コックリさんの歌
ぎしぎしと、板張りの床が鳴る。
「足元気を付けなよ、腐ってる見たいだし、踏み抜いて怪我しないようにね」
「大丈夫ですよ。下沢さんが踏み抜いていないのですから」
「どういうことだおいっ!」
見ての通りの感想だろう。小学生サイズのハナちゃんと、丸々とふとましい巨漢の警官を比べてはいけないだろう。
「――くちゅん」
「マスク持ってくればよかったね」
廃校の中は埃っぽい。懐中電灯で照らされた虚空には大量の塵埃が舞っている。
保存状態はそこそこ良好であり、黒板に書かれていた落書きは今なお廃校での子供たちの生活を物語っていた。廃校は1984年、コックリさんブームが完全になりを潜めた頃だろうか。第二次ベビーブームが起こった頃ではあるが、そもそもこの村に住む人間がいなくなっているのだから、不思議な話ではないのだろう。
事件現場が近付いてくる。現場はこの学校では最後まで使われた教室だ。
教室の黒板には、この学校と別れを惜しむ子供たちの言葉で埋め尽くされていた。そしてその反対側、掲示板の方には十個ほど、小さな子供サイズの勉強机が積まれている。
そして教室の中央にはたった一つだけ、机が置かれている。その周りに三つ、椅子が置かれており、机には蝋燭らしき白蝋が固まり、へばり付いていた。
「今回は裏付けの下調べだ。気になることがあれば言ってくれ」
下沢の声に、僕たちは思い思いの方法で教室を調べ始めた。
板張りの床がギシギシとなる。風で罅の入ったガラス戸がガタガタとなる。
むぅ、特に変わったことはないぞ。普通の夜の廃校だ。夜の廃校という時点で何が普通なのか分からないが、特にこれと言って異変はないように見える。
「所で才川、ちょっとやっておきたいことがあるんだが」
「あー、うん。言わなくても分かるや」
下沢の手には、男と女、はいといいえ、五十音表と数字、そして鳥居のマークが書かれた紙が握られていた。
「現場検証は昼やるからな。本当にコックリさんとやらが来るのか、それは夜でもなのか、確かめておかないと」
そう言って、下沢はその小さな机に紙と十円玉を置く。下沢が持ってきた懐中電灯はランタンを兼ねており、光を拡散させて周囲を照らすことができる。その機能を用いて、下沢は机を照らした。
「うっわぁ、マジでやるのですか」
「気が進まない?」
「そりゃもう。滅茶苦茶気が進まないのです」
ハナちゃんがそういうのだから、マジでやばいのだろう。ここでコックリさんをやるというのは。この子は胆力はあるが、同時に警戒心も人一倍なのだ。
だが仕事は仕事。自分が喰わせてもらっていることを理解しているのか、ハナちゃんは一言愚痴るだけで大人しく席に着いた。ここは渋ってもいいんだけどなぁ。
そうして、男二人と少女一人が学校の机を囲む。
机の上に広げられた紙、その上に置かれている十円玉にそれぞれが指を添える。
「「「こっくりさん、こっくりさん、おいでください」」」
合唱する歌は、祟りを招く歌だ。自らを呪う為に、祟り神を呼び起こす呪われた一節だ。
その一節を唱えると、空気はしんと静まり返り、どこからか水の音と汚泥の匂いが漂ってくる。
途端、懐中電灯の灯が落ちる。一時の闇の後に、ぼぅっと蒼い炎が虚空を燃やす。
ざわざわと空気が騒ぐ。そこかしこで影が騒ぐ。
「ど、どういうことだよっ!」
下沢の焦りに満ちた声。その震える声の所為で、余計に空気が張り詰めてゆく。
「絶対に、十円玉から指を離すなよ。『憑かれる』ぞ」
――どこからか、笑い声が聞こえてくる。
まるで地の底から響いて来るような、不快な笑い声。けらけら、けらけらと。やがて笑い声は教室を満たしていく。
「ひ、ひぃぁっ!」
「下沢ぁっ!」
下沢は跳び上がる。何か良くないモノを見たらしい。
「下沢さん、落ち着いて……」
ハナちゃんの声を聞くこともなく、下沢は遂に十円玉から手を離して教室から逃げ出す。
「下沢さんっ!」
「ほっとけっ! 追いかけると僕たちも呑みこまれるぞっ!」
けらけらと笑い転げる物の怪たち。それらを尻目に、僕たちは『儀式』を続ける。
「「こっくりさん。ありがとうございます。お離れください」」
僕たちはそう唱えた。しかし、一向に彼らはここから去ろうとしない。
『質問だ、何も質問をせずに返す馬鹿がいるか!』
ふと、ハナちゃんのポシェットの中から声が聞こえる。アマミさんだ。下沢がいたので黙っていたのだが、逃げたことを確認してか、そう檄を飛ばす。
『質問の内容を間違えるなよ。下手するとこのまま取って食われることもありえる』
畜生。こんな時、アマミさんの持つ謎の説得力が恨めしい。
質問を考える。彼らはどんな質問を望むだろうか?
彼らはコックリの名に示される妖怪の類ではないのは明白だ。そもそも言った筈だ、こんな簡易的な儀式で妖孤や天狗、化狸と言った大妖怪を召喚できる筈がないのだ。
ならば、彼らの正体とは? 簡単だ。こんなもので呼べるものと言ったらその辺の低俗霊だ。狐狗狸と言った儀式様式に影響された物の怪の類。それが彼だ。
――ならば、その低俗霊が何故こんな目に見えるほどの力を持つに至ったのか。
ハナちゃんの霊媒体質か? いや、これは関係ない。ハナちゃんの霊媒体質が故にこのような状態に陥っているのならば、そもそも子供たちは大した影響もなく家に帰れたはず。
ならば、この怪異そのものが元々強い力を持っていたことになる。
そして、彼ら低俗霊には質問に答えて人間を助けよう、なんて奇特な考えがあるというわけではない筈だ。彼らは妄念の塊。ならば、それを叶えることこそが、この状況をクリアするための条件であるのではないか?
ならば、こう質問しよう。
「君たちは、なんだ?」
十円玉が踊る。こ、つ、く、り――と自らの正体を伝える。
「君たちは、何者なんだ?」
十円玉が踊る。し、た、を、み、ろ――。
視線を足元へと向ける。
けらけら、けらけら。
けらけら、けらけら、けらけら……。