プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【最終章】
【最終章 帰郷、そして……】
第五十八話 町興しに抗う人々
ホーソーン川河口の北にある、カスターランド南部の漁村セントリーには、東岸鉄道が経営する路線馬車の始発駅がありました。
停留所で馬車を待っている間、地元で噂となっている情報を耳にしました。北国と東国を結ぶ鉄道路線は、カスターランド第二の都市マグワートから南下して、カウスリーという農業の町を通り、ここセントリーまで延長する計画があるのだそうです。
待合小屋のベンチに座って耳をすませていると、地元民とおぼしき男たちの会話が聞こえてきました。
「計画はあくまで計画だ。ったく、何年先になることやら」
「カウスリーは、まだ揉めてんのか?」
「相変わらず、町興し党と森林保護党がにらみ合ってるんだとよ」
「線路敷くぐれぇ、いいじゃねぇか」
「カウスリーの畑はもう目一杯だ。鉄道がきて町の経済が活気づくと、もっと農地が必要になるから、森を伐採しなきゃならないんだとよ」
「木を切ったら何だってんだよ。雑草みてぇにまた生えてくるだろうが」
セントリーを出た馬車はしばらくの間、砂浜沿いの道を走りました。
私は水平線を見つめながら考えていました。私の旅はすでに計画より一年以上も帰郷が遅れています。よほどのことがない限り、マグワートの港まで直行して、島へ帰る……つもりだったのですが、予定を変更する気になりました。
馬車は二日かけてマグワートへ行く便でしたが、私は停泊地カウスリーで下車を申し出ました。
切符代が無駄になることは気になりませんでした。お金より大事なことが待っている気がしてならないのです。
カウスリーは、カスターランド中部のフォーンに次ぐ農作物の大生産地で、『天下の青果店』とも呼ばれていました。市場に活気はあるのですが、都会の近代化の波がここにも押し寄せていて、若者の田舎離れが目立ち、後継者問題に揺れていました。
町は過疎化を食い止めるべく、カスターランド政府に鉄道延長を働きかけていました。交通の便をはかったり、町の開発を進めたりして、若者を呼び戻そうというわけです。
そこに待ったをかけたのが、森林保護団体『月蛍(げっけい)会』の人々でした。
月蛍……癒師がつけるピアスと同じ名前を冠しています。
私はさっそく、会の事務所を訪ねることにしました。
カウスリーの中心街を出て、広大な農地を横切り、西へ西へ歩くと、千尋の森が左右に広がりました。
原始の森……古代人がこの土地に入植する前からあったというその森は、他の土地なら御神木と崇めそうな大樹が、当たり前のように連なっています。
原始の森に人が立ち入ることを許された散策路は、ただ一本だけです。森の入口には丸太小屋が一軒立っていました。管理事務所にしては大きなその建物こそ、月蛍会の本部なのでした。
私は小屋のそばまで行くと、何もせずにしばらく様子を伺っていました。
森を訪れる人はいっこうにやってきません。
青い空と、木の葉のざわめきと、小鳥や獣の疎通だけがそこにありました。
森林保護団体『月蛍会』……か。役所や警察、病院など、権力を思わせる集団は苦手です。
私は小屋の玄関までは来たものの、ノックするのをためらっていました。
「大丈夫。お話を聞きにきただけ」
意を決して、握り拳を扉に寄せました。
そのときです。丸太小屋の中で銃声がしました。
ほどなく頭巾をかぶった男が、横の窓を割って、草原を駆けていきました。
私はドアを開けて呼びかけました。
「お怪我はありませんか!」
すると、奥から結い髪の若い女が駆けつけてきて、私に言いました。
「その格好……あなた癒師よね? 医者が来るまで、彼女を守ってくれる?」
ブルーベルと名乗る会の代表は、ふり返りました。
視線をたどると、血を流して倒れている中年の婦人が目に入りました。
私は患者に駆け寄ると、トランクから包帯を出して止血の手当をし、鉛の毒を打ち消す波動を送りました。あくまで応急処置です。銃弾を抜きとる外科手術は、医者に任せるしかありません。
代表の指示で、一人の男が医者を呼びに、小屋を出て行きました。
私は施術をつづけながら、ブルーベルさんに言いました。
「逃げた男は何者ですか?」
ブルーベルさんはため息をつきました。
「町興し党の過激派よ。私を狙ったの」
幸い、銃弾を受けた女性は一命を取りとめ、カウスリーの中央病院に運ばれていきました。
月蛍会の発起人であるブルーベルさんは、頭が切れ人望もあるため、小さな組織であっても町興し党と張り合うことができました。いわゆるカリスマです。しかしながら、会には彼女につづく人物がいないため、組織の崩壊を企む人々に、たびたび命を狙われていたのでした。
私とブルーベルさんは丸太小屋を出ると、散策路を少し入って、巨大な南部杉の根元で話をしました。
ブルーベルさんは結い髪をふりほどくと、笑顔で言いました。
「珍しいわね。旅の癒師さんが南部を通るなんて。普通はマグワート発着でしょ?」
「パスクの山からホーソーン川を下ってきました」
ブルーベルさんはぽかんと口を開け、あきれ顔で言いました。
「よほどのバカか、よほどの聖人様のどちらかね」
「あの、月蛍会という名前について、ちょっと聞きたいのですが……」
「あ、やっぱり気になった? 私ね、エルダー人と大陸人のクォーターなのよ。癒師には憧れたんだけど、混血は才能を発揮できないっていうでしょ? で、聖地への渡島は諦めた。そしたらある日突然、樹と話せるようになってね」
「樹と、ですか?」
私は洞(うろ)の目立つ古杉を見上げました。
「森を守ってほしいって、頼まれたの。そういう仕事も、癒師の血を引く者のつとめかと思って、ちなんだ名前をつけたってわけよ」
「でも私、権力で権力に立ち向かうようなやり方は、賛成できません」
ブルーベルさんは驚いたように私を見て、言いました。
「この杉(かのじょ)にも、同じことを言われたわ」
「私だけでなく、癒師なら皆、そう言うでしょう」
「だけど、私にどうしろっていうの? 放っておけば、原始の森はどんどん切られていくのよ?」
「でも、切らなければ、町はいずれ高齢化で衰退してしまうでしょうね」
「それは、何でも人間が中心っていうエゴ以外の、何ものでもないわ。これ以上開発しなきゃいけないなら、逆に人間が進んで数を減らせばいいのよ。不妊でも去勢でも、なんでもすればいいんだわ」
「!」
私は雷に打たれたように背筋を張りました。
私が旅をする本当の目的。それが今、わかったのです。
自分は幸せじゃない、何かが不足している。意識にせよ無意識にせよ、そう感じている人々がエゴを発揮して、地上を不毛の大地に変えようとしているのです。その力が内側に向くと、人は自分の体という名の大地を荒らして、自傷の道へ走ります。
それらを解決するには、すべての人が幸せになるしかありません。
道理は簡単そのものですが、その方法を見つけるとなると……。私は何度生まれ変わらなければならないのでしょうか。想像しただけで、気が遠くなってきます。
私はブルーベルさんに言いました。
第五十八話 町興しに抗う人々
ホーソーン川河口の北にある、カスターランド南部の漁村セントリーには、東岸鉄道が経営する路線馬車の始発駅がありました。
停留所で馬車を待っている間、地元で噂となっている情報を耳にしました。北国と東国を結ぶ鉄道路線は、カスターランド第二の都市マグワートから南下して、カウスリーという農業の町を通り、ここセントリーまで延長する計画があるのだそうです。
待合小屋のベンチに座って耳をすませていると、地元民とおぼしき男たちの会話が聞こえてきました。
「計画はあくまで計画だ。ったく、何年先になることやら」
「カウスリーは、まだ揉めてんのか?」
「相変わらず、町興し党と森林保護党がにらみ合ってるんだとよ」
「線路敷くぐれぇ、いいじゃねぇか」
「カウスリーの畑はもう目一杯だ。鉄道がきて町の経済が活気づくと、もっと農地が必要になるから、森を伐採しなきゃならないんだとよ」
「木を切ったら何だってんだよ。雑草みてぇにまた生えてくるだろうが」
セントリーを出た馬車はしばらくの間、砂浜沿いの道を走りました。
私は水平線を見つめながら考えていました。私の旅はすでに計画より一年以上も帰郷が遅れています。よほどのことがない限り、マグワートの港まで直行して、島へ帰る……つもりだったのですが、予定を変更する気になりました。
馬車は二日かけてマグワートへ行く便でしたが、私は停泊地カウスリーで下車を申し出ました。
切符代が無駄になることは気になりませんでした。お金より大事なことが待っている気がしてならないのです。
カウスリーは、カスターランド中部のフォーンに次ぐ農作物の大生産地で、『天下の青果店』とも呼ばれていました。市場に活気はあるのですが、都会の近代化の波がここにも押し寄せていて、若者の田舎離れが目立ち、後継者問題に揺れていました。
町は過疎化を食い止めるべく、カスターランド政府に鉄道延長を働きかけていました。交通の便をはかったり、町の開発を進めたりして、若者を呼び戻そうというわけです。
そこに待ったをかけたのが、森林保護団体『月蛍(げっけい)会』の人々でした。
月蛍……癒師がつけるピアスと同じ名前を冠しています。
私はさっそく、会の事務所を訪ねることにしました。
カウスリーの中心街を出て、広大な農地を横切り、西へ西へ歩くと、千尋の森が左右に広がりました。
原始の森……古代人がこの土地に入植する前からあったというその森は、他の土地なら御神木と崇めそうな大樹が、当たり前のように連なっています。
原始の森に人が立ち入ることを許された散策路は、ただ一本だけです。森の入口には丸太小屋が一軒立っていました。管理事務所にしては大きなその建物こそ、月蛍会の本部なのでした。
私は小屋のそばまで行くと、何もせずにしばらく様子を伺っていました。
森を訪れる人はいっこうにやってきません。
青い空と、木の葉のざわめきと、小鳥や獣の疎通だけがそこにありました。
森林保護団体『月蛍会』……か。役所や警察、病院など、権力を思わせる集団は苦手です。
私は小屋の玄関までは来たものの、ノックするのをためらっていました。
「大丈夫。お話を聞きにきただけ」
意を決して、握り拳を扉に寄せました。
そのときです。丸太小屋の中で銃声がしました。
ほどなく頭巾をかぶった男が、横の窓を割って、草原を駆けていきました。
私はドアを開けて呼びかけました。
「お怪我はありませんか!」
すると、奥から結い髪の若い女が駆けつけてきて、私に言いました。
「その格好……あなた癒師よね? 医者が来るまで、彼女を守ってくれる?」
ブルーベルと名乗る会の代表は、ふり返りました。
視線をたどると、血を流して倒れている中年の婦人が目に入りました。
私は患者に駆け寄ると、トランクから包帯を出して止血の手当をし、鉛の毒を打ち消す波動を送りました。あくまで応急処置です。銃弾を抜きとる外科手術は、医者に任せるしかありません。
代表の指示で、一人の男が医者を呼びに、小屋を出て行きました。
私は施術をつづけながら、ブルーベルさんに言いました。
「逃げた男は何者ですか?」
ブルーベルさんはため息をつきました。
「町興し党の過激派よ。私を狙ったの」
幸い、銃弾を受けた女性は一命を取りとめ、カウスリーの中央病院に運ばれていきました。
月蛍会の発起人であるブルーベルさんは、頭が切れ人望もあるため、小さな組織であっても町興し党と張り合うことができました。いわゆるカリスマです。しかしながら、会には彼女につづく人物がいないため、組織の崩壊を企む人々に、たびたび命を狙われていたのでした。
私とブルーベルさんは丸太小屋を出ると、散策路を少し入って、巨大な南部杉の根元で話をしました。
ブルーベルさんは結い髪をふりほどくと、笑顔で言いました。
「珍しいわね。旅の癒師さんが南部を通るなんて。普通はマグワート発着でしょ?」
「パスクの山からホーソーン川を下ってきました」
ブルーベルさんはぽかんと口を開け、あきれ顔で言いました。
「よほどのバカか、よほどの聖人様のどちらかね」
「あの、月蛍会という名前について、ちょっと聞きたいのですが……」
「あ、やっぱり気になった? 私ね、エルダー人と大陸人のクォーターなのよ。癒師には憧れたんだけど、混血は才能を発揮できないっていうでしょ? で、聖地への渡島は諦めた。そしたらある日突然、樹と話せるようになってね」
「樹と、ですか?」
私は洞(うろ)の目立つ古杉を見上げました。
「森を守ってほしいって、頼まれたの。そういう仕事も、癒師の血を引く者のつとめかと思って、ちなんだ名前をつけたってわけよ」
「でも私、権力で権力に立ち向かうようなやり方は、賛成できません」
ブルーベルさんは驚いたように私を見て、言いました。
「この杉(かのじょ)にも、同じことを言われたわ」
「私だけでなく、癒師なら皆、そう言うでしょう」
「だけど、私にどうしろっていうの? 放っておけば、原始の森はどんどん切られていくのよ?」
「でも、切らなければ、町はいずれ高齢化で衰退してしまうでしょうね」
「それは、何でも人間が中心っていうエゴ以外の、何ものでもないわ。これ以上開発しなきゃいけないなら、逆に人間が進んで数を減らせばいいのよ。不妊でも去勢でも、なんでもすればいいんだわ」
「!」
私は雷に打たれたように背筋を張りました。
私が旅をする本当の目的。それが今、わかったのです。
自分は幸せじゃない、何かが不足している。意識にせよ無意識にせよ、そう感じている人々がエゴを発揮して、地上を不毛の大地に変えようとしているのです。その力が内側に向くと、人は自分の体という名の大地を荒らして、自傷の道へ走ります。
それらを解決するには、すべての人が幸せになるしかありません。
道理は簡単そのものですが、その方法を見つけるとなると……。私は何度生まれ変わらなければならないのでしょうか。想像しただけで、気が遠くなってきます。
私はブルーベルさんに言いました。
作品名:プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【最終章】 作家名:あずまや