた江戸家老・三浦多門は秘かに角左衛門と連絡を取るべく国許に密使を走らせる。
 この頃、弥助は事の顛末を但馬守に伝えているが、その中には狐のことは含まれていない。勿論、頼母が角左衛門を訪ねたことも伏していた。伝えられたのは頼母と多門の確執から藩内が二派に分かれ藩政が紊乱していることであった。その上に付け加えたのは、「斉藤頼母の行方については承知いたし居りますればご安心いただきたい。殿にはご迷惑のかからぬように処置します」であった。
 一方、角左衛門屋敷には狐六人衆が首を揃え頼母後の藩の動きを見張るための協議をしている。八重・桜、尾由・桃、お富・梅の三組に分かれて、城の高台に続く武家地、一段
低い処にある町人の町、その外に広がる村落を分担することになった。
「この機に、城内の頼母一派を洗い出し多門殿に知らせねばならぬ」と八重が言うと、
「町人がお城のことをどのように噂しているか確かめねばならぬ」と尾由が応える。
 それを聞きながらお富は、弥助のことが気がかりで、いまどき彼は何処で何をしているのかと思い巡らしている。弥助は狐を味方と見ているが、狐が藩侯の隠密であることが何時ばれるやも知れないと思うとお富にも一抹の不安がある。
「わたしと梅は、村落に潜んで農民たちに一揆の動きがあるや否やを確かめよう。弥助のことだが、頼母を生かしておけば幕府の高山藩取り潰しの陰謀が彼の口から何時漏れるやも知れぬと、頼母を亡き者にするであろう。その前に狐が頼母を江戸藩邸に運んで藩侯の面前ですべてを白状させれば、幕府は陰謀を取り止めるであろうと思う。探索にあわせてこれをもまたやってのけるべきではないか」
 お富が突然思いがけないことを言ったので一座に緊張が走る。狐たちはお富の次の言葉を待っているようだった。            
「弥助を殺るのが先じゃないかね。頼母のことを知るのは弥助と狐だけだから」
 口を切ったのは八重だった。狐たちは驚いて顔を見合わせる。その様子を見ながらお富が言う。
作品名:飛騨の狐 作家名:佐武寛