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プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第六章】

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 修行の旅を終えたネトルは、学校には戻らず、その後も大陸で旅をつづけました。エルダーでは目立たぬ存在だった彼ですが、大陸の辺境においては、癒しの天使として知られていました。
 五十歳を迎えた年のある日。ネトルは依頼を受け、貧しい農村に赴きました。
 村には重い疫病がひろまっていましたが、大きな能力を授かっていた彼はそれを一日で収めてしまいました。
 村人はネトルを神と崇め、大いに奉りました。
 しかし次の日、村に大きな竜巻がやってきて、人々は一人残らず死んでしまったのでした。
 あるときは地震、あるときはイナゴの大発生、またあるときは干ばつと、その年はどんなに人を癒しても無駄になることがつづきました。
 人を癒すことにいったいどれほどの意味があるのか、ネトルはわからなくなっていきました。
 田舎へ行けば、小さな病でも癒し手が足りず、人が死に……。
 都会へ行けば、大きな病にお金が足りず、人が死に……。
 迫害を受けた癒師は好機を失って、また人が死に……
 新しい薬が生まれると、また未知の病が起こり……。
 新しい癒術を編み出せば、それを妨害する現象が起こり……。
 どんなに医師や癒師が増えても、病がなくなることは決してありませんでした。
 人生に絶望したネトルは、何度も自殺を試みました。
 しかし、どうしても最後の一息が踏み切れません。
 そこで彼は、癒術界で禁忌とされていた忘却の術を、自分自身にかけたのです。
 術は成功し、ネトルは辛い記憶を失いました。
 同時に副作用で、老いることまで忘れてしまった彼は、それから術が解けるまでの百年間、同じ姿のままで長い長い空白の時を過ごしました。

 * * *

 瞑想から覚めたネトルは、私に言いました。
「どうかね? それでも君は癒師をつづけられるのか?」
「驚きました。私とあなたが、まったく同じ疑問にぶち当たっていたなんて」
「なんだと?」
「私はまさに、その答えを見つけるために、旅をしています」
「同じ疑問を持ったのなら、君も同じ運命をたどるだろう。無駄なことはやめておけ」
 そのとき、頭の頂が急にむずむずして、私は口もとが軽くなりました。
「自分が信じていることを諦めない。それが幸せになる、ただ一つの道です」
「……」
 男はまぶしそうに目を細め、顔を下に背けました。
「この子が旅を終えたとき、あなたの力が必要になるでしょう。迎えに行くまで、無念晴らしは控えてください」
 自分のことなのに、この子って……私はぼうっとしていて、意思が頭に伝わりません。
 ネトルはイスから立ち上がり、言いました。
「百万人殺そうと、無念など晴れんよ。ジンセンで待っている」


 第四十六話 ユーカの目覚め

 ネトルに捕まっていたユーカさんは、クリスタニア図書館の中庭にある、宿舎棟の一室にいました。
 ベッドに腰掛けたままじっとしている彼女は、外傷はなく顔色も悪くありませんでした。しかし、どんなに呼びかけても、白い壁を見つめたまま何の反応も示しません。
 一緒にきていたメリッサさんは言いました。
「精神病院で見たことあるわ、こういう人」
「……」
 私は人形と化したユーカさんの脇に座ると、メリッサさんを見つめました。
「ご、ごめん。今の取り消し」
「自分を守るためにやったことです。ユーカさんは悪くありません」
 メリッサさんは部屋のドアを閉じ、誰も入ってこないよう鍵をかけました。
 私は瞑想に入りました。

 気がつくと私は、薄暗い空間にぽつんと一つある、大きな球体の前に立っていました。
 ユーカさんの心の殻です。試しに叩いてみましたが、びくともしません。
 炎であぶっても、氷の矢を放っても、殻にはひび一つ入りませんでした。能力で上回るネトルでさえ打ち破れなかったのですから、まともな攻撃では通用しそうにありません。
 殻の結束を強めている何かを知る必要があります。
 私は殻に呼びかけました。
「ユーカさん! 私です、プラムです! ネトルの事件はひとまず収まりました。もう出てきても大丈夫ですよ?」
 応答はありません。
「ユーカさん! 敵はもう去ったんですよ!」
(敵はもう一人いるわ)
 心に直接、ユーカさんの声が響きました。
「そ、そんなはずは……」
(ネトルに捕まるまでは、プラム、あなただったわ)
「私が?」
(でも違っていた。本当の敵は、私自身だった)
「訳を、話していただけませんか?」
(癒術学校二年のとき、私はこっそり見てしまった。アンジェリカ学長とオークさんの密談を)
「……」
(プラム。あなたこそ、癒術界の希望の星だったのよ。学長は、あなたが一人前になるまでは、どんなことがあっても守ってほしいと、オークさんに言っていたわ)
「でも、オークさんは途中で私を監視するのをやめたんですよ?」
(その時点でもう、彼を超えていたのよ)
「そんなはずは……別れた後も失敗ばかりだったのに」
(失敗が必ずしも悪いこととは限らないわ。失敗して初めてわかる境地もある、ということよ)
「うれしいような、情けないような……。そ、そんなことより、ユーカさんの敵が自分自身というのは?」
(私はあなたに嫉妬していた。ドジばかりの劣等生がどうして選ばれたのか、理解できなかった。だから、なんとかして潰してやろうと思ったわ)
「……」
(でも、オピアムで私がどうしても癒せなかった拒食症の人を、実力で下回るあなたはすぐに治してみせた。そのときわかったのよ。大癒師アンジェリカ学長があなたに期待していたことが、何なのかをね。考える時間がほしいとき、ちょうどよくネトルが現れた。操られるのを嫌った私は、心の殻に引きこもり、自分と向きあう時間がたっぷり取れた、というわけよ)
「いろんな場所でいろんな人が、どうして私のことを、そんな大げさに持ち上げようとするのでしょう?」
(大げさと感じるのは、あなたが自分を低く見積もって、本当のことを知ろうとしないからよ。高位の魂に見合った自覚を持たなければ、真の力は発揮できないわ)
「今の私は、旅をつづけることで精一杯です」
(それでいいのよ。来るべきときが来ればわかるはずだから。ところで……)
 長い沈黙がつづきました。
「?」
(その……私のこと、許してくれる?)
 私は笑顔で答えました。
「もちろんですよ。あなたが必要です」
 すると、大きな球体の殻がばっと弾け、まばゆい光で何も見えなくなりました。

 ユーカさんと私は、それから冬が明けるまで、マジョラム市民にひろまっていた鬱病の治療で多忙な日々を送りました。


 第四十七話 南国へ

 新暦二〇四年 春

 春を迎えても、ネトルがもたらした鬱病の患者は数多く残っていました。数百人もの患者に対し、癒師は私とユーカさんの二人だけですから、どうしても時間がかかってしまいます。
 ネトル事件が収束して間もない頃は、病院へ行く人が多くを占めていました。しかし、感情を自分でコントロールできなくなる患者が多発し、医者への不信から二人の癒師のもとへ逃げてくるという事がつづきました。彼らは例外なく、強力な精神安定剤を服用していました。