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プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【最終章】

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「森の奥へ行ってもいいですか? できれば一人で」
「あなたも樹と話せるの?」
「さて、どうでしょう。北に棲む白い獅子には、かろうじて通じましたけど……」
 ブルーベルさんは、私の黒衣をじっと見てから言いました。
「自然にできた影が森のどこへ行こうと、月蛍会の知るところではありません」
「ありがとうございます」
 私は散策路を外れると、大樹たちが寄り添う草深いところを進んでいきました。


 第五十九話 神託

 私は苔むした森の奥深くで、何も考えず、ただ足の向くままに進んでいきました。
 木の葉のそよぎが止み、おしゃべりな小鳥たちもいなくなって、気づけば草を踏みしめる自分の足音だけがそこにありました。それでいて、さわさわと音にならぬ音に囲まれている気配があります。森の精霊たちが、私の一挙一動に注目しているのがわかりました。
 時間も距離も忘れて、私は気が済むまで歩きつづけました。
 もうとっくに日が暮れてもおかしくない頃なのに、森の薄明るい感じはいつまでも変わりません。
 もしやイタズラ好きの妖精に化かされて、同じ時間を回っているだけなのでは?
 そう思って引き返そうとしたときでした。
(疑ってはなりません)
 どこからか女の声がしました。
「樹の精さん?」
(それは、あなたが真に求めている相手ですか?)
「たぶん、ちがうと思います」
(真実を求めなさい)
「真実……」
 私は兼ねてから思っていた疑問を口にしました。
「私は……私はいったい、誰なんですか?」
(やっと、聞いてくれましたね。これから何を知っても、逃げ出さないと誓えますか?)
「誓います。すべての人を幸せにできるなら、私は誰であろうと構いません」
(では、一歩前へ)
 私は謎の声に従いました。
 すると、鬱蒼とした木々が一瞬にして消え去り、山のように大きな樹が一本だけ生えた丘が現れました。大樹は天高くのびていて、てっぺんが見えません。
 丘を上って大樹の麓まで行くと、巨大な根のうねりが果てるところに、古びた石碑が一つ立っているのが見えました。北の果ての岬、海賊島の頂、古都の白塔。癒神エキナスの足跡を記した遺物らしきものは、これで四つ目です。
 私は近づいていって、碑文を読みました。
「あなたは私。私はあなた」
 それだけです。
 それで充分でした。
 肩の力がすうっと抜け、自分が自分でないという漠然とした不安と焦りが消え去っていきました。
「地上のすべての人を幸せにする方法を見つける。それがただ一つの救いの道だと思います」
 謎の声は聞こえなくなりました。
 きっともう聞くことはないでしょう。
 何かに迷うことがあっても、これからは私自身に聞けばいいのです。


 第六十話 自然に託す

 ブルーベル女史襲撃事件があってから、カウスリーの町興し党と森林保護団体『月蛍会』の対立は、深まるばかりでした。
 私は原始の森を守ることが自然の理に沿った正しい道と知っていましたが、それを今、言葉で説こうとエネルギーを費やしても無駄であろうともわかっていました。
 事実を語るには、人間の言葉はあまりに不完全です。美術や音楽、不言の行動やパフォーマンスなど、他の表現方法も見つけて、それを認めるようにならなければ、人間が自然を理解するまでに、きっと何万年もかかってしまうでしょう。
 今、私にできるのは、自然の流れにすべてを預けることだけです。
 抵抗や努力を要さない自然な道とは、なんでしょう?
 私は町興し党を説得することも、森林保護団体に与することもせず、カウスリーを去ることに決めました。

 カウスリーの駅で馬車を待っていると、駅前広場から人々の歓声が聞こえてきました。カスターランド政府が東岸鉄道の延長を認めたそうです。工事はさっそく明日から始まるとのことでした。
 南のセントリーから来る馬車が遅れているようです。
 私は誰かの強い意識が、到着を妨害しているのだと感じていました。
 ほどなく、血相を変えたブルーベルさんが、護衛の男を引き連れて駅の待合室に駆けこんできました。
「書き置きだけ残して、いきなり帰っちゃうなんて、ひどいじゃない。あなたは私の味方じゃなかったの? 神がかった力で、町興し党を裁いてくれるんじゃなかったの?」
「私にそんな力はありませんよ」
「あなたが動かないなら、もう実力行使しかない」
 ブルーベルさんがテロ活動に走るという未来図が、私の脳裏をよぎりました。
 私は彼女の手を取り、小さく言いました。
「武器を持って戦えば、あなたはすぐに命を落とすでしょう。お世話になったお礼に、大事なことを教えてあげます。これから三、四日の間は、森のそばの事務所から絶対出ないようにしてください」
「戦うにしたって準備もあるから、それくらいはできるけど」
「武器はもういらなくなるでしょう。獣を追い払う分だけ残せばいいと思います」
「どういうこと?」
「私にわかることは、それだけです」
 言うべきことが済んだと同時に、遅れていた馬車がやってきました。
 客車に乗りこんで席についたとき、稲光のような予感がよぎりました。
 私は窓を開け、見送りの女史に言いました。
「さっきの話、一つ訂正します。原始の森の中へ逃げてください」
「事務所が襲撃されるの?」
「わかりません。とにかくできるだけ奥へ。お願いしますね」

 カウスリーを出た馬車は、右手に海を望みながら、半日かけてマグワートの駅にたどり着きました。
 私はついに、大陸一周を果たしました。
 プリムローズさんを送るため、一度ここへ帰ってきているせいか、思ったほどには感動しませんでしたが、それでもハンカチは必要でした。
 馬車を下りると、外はすっかり暗くなっていました。今日の船便はもうありません。
 私は駅前の宿に一泊することにしました。

 翌朝、激しい雷雨の音で目が覚めました。
 ホテルのフロントへ行くと、海が時化で船は終日欠航、という知らせを受けました。
 はやる気持ちを抑えつつ、連泊することにしました。

 次の日も時化でした。三連泊。

 マグワートに着いて四日目の朝、ようやく天気が回復しました。
 私は宿を出てマグワート港へ向かうと、チケットを買いに旅客ターミナルへ入りました。
 いつもは騒々しい発着ロビーが、今日はなぜか神妙な静けさに包まれています。
 旅客たちは揃って、今朝の新聞に目を通していました。
 私はベンチに座って改札を待っているお婆さんの背後にまわって、こっそり記事を覗きこみました。
 一面の見出しはこうです。
『カウスリーが一夜にして消失』
「!」
 私は思わず両手で口を押さえました。
 消失ですって? 神の悪戯にしたって程があります。
 気を取り直し、記事をよく読みました。
『地盤が大きく陥没し、低地だったカウスリーが町ごと海に沈んだ』とあります。
 農地を飲みこんだ海は原始の森のそばまで迫り、地図を大幅に書き換えなければならないとのことでした。町民の安否についてはまだ何もわかっていません。
 ブルーベルさんら月蛍会の危機を救うために行った予知の正体が、まさか有史以来の大天災だったなんて……。