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プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第六章】

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 私は小さなことで感情的になっていた自分を、心の中で戒めました。著名な作家が味方になってくれれば、大陸人の癒師に対する誤解をとく礎を築けるかもしれないのです。
「一緒に、行きましょう」


 第四十四話 本にとりつかれた少女

 ブラッシュ村は、弾丸鉄道のマジョラム駅から路線馬車で半日ほど内陸へ走ったところにありました。
 山裾に広がる畑はすっかり雪をかぶり、遠い春を待っています。
 石造りの家が集まる村の中心部まできても、辺りはひっそりとしていて、人通りがありません。冬はマジョラムや南の都ヤーバなどへ、出稼ぎに行く人が多いのだそうです。
 ラビさんの家は、中心街から少し山へ入った斜面の途中にありました。停留所で馬車を下りた私とメリッサさんは、白く染まった段々畑を横目に、踏み固められた雪の坂道をぎしぎし上っていきました。
 三角屋根の家の玄関を叩くと、ちょっと太めの中年婦人が出てきました。ラビさんの母親ジニさんです。
「あら、メリッサ先生。また取材でいらしたの?」
「いいえ。今日はラビちゃんに会いにきました」
 ジニさんの顔から笑みが消えました。
「時間を無駄にするだけですよ。あの子はもう、生きる屍ですから」
 私は我慢ならず口を挟みました。
「あなたが諦めてしまったら、ラビさんは本当に死んでしまいますよ!」
「ええと……どちら様で?」
 困惑する母親に、メリッサさんは言いました。
「ラビちゃんを助けにきた、エルダーの癒師さんよ」
「まだ修行中ですけど……」
 私は心の内で身構えました。
 大陸で癒師を名乗れば、二人に一人は嫌な顔をするからです。
「まぁ! こんな辺鄙な村までわざわざ、すみません。どうぞお入りになって」
 かつてクリスタニアと呼ばれていた南ウォールズは、魔法発祥の地だけあって、癒術に理解を示す人々がたくさんいました。
 クリスタニアの魔法は主に攻撃や破壊を主体としていて、エルダーの癒術とは表裏の関係にありました。中世の時代、魔法は隆盛を誇っていましたが、やがて戦や陰謀に利用されるようになると正統な使い手が減り、衰退していきました。そしてついに、最後の大戦で勝利した東国カスターランドの王が、魔法使いを根絶やしにしました。
 カスターランドの歴史書には『ウォールズの最後の魔法使いたちは、第四次アルニカ大戦の火種を作った。それは、世間が混乱している隙に魔法を復興させ、邪悪な魔力をもって大陸を支配しようと企んでいたからだった』とあります。
 一方、メリッサさんが入手したウォールズの地下文書では『理屈っぽい東国王は、目に見える科学を好み、霊や魔法など見えない力をひどく恐れていた』とあります。
「当時のカスターランド王は大戦の終盤、永世中立を訴えていたエルダー諸島も脅威と見なし、あれこれと理由をでっちあげて、癒師を全員処刑するつもりだった。でも、これから出陣というとき、王族の一人に毒を盛られ、王は泡を吹いて意識を失った。発見が遅れて医者はお手上げというところに、名もなき癒師が通りかかり、王を死の淵から救った。王は出陣を取りやめ、エルダーの癒術を黙認することにした」
「へぇ、初めて知りました」
 大戦末期、エルダーが存亡の危機にあったことは学校で知りましたが、東国の王が手を引いた理由は公表されておらず、大きな謎を残したままでした。
「ま、あくまで一説だけどね」
 メリッサさんは、固く閉じられた部屋の前で、私に歴史の講義をしてくれました。
 呼びかけてもラビさんが出てこないので、私たちは作戦を変えたのです。
 すると、部屋のドアがほんの少しだけ開き、起伏のない声がしました。
「本物の王族が毒殺を企んだんじゃない。王族に化けた旧クリスタニアの魔導士が、毒の術を使って王を殺し、戦局を逆転させるつもりだったのよ」
「それも一説よね」
「事実よ」
 ひどく頬がこけた色白の少女はドアを開け、作り物のような瞳でメリッサさんを見つめました。
「あなたの中ではそうかもしれないけど……おっと、今日は議論しに来たんじゃなかった」
 ラビさんは私に目を向けました。
「誰?」
「魔導士じゃない方の人です」
「黒衣をまとい月蛍石を耳にした女は、天上人の末裔である」
「は?」
「と、『リリーの書』の第十二章に書いてあったわ。あなたは私とお仲間ね」
 リリーとは、東の海に沈んだとされる幻の超文明大陸、現在のリリー諸島のことです。メリッサさんもその大陸にまつわる話を書いていますが、時代設定は最初の癒師が現れるずっと前であり、ラビさんの説とは食い違っています。
 メリッサさんは何か言いたそうで、うずうずしていました。
 私は苦笑いを向けて気鋭の作家をなだめ、一人でラビさんの部屋に入りました。
 ベッドと机、小さな薪ストーブがあって……残りのスペースはすべて書棚で埋まっていました。十六歳の女の子らしい小物など一切ありません。本は魔法全書に、神話大全に、心霊実話集に、古代から中世の歴史書がずらり。
「そこしかないから、座って」
「ど、どうも」
 私はラビさんに促され、ベッドに腰掛けました。
「あの作家に聞いてきたんでしょ? 水しか飲まないって」
「お見通しでしたか」
 私は苦笑しました。
「仕方ないのよ。世界を滅ぼさないためだもの」
 ラビさんは立って本のページをめくりながら話しています。
「あなたが何か食べると、世界が滅ぶんですか?」
「そうよ。これに書いてある」
 私は一冊の本を渡されました。タイトルは『殺生の代償』とあります。
 この本によれば、『あなたが一匹の小魚を釣ると、オピアムの街が大火で滅ぶ』『あなたが一輪の花を摘むと、ヤロ湖が干上がって大地が枯れる』のだそうです。ちょっとした出来事が引き金となり、巡り巡って世界に大きな影響を及ぼすという、ある神秘家の学説です。
 私は本を閉じて言いました。
「あなたはこれを本気で信じているんですか?」
「私が普通の子だったら、バカにしてたでしょうね」
「と、いいますと?」
「ラーチランドの南、マーシュ村の大地震のこと、知ってる?」
「はい。私、ちょうどそこにいましたから」
「その地震、私が起こしたのよ」
「ま、まさか」
「おととしの秋、畑を歩いていてミミズを踏んだとき、嫌な予感がしたの。そしたら次の春、公民館の掲示板に大ニュースよ」
 遠方の災害の情報が、辺境の村に伝わるまでには、それなりに時間を必要としていました。
「そのときミミズを踏んだ人は、各地にたくさんいたのでは?」
「さかのぼってみると、その前の年は、追い払った虫が近くのたき火で焼け死ぬとパスクの火山が噴火したし、前の前の年は、防風林の若木を間違って折ったら、西の海で大嵐があったし……」
「……」
 私は何も言えませんでした。
「極めつけは、あなたよ」
「私?」
「私が起こした地震に遭った人がここに来ているのは、私の神なる業(ごう)をよく理解して、後世に伝えるためなのよ。だから、それを記録するための作家も一緒なの」
「……」
 わずかな時間で筋を通してしまう、思考力の高さが厄介です。
 私は話の核心に迫ることにしました。
「つまりあなたは、このまま餓死しても構わない、というのですね?」
「……」