プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第七章】
窓の外には、見たことのない絶景が広がっていました。古都コーカスの街並みと北の湿原。西の海岸や東の熱帯雨林、遠くは世界の屋根パスク山脈の雪景まで見えます。私は今、地上に存在する建物の中で、一番高い場所にいるのです。
私は時が経つのを忘れて景色に見入っていました。
「どうだい、そっちは!」
博士の声が響いてきて、私はハッと正気に戻りました。
「す、すいません! これから調べます!」
部屋の存在をほのめかすドアの類いは、どこにもありませんでした。壁があって階段が延々とつづいているだけです。
がっかりした私は、最後に欲を出して、もう一階だけ上へ行きました。
「うっ!?」
一五一階の踊り場で、私は足を止めました。
骸骨の山です。大人の男性ばかり三人分。
遺骸はただの抜け殻です。そこに魂はありません。しかし、私は礼儀として骸骨に一声かけると、肋骨のかけらを一本だけ拝借しました。
すると、どこからか声がしました。
(それを持ち帰れば、下にいる父娘がいずれ同じ目に遭うだろう)
「ど、どなたですか?」
私は辺りを見回しました。姿はありません。
(人類が進化して、この壁を乗り越えるだけの精神と肉体が整ったとき、多くの謎が解き明かされるだろう。だが、今はまだその時ではない)
「でも、私は嘘をつきたくありません」
(ならば、これから四十年の後に、下で待っている娘に見せるがよい)
「四十年! その頃私は、六十四……生きてないかもしれませんよ?」
(この地上へやってきた目的を果たすまでは、おまえは天には帰れない。仕事を怠れば、何百年と生きることになるだろう)
「そ、そんな……ドロドロに腐った肉体なんて、見せられない」
(先の忠告を忘れるな)
謎の声はそれきり聞くことはありませんでした。
私は懐からゴム袋を取り出すと、骨のかけらを入れ、また懐に戻しました。
「顔に出ちゃったらどうしよう……」
私は言い訳を考えながら、とぼとぼと階段を下りていきました。
帰り道、ヒソップ父娘に何度も問いつめられましたが、私は謎の声の言いつけを守り、嘘を貫き通しました。
その日は、これまでの人生で最も長く感じた一日でした。
第五十三話 立ちはだかる熱帯雨林
コーカスの壁の調査が一段落し、この地での私の役目は終わったと感じていました。なにしろ、コーカスの人々は土地の霊力に守られていて、なかなか病気になりませんから、私の出番はなく、退屈で仕方ないのです。このまま暇を持て余していると、ヒソップ父娘の専属助手にされてしまう恐れがあります。
私は旅立ちを決意しました。
地図を見ると、アルニカ半島南部のほとんどを熱帯雨林サグワーロが占めています。ジャングルの林道を東へ東へ行けば、カスターランドの南部、セントリーという村にたどり着けるはず、と思っていたのですが……。
パイさん曰く「は? サグワーロに道なんてないけど? ああこれは、原住民のゼラ族とホック族のなわばりを点線で表してるだけよ」とのこと。
勇気と体力と冒険用装備があれば渡れないこともないのですが、ゼラ族とホック族は大昔から仲が悪く、運良く西側のゼラ族の土地に入れたとしても、その時点でホック族は旅人を敵とみなすため、境界より東へ行くことは叶わないのです。
そうなると、故郷エルダーへ帰るためには、ここからウォールズ国のオピアムまで引き返し、二都山道を渡らねばなりません。同じ道を何度も通るのがどうしても嫌だった私は、別のルートがないか探すことにしました。
ほどなく、南ウォールズのボリジ——弾丸鉄道で私が寝過ごした駅です——から、パスク山脈の麓カイエンまで行き、パスクの山々を通って、ホーソーン川を下り、東海岸へ抜ける方法があることを知りました。
ある日、ヒソップ博士にそのことを尋ねると、彼は笑いました。
「パスク地方の標高を知らないのかい? あそこはもう冬だよ。今シーズンの『風車リフト』の営業は終わってる。次は来年の春かな」
早くても、あと半年くらい先のことです。
パスク山脈一帯は、厳密にはウォールズ国パスク自治区と呼ばれていました。しかし、地域によってはそこだけで一国と数える人もいるくらい、俗世とはかけ離れた世界なのだそうです。
パスクを通らねば、全国を旅したことにはならない。その気持ちは日に日に増していき、私をコーカスに釘付けにしました。
第五十四話 登山家の悲劇
新暦二〇五年 新春
南国の強烈な日差しも、年始からしばらくの間はずいぶん和らぎます。そんなある日のこと。
ヤーバ大学から、アルパイとペニーと名乗る二人の登山家が、ヒソップ博士の下へやってきました。熊を思わせるひげ面の二人は、博士の学友で、本職は地層などを研究する地学者です。
ヒソップ宅にやってきた彼らを見たとき、私は悪い予感がしました。
案の定、筋肉自慢の男たちは、コーカスの壁の無限階段を上るつもりでいるのです。
私は部屋で談笑する学者たちに言いました。
「あの階段を上ってはいけません」
ちぢれ髭のアルパイさんは言いました。
「トラップでもあるのかい?」
「いえ、何も……どこまで行っても何もありません」
「それは見てみないとわからない」
「でしょうね」
男たちはぽかんとして顔を見合わせました。
謎の声に忠告されたと言ったところで、目に見えるものしか信じない学者たちには、何の説得力もありません。早めに恐ろしい目にあって、引き返してくれることを、私は祈るだけでした。
二人の登山家は、貴重な体験の機会を与えられたといって、興奮気味にヒソップ宅を出ていきました。
二週間後。残念ながら、私の予感は的中しました。
秘密通路から帰ってきたのは、アルパイさん一人。しかも、全身が凍傷にかかっていて、手足の指がいくつかなくなっていました。
ヒソップ宅に担ぎこまれたアルパイさんは「朝起きたら、ペニーは死んでいた」とだけつぶやき、あとは怯えきった顔をしたまま、何も語ろうとしませんでした。
私はベッドに横たわる男に寄り添うと、癒しの波動を送るべく、瞑想をはじめました。体だけでなく、心もひどく弱っていた彼を治すには、記憶の中も探る必要がありました。
私はアルパイさんの背後に浮かんで、同じものを見ていました。
「何もないなんて、あの娘(こ)、なんで嘘ついたんだ?」
ひげ男は骸骨の山をあさり、ザックが一杯になるまでつめていきました。
「大発見を故郷(くに)に持ち帰って、名声を独り占めしたかったんだろうよ」
ペニーさんも同じようにしています。
作業が終わると、二人は階段を上りはじめました。
登山のプロたちは一〇〇〇階をコールするまで、大して休みもとらずに上りきりました。
一二〇〇階を超えてからは高地順化のため、一定の階までくると少し下り、また上って少し下り、といったことをくりかえすようになりました。
パスクの高峰にも登ったことがある二人は、二〇〇〇階を超えてもまだ、上を目指していました。
ここまで来ると、熱帯といえども零下何十度の世界です。ベテラン登山家二人はそれを予測していたらしく、防寒対策は怠っていませんでした。
作品名:プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第七章】 作家名:あずまや