プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【最終章】
人間の破壊行為に対する大自然の返答は、あまりに厳しいものでした。
第六十一話 帰郷、そして...
蒸気船ウォルナット号は、マグワート港を出ると三日かけて荒海を渡り、大エルダー島のクラリー港に到着しました。
旅立ちのとき、あれほど船酔いをしていた私が、今はなんともありません。私は忘れていた自分を取り戻すとともに、自身を癒す力も一緒に取り返したのです。
港にお出迎えはありませんでした。私が今日帰ることなんて誰も知りませんから、当然でしょう。
せっかく故郷に帰ってきたというのに、感慨はほんの少しだけでした。その理由を私は知っていました。島も大陸も海も山も、何もかもが、私の故郷だと思えるようになったからです。
私はもう、どこにいてもいいのです。
さて、私はこれから大事なことを伝えるために、癒術学校へ向かわねばなりません。
港のターミナルを出て、まっすぐ山へ向かう坂通りをしばらく上っていくと、木造二階建ての校舎が幾棟も連なっているのが見えてきました。芝生のグラウンドでは、黒衣の少女たちが、動物じみたポーズでストレッチしています。
懐かしい……私は目的を忘れ、生け垣のそばに突っ立って授業の様子を見ていました。
すると、栗毛の少女が一人こちらへ走ってきました。
「プラム! 帰ってきたんだ!」
兄譲りの勝ち気な顔は忘れもしません。海賊ロックローズ三世の妹、プリムローズさんです。
ん? 彼女がこのグラウンドで瞑想の訓練をしているということは……。
「プリムさん! も、もしかして……」
「そう。なんか、その、合格しちゃった」
プリムさんは恥ずかしそうに微笑みました。
彼女は今、癒術学校の二年生です。合格の一報が届いてからしばらく、ヘイゼル諸島は村を上げてのお祭り騒ぎで、後に『プリムローズの日』という祝日まで、できてしまったそうです。
「私……うれしい……」
私はその場で泣き崩れました。
心の底で言葉にはせずとも、ずっと温めていた思いがありました。
人は誰でも癒師になれる。エルダー人だけが特別じゃない、と。
この世から不幸と破壊をなくしていくための第一歩を踏み切ったと、私は確信しました。
人は誰でも癒師になれるのです。自分自身を救えるのです。
「そろそろ帰ってくる頃だと思ってたのに、こんな所で油を売ってたのね」
背後の声に驚いてふり返ると、黒衣をまとった白髪の老女が立っていました。
しみ一つない聖人の顔には、穏やかな微笑みが広がっていました。
「アンジェリカ学長!」
現役で唯一『大癒師』の称号をもつ、癒師の長ともいえる人です。
「長旅疲れたでしょう。本試験はいつでも受け付けます。しっかり休んでから来なさいね」
「そのことで、お話があります」
学長は生まれつき笑っているような顔を傾げました。
「なんでしょう? まさか、修行の旅が足りないとか、言い出すつもり?」
「半分は合ってます」
「試験総監の私が言うのも何だけど、あなたはもう立派な癒師よ。今度の試験なんて形式的な手続きみたいなものだわ」
私は咳払いすると、言いました。
「私、本試験は生涯受けません」
アンジェリカ学長は驚いた顔で何か口ごもりました。
すかさず、プリムさんが騒ぎたてました。
「なによそれ! せっかく合格できるって、言ってくれてるのに?」
私は微笑みました。
「癒師に肩書きは必要ありません。その気になりさえすれば、誰にでもなれるんです。特別な力がなくても、自分が心からやりたいことをやっていれば、その人はもう立派な癒師です。私は一生旅をつづけ、一人でも多くの人を癒師にして、いつの日か世の中のすべての不幸と病がなくなるようにしたいと思ってます」
私は天を見上げ、それから……。
大癒師アンジェリカを見つめました。
「私が何度もこの地上に帰ってくるのは、そのためです」
「!」
学長は細い目をかっと見開きました。
顔に微笑みが戻ると、大癒師アンジェリカは片膝をつき、私の手を取りました。
「癒神様、おかえりなさい。そして、いってらっしゃい」
おわり
作品名:プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【最終章】 作家名:あずまや