プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第七章】
「碑文よ……あの古代の碑文さえ全部読めれば、秘密通路の場所がわかるはずなのに」
「碑文とは?」
私が訊くと、パイさんはため息をつきました。
「塔に上ったくせに、ど真ん中のでっかい石の塊を見逃したって、どういうこと?」
「すみません。案内板の神話に夢中で……」
パイさんはふと私の姿を見て、ハッと息をもらし、怒りを収めました。
「黒衣に月蛍石のピアス……あなた、癒師よね?」
「は、はぁ」
そういえばまだ、職業をきちんと言っていませんでした。
「文章の主の一人が、北の果ての岬から来たってことだけはわかってる。でも、肝心の部分は古代エルダー文字で書かれていて、さっぱりわからない。癒神エキナスの末裔である、あなたなら少しはわかるかもね」
「!」
言葉には出しませんでしたが、私は口から内臓が飛び出そうなほど驚いていました。
癒神様とコーカスの超古代遺跡に、何か関わりがあるのでしょうか?
日を改め、私とパイさんとリンデ君は、ペンステモン塔を訪れました。
サウナのように蒸した螺旋階段を上っていって展望所に出ると、パイさんが言ったとおり、フロアの中心に古代の石碑が鎮座していました。
光沢のある黒い石は水晶のように硬く、掘り出してから何千年も経っているはずなのに、どこも風化していません。
石碑には細かい文字がびっしりと彫りこまれています。
パイさんは古代文字をなぞりながら言いました。
「現代の技術じゃ、粗い傷をつけるのが精一杯よ。超古代文明が存在していた証拠として有力だと思う」
リンデ君は言いました。
「過去形で言うなよ。今も超文明が壁の向こうにないとは言えないぜ?」
「仮にまだ在るとしたら、なぜ連中はこっちの世界に干渉してこないのよ」
「うーん、それは……」
「今そんなことはいいの。プラムに碑文を読んでもらいにきたんだから」
「自分から逸れたくせに……」
「なんか言った?」
「読みます! 読みますからケンカしないで」
私は進んでいって碑文に顔を近づけました。
文字の形が明らかに違う文章がいくつか並んでいます。何カ国語かに訳してあるのか、それとも彫った時代が違うのか。ともかく、読めるのは古代エルダー文字の部分だけでした。
内容は、北の果てのコホシュ岬や、ヘイゼル諸島のローズ島で見たものとほぼ同じでした。当時、癒神エキナスがその場所を訪れたことを記した文章です。
「どう?」
パイさんの瞳に好奇の星が浮かんでいます。
私は事実を述べました。
「えー、エキナスっていう癒し手が、コーカスにやって来ましたよって話だけ?」
少女は肩を落としました。
「人にものを頼んどいて、それはないだろ。読めただけでも大事件じゃないか」
少年は失礼を詫びろと言わんばかりに、手振りで少女を促しました。
「読めるかどうかより、中身が大事なのっ」
そのとき、私はなにげなく別の読み方を試してみました。エルダー語は通常、横に連ねた文字を左から右へ読むのですが、右端から縦になぞってみると……。
「こ、これは……」
「どうしたの?」
パイさんは少年ともめるのをやめて、こちらに飛びつきました。
「さっき読んだ文章は表向きのものです。見方を変えると、別の目的が現れます。ええと『瞳の奥の血管をたどれ』……と読めます」
「暗号かな?」
リンデ君がいうと、パイさんは鼻をならしました。
「暗喩っていうのよ」
私たちは想像力を働かせて、隠された意味を解釈しようとしましたが、何日かけて考えても、『瞳』がなにをさしているのかさえ、わかりませんでした。
それとは別に、私は疑問に感じていることがありました。最果てのコホシュ岬や海賊島の山頂にあった石碑はともかく、古都コーカスは他の癒師もたくさん訪れていて、例の黒い石碑を見ているはずなのです。しかし、謎を解いたという話は誰の旅行記にも出てきません。
まさか古代エルダー文字が読めるのは、私だけ?
エキナスの石碑があるのは、生半可な気持ちでは行けない場所ばかりです。それが三つも重なったのは偶然でしょうか?
私は自分が背負っている宿命について、恐れを手放し、真剣に向きあう時がきていることを悟りました。
第五十一話 コーカスの壁の調査
新暦二〇四年 秋
ペンステモン塔の展望所にある碑文の謎。
それが解けないまま、私とパイさんは高層住宅の二十八階で悶々と過ごしていました。
私は決して本職を忘れたわけではないのですが、コーカスでは深刻な病に悩んでいる人をまったくというほど見かけず、修行にならないのです。この土地は火山や大樹の森と同様、大きな霊場になっていると、私は感じていました。
一方、リンデ君は謎解きよりも機械のほうが好きらしく、飛行機の発明に戻っていきました。
酷暑が一段落して、暦の上では秋となったその日。ヒソップ博士が約束通りヤーバから帰ってきました。
博士は、私が碑文の一部を読めると知るや、愛娘との団らんもそこそこに、ああでもないこうでもないと、走り書きをはじめました。血筋なのでしょうか、モチベーションが落ちかけていたパイさんも、隣の机で負けずにカリカリやってます。
私は二人が過労にならないよう、そっと癒しの波動を送るだけでした。
ヒソップ博士が帰省して知恵者が二人になったというのに、一週間たっても、謎は依然、謎のままでした。
いつものように机に向かう父娘。いつものように二人を癒す私。
一体いつまでこんな日々がつづくのでしょう。
旅立ちのきっかけがつかめないと思っていた矢先、変化は突然訪れました。
「わかったぞ! 大発明……じゃなくて大発見!」
飛行機の設計に没頭していたはずのリンデ君が、大騒ぎして部屋に入ってきました。
「どうせ、女の子の着替えを空からのぞく方法とかでしょ?」
パイさんはペンを置くと、白い視線を送りました。
「壁の近くは気流が乱れるから、そんなことできっこないよ」
「ふーん。じゃあ、可能かどうかは考えたわけだ。このヘンタイ」
「なに怒ってんだよ。そんなことより、『瞳』がなんなのか、わかったんだ」
パイさんはそれを無視して、謎解き作業に戻りました。
今度は父親がペンを置き、リンデ君に言いました。
「聞かせてくれ」
「滑空布(グライドクロス)で街の上空を飛んでるとき、ペンステモン広場を見下ろしたんだ。そしたら、円い噴水池の中心に円い塔があってさ。塔は白いけど、てっぺんにはなぜか黒い平石が乗っかってた。あれって瞳のことじゃないかって……」
「それだっ!」
博士は少年を指さしました。
「地図は百回読んだし、塔もこの高みから毎日見ていたはずなのに……ああ、なんて想像力に乏しいんだ!」
頭を抱えて部屋をうろうろし、一人で何かしゃべりはじめたかと思いきや、博士はぴたりと足を止めて言いました。
「あそこが瞳だとすれば、瞳の奥の血管とは、地下に隠された細い通路のことだろう。血管は一番大事な脳につながっている。つまりコーカスの壁に通じているはずだ。でかしたぞ、リンデ君!」
私とヒソップ父娘、リンデ君の四人は、遺跡調査の準備を進めていきました。壁についてまだよく知らない私のために、下見の場として、二カ所が選ばれました。
作品名:プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第七章】 作家名:あずまや