復興した国
兄さんのその言葉が頭の中で木霊する。何度も頭の中の空間にぶつかっては反響していく。けれども言葉はだんだん大きく聞こえてきて、やがて僕の耳元で怒鳴るほど大きくなっていく気がした。
「何がおかしいの?」
僕は尋ねる。沈黙が包む。
「何か…忘れている気がするんだ。どこか見落としている」
兄さんは起き上がってロウソクに火を灯す。その光が異様に眩しかった。
机の所に行き、そこへ広げられている資料へ目を通している。暫く資料を眺める。雨に音を消されているが、時計は時を刻んでいた。
「嘘だろ…!」
その言葉に僕は反応した。ベッドから出てそばに駆け寄る。兄さんは険しい表情で別の場所を見ながら僕に2つの資料を渡した。
1つは等高線で示されたこの土地の地図、もう1つはこの土地の詳細な水源と河川が示された地図だった。
「2つを重ねてみろ」
僕はその言葉通りに2つを重ねて場所を統合させる。ロウソクの光で2つの地図を透かしてみた。
「新しく作られた川と合流地点の高度を見てみろ」
災害後に作られた川は緑で示されていた。もともとあった川は青で色付けされている。合流地点というのはその2つが重なるところであった。
「新しい川は水の流れや高度に合うように作られているんだ」
「?それでいいんじゃないの?」
「間違ってはいないさ。けどそれで、もともとあった川が水の流れに反するようになってしまったんだ。この土地は歪だ。高度は全体的に奥へ行くほど高くなっているが、場所によっては低くなっている所が多い。錆びた橋のある川の上流は周りより隆起している場所がある。そのせいで川の流れは悪いんだ。けど新しい川が作られたせいで水は流れに、高度にそった方へ多く流れていく」
指で河川をなぞっていく。その先には国の中にある橋へと向かって行った。
「そしてこれと同じ事が隣の山にある川でも行われてる。この山はプポピヌスが多く生えていて人々は伐採して筏を作り、それに乗って国へ運ぶ。この川の流れはおそらく意図的にやったんだろうな。国に流れる川の軌道に入りやすくするために。…問題は伐採された山だ。山が水を蓄えておく力が落ちて雨水は一気に流れていく。雨季は一週間ほど前から始まっているから今は一番危ない」
「けど、兄さん!その話はわかるけど、そしたら毎年危ないことになるよ。それに災害以来、川の氾濫は起こってないし大丈夫なんじゃないの?」
「毎年危ないんじゃない。毎年危なくなっているんだよ」
「どういうこと?」
「17人の旅人はどうして、この辺にたくさんある石じゃなくて敢えて鉄を使ったんだ?これは仮説だけど彼らは鉄しか使えなかったんじゃないか。鉄に関しては自在と言っていいほど扱えるけど石はどうしようもなかった。彼らは鉄の専門部隊だったんだよ。おそらく北側にある国を目指していたんだろうけど、この土地の気候は厳しい。ここへ辿り着いたのはわずか17人。そして彼らを助けたのは災害によって国が瓦解してしまった人々だったんだ。生活に余裕があるわけでもないのに彼らを介抱してくれた人々。細々ながら国を復興させよとしている人々を見て、旅人達が何を思ったのか詳細はわからないけど、橋とダムを作った。そして彼らは自分達が目指している場所へ向かったんじゃないかな。けれども彼らは鉄で橋を作たんだ。石があるのに敢えて鉄で作った。全てとは言わないが、おそらくダムも鉄できているに違いない」
「そしたら、ダムはあの橋みたいに…」
「鉄の部分は十中八九錆だらけだ」
「でもまだ鉄が使われているって確証があるわけじゃないよ」
「この土地の雨は激しい。街中にある建物を見たか?屋根がボロボロだ。図書館は雨漏りしている所もあった。たとえ石で作られていたとしてもかなり脆くなっているはずだ」
僕は手元にある水源の地図を見つめる。ここより高い場所にある湖。湖から流れる2つの川。その片方はダムとなって、山に囲まれた部分を水で満たしている。そしてもう一つの川は―――。
突然頭を打たれたように衝撃が走った。
「兄さん!この川がある谷、3日前に落ちた落雷でプポピヌスの森林が全焼してるよ!」
「その話本当か!?」
「聞いた話だけど。この国から4つ上にある山に落雷が落ちて谷全体が燃えったって」
「そしたら今年はさらに水量が増す」
兄さんは続けた。
「また大洪水が起こるぞ」
僕は無言で頷き、荷物をまとめ始めた。
祭典ということもあってかホテルのロビーには人が集まっていたし、カウンターには従業員が待機していた。「急用を思い出したのでここを出る」と言ってチェックアウトした。
預かってもらったモーターサイクルを受け取ってホテルを出る。
「この国の人達に知らせなくていいの?」
「まだ起こると決まったわけじゃないし、話も信じてもらえる確証はない。それに国の事情に余所者は関わらないほうがいい、たとえそれがいい事でもね」
兄さんの、いや、旅人の理論は納得しているけど、僕はひとりの人として納得はできなかった。
「レオ、お前は必要以上に情に流される。そんなんじゃ、命がいくらあっても足りないよ。旅をする上で一番重要で大切なものはなんだ?」
それは、お爺さんに何千回と叩き込まれた問いだった。
「自分の命だ」
兄さんは僕が答える前に答えを言った。
モーターサイクルを走らせる。僕は何も言えずにその後を追った。
広場にはまだ大勢の人達が踊ったり、お酒を飲み交わしたりしていた。火は高く、激しく燃えている。モーターサイクルのスピードを落としながら、ぶつからないように注意して通り抜ける。土手を登って橋に差し掛かった。
「さっきより水嵩が増してる!」
すぐ目の前を走る兄さんに叫ぶ。たった数時間の間にこれほど増しているとは信じられなかった。雨の勢いは変わらないままなのに。
もうあと2m上昇すれば土手を超えることになる。
「出国手続きは時間がかかるし、急ご―――」
兄がそう言いかけた時、急に視界が揺らいだ。
凸凹の道を通っているみたいに車体が揺れ、バランスを崩して転倒しないように手に力を込める。最初意識が朦朧としているのかと思ったが違う。
「地震だ!」
兄さんが叫ぶ。揺れは大きい。数十秒が何時間にも感じられた。揺れは収まったが、洪水の恐怖は一気に溢れかえる。
「今のでダムにヒビが入れば一気に増水するぞ!」
北側の管理事務所に着き、出国手続きを済ませる。管理をしている男達は先程の地震を話題にしていたが、動揺している気配はない。むしろあれくらいは日常茶飯事とでも言っているかのようだった。地震なんてものを生きている間に数える程しか体験しない、僕ら余所者にはその光景が異様に思えた。
城門を出て僕らはモーターサイクルを走らせる。
国の近くにあった山を進んでいく。よく人が使う道のようで、舗装されていた。おかげでモーターサイクルを飛ばすことができた。
「この辺でいいだろう」
おおよそ山の中腹だろうか。
その場所は視界が開けており、国の全貌を見ることができた。通りに設置された火が陽炎のように揺らめいているのが見える。