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プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第六章】

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 ジンセンでの黒死病患者のこと、クレインズの失夢症の少女、ホースチェス村で失った信用、マーシュ村で被災した人々への治療、ヘイゼル諸島で開いた診療所での多忙な日々などなど……そして話は、オピアムであった狂癒師事件にさしかかりました。
 そのとき、スーツを着た男がつかつかやってきて、メリッサさんに新聞の束を渡しました。
「先生、私をパシリにさせておいて、いきなり失踪はないでしょう?」
「ごめんごめん。急に取材の用が入っちゃってね」
 メリッサさんはいったん出無精になると、新聞一つ買うにも、立場の弱い人を徹底的に利用していました。
 出版社の担当がぷりぷりしながら帰っていくと、女作家は新聞を広げました。
 一面記事がこちらを向いています。
 私は見出しを読み、驚きました。
「メリッサさん。鬱病で自殺する人が、マジョラムで急激に増えているそうです」
「ラビちゃんもそうだったけど、この土地は本がありすぎるせいなのか、頭でっかちの子が多くってね。そんなに珍しいことじゃないのよ」
「でも、一週間で二百人はいくらなんでも多すぎます」
 メリッサさんは、ばっと新聞を折り返し、件の記事を読みました。
「これは聞き捨てならない事件ね」
「何か邪悪な気配を感じます」
 私たちは喫茶室を飛び出すと、図書館を後にし、マジョラムの市街地へ急ぎました。


 第四十五話 ネトルの絶望

 粉雪がちらつく中、マジョラムの街を行き来する人々は、どんよりと暗いオーラに包まれていました。
 大勢の人々が絶望感に苛まれるのは、戦争や政変、もしくは疫病が広まったときくらいのものでしょう。しかし、最近そのような事件があった気配はありません。
 私は直感しました。こんな不思議な現象を起こせるのは、人の魂に通じることのできる癒師しかいないと。癒師の才能を逆手にとって犯罪をくり返す、ネトルの仕業にちがいありません。
 私はネトルの気配を探そうとしましたが、こう人が多くては集中できません。それよりも、今にも自殺しかねない、市民を救わねばなりません。
 とはいえ、街の人のほとんどが鬱病にかかっているとしたら、いったい誰から癒せばいいのでしょう。
 私は人々の言動一つ一つに心を奪われてしまい、足取りがままなりません。
 メリッサさんは、私の肩をゆすって言いました。
「やめなさい。それじゃ、敵の思うツボよ」
「でも、早く癒してあげないと、今日にも首を吊るかもしれないんですよ?」
「ネトルは、あなたのようなまっとうな癒師に、絶望を味わわせたいのよ。どんなに癒しても無駄だってことをね。まずは、元凶を探し出すことが先決。いいわね?」
「は、はい」
 私は正気を取り戻し、メリッサさんに感心しきりでした。
 さすがは作家。ネトルについてのわずかな情報から、鋭い洞察を引き出してきます。
 ネトルを探すのはいいとしても、彼の予見能力は高く、私の及ぶところではありません。時間を与えれば与えるほど、こちらは後手を踏むことになるでしょう。
 私が悩んでいると、メリッサさんはハッとした顔で手を打ちました。
「私ら、誘い出されたんだわ!」
「ど、どういうことですか?」
「パシリにしてたあの担当、世界一広い建物の中で、私を探し当てるのに苦労したとは言ってない。私の行動パターンを知ってるなら、古文書のある『瑠璃棟』へ行くはずよ」
「まさか、彼はすでにネトルに操られていた?」
「一度に大勢の人間を陥れたいとすれば……私ならマジョラムの市街地か、そうでなければ……」
「クリスタニア図書館!」
 
 大図書館の翡翠棟。
 玄関の前で、私は言いました。
「メリッサさんはここに残ってください」
 女作家は不審そうな顔で言いました。
「気づかってくれるのはありがたいけど……。棟は他に四つもあるのよ。どうして、ネトルはここだと思うの?」
「前に一度、書架のところですれ違っているんです。彼の邪悪な気配が伝わってきます」
「その直感が正しいとしても、あなたがこれから突入しようという意図は、事前に予知されているんじゃないの?」
「作家の鋭い洞察が未来を変えてくれました。そうでなければ、ネトルはもうここにはいないはずです」
 メリッサさんはフッと笑いました。
「あなたもいい作家になれるわ」
「ど、どうも」
 私は照れ笑いを浮かべました。
 そしてすぐ顔を引き締め、言いました。
「もし何か異変を感じたら、中に入って、人々を落ち着かせてください」
「気をつけてね」
 私はうなずくと、翡翠棟に入りました。
 案内所の美女はいつもの笑顔です。一階を行き来する人々にもまだ異常は見られません。
 二階の踊り場を見上げると、黒いコートを羽織った初老の男が一人、下の空間に向かって両手を差し出しているのが目にとまりました。
 あれは癒師にしかできない、集団を癒すための導入所作です。それを逆手にとれば、人々を鬱状態にすることも可能です。
 私は踊り場に通じる階段を駆け上がると、黒ずくめの男に向かって叫びました。
「ネトル! そこまでです!」
 男はハッと我に返った顔をこちらに向けると、小さく笑いました。
「なるほど、大癒師アンジェリカが目をかけただけのことはある」
「私はまだ修行の身。学長に期待されるような器ではありません」
「ほう? まだ自分の正体がわかっていないのかね」
「正体?」
 私は自分の体を見下ろしました。
「フフ、君は少々大事にされすぎたようだな」
「それより、ユーカさんはどこですかっ!」
「彼女なら、ずっと前から中庭の宿舎で大人しくしているよ」
「嘘です。私だってその宿舎に泊まってるんですよ? そんなに近ければ、気配でわかります」
「あの娘も大したものだ。私に勝てぬと知るや、心の殻に閉じこもって鍵をかけおった。操れぬ代わりに、人質としては扱いやすくなったがな」
 私は一歩また一歩とネトルに近づいていきました。
「悪い事をして、過去の無念を晴らそうとするのは、もうやめてください」
「フン、そこまで知っていたか。しかし、救世主といえど、私の心の闇までは癒せまい」
「何度も言いますが、私はまだ修行中の癒師です。神業はなくとも、暗闇に小さな光を点すくらいのことはできます」
 ネトルは歪んだ微笑みを浮かべました。
「私の過去に関われば、君は必ず癒師として生きることに絶望する。純粋な癒し手であるが故に絶望するのだ」
 踊り場の下では、人々のざわめきが広がっていました。それはそうでしょう。二階の舞台でいきなり芝居じみた口論がはじまったのですから。
 そこへメリッサさんが入ってきて、苦笑いをふりまきました。
「ごめんなさいねぇ。私の友達、演劇の勉強しすぎて、たまーに現実との区別がつかなくなっちゃうんです。一時的なものですから、忘れてください」
 人々の関心は、踊り場から、地元の有名作家メリッサさんのほうへ向かいました。
 一階ホールの収拾がつくと、私とネトルは閲覧コーナーの隅まで行って席につき、瞑想に入りました。

 * * *

 新暦一〇四年(今から一〇〇年前)