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プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第五章】

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 心の貧しさを別の何かで埋め合わせること。無理が祟って患った病気を治すこと。
 夫婦は心底では望んでいないことにお金を浪費し、結局は今より苦しい生活を強いられることになる。スクレさんの脚は、それを予見しているのです。
 私は話をつづけました。
「旦那さんには、ジンセンへの移住を諦めていただく必要があります」
「フフン、そうかい。そういうこと……フッフッフ」
「どうしました?」
 スクレさんはそれには答えず、天井に向かって声を張りました。
「話聞いてたろ? あんた次第だってよ!」
 天井の上で、重い物をひっくり返したような激しい音がしたかと思うと、天板の軋みがみしみしと、右から左へ移っていきました。

 旦那さんの承諾を得た私は、スクレさんの脚が完治するまで、夫婦宅で寝泊まりすることになりました。それはいいのですが……。
 オピアムのアパートに残してきたピオニー先輩が気がかりです。麻薬の離脱症状を乗り切ったとはいえ、心に闇を抱える彼女はまだ、長い時間一人で過ごすには無理があります。
 私はいったんオピアムへ帰ることにしました。
 アパートに帰って事情を話すと、先輩は涙目で私に抱きついてきました。
「一人にしないでって、言ってるでしょ? あんたは癒師。病人のあたしを治す義務があるのよ」
「では、引っ越しましょう。一緒に、サウスチコリへ」
 ピオニー先輩は顔をしかめました。
「サウスチコリですって? 肥料くさい女なんて、誰も声かけてくれないわ。冗談はやめて」
「私は癒師です。引き受けた患者は、最後まで面倒を見る義務があります」
「あたしを見捨てるっていうの?」
「ですから、一緒に引っ越しましょうと、言ってるんです」
「イヤッ! 女の価値を失うくらいなら、毎日泣いた方がマシ」
「そうですか……では、ときどき様子を見に来ますね」
 私はトランクを手にすると、踵を返し、玄関に向かいました。
「待って!」ピオニー先輩は私の背中に飛びつきました。「ごめんなさい、ごめんなさい……一人はイヤなの」
 私はふり返って先輩を抱きしめると、頭をそっとなでました。
「においはガマンできますか?」
 年頃の女は幼児のような口ぶりで答えました。
「……うん。ガマンする」

 オピアムの近代化の影響を受け、人口が減りつづけている村には、空き家がたくさんありました。
 私とピオニー先輩は、スクレさんの家から歩いて十分も離れていない一軒家を、格安で借りる事ができました。
 ピオニー先輩はつきあう男が変わる度に貯金が増える人で、フタを開けてみると相当な額をためこんでいました。しばらくの間は生活に困ることはなさそうです。

 昼はスクレさんの家で施術。夜は先輩と一緒に借家で過ごす。そんな日々がしばらくつづきました。
 心の葛藤を消化したスクレさんの脚は、私の見立て通り、徐々に回復していきました。
 一方、ピオニー先輩は相変わらず私にべったりで、まるで甘え盛りの娘のようでした。大自然に囲まれた散策しがいのある土地へ引っ越してきたというのに、彼女は薄暗い家に引きこもったまま私の帰りを待つだけの、ペットのような暮らしをしていました。
 やっと麻薬から離れられたというのに、今度は別の問題が首をもたげてきたのです。というより、絶望の一つ手前の段階に『戻った』というべきでしょうか。
 ピオニー先輩は癒術学校を卒業したくらいですから、一級の癒師を目指していたはずです。自分の人生の目的をわかっている人が、寂しさを埋め合わせるためだけの快楽に逃げるとは思えませんでした。
 
 七曜日はスフレさんの宗教的な事情で、施術はお休みです。
 ある晴れた七曜、私はピオニー先輩を連れて、近くの針葉樹の森へ出かけました。
 先輩は朝から寒い寒いと文句たらたらです。
 昨晩降った雪が溶けずに残っていて、もう年末が近いことを知らせていました。
 これという景観もない森の中を、私たちはただただ歩いていました。
「なんなのよ。わざわざ風邪引きにきたっていうの?」
 運動不足のピオニー先輩は、息を切らして立ち止まりました。
 私は背の高いウォールズ松を見上げました。そよ風が枝をゆすって、雪がキラキラと落ちてきます。
「雪が降ったあとの空気って、おいしくないですか?」 
「そりゃ、そうだけど……寒い方が勝ってるわ」
「じゃあ、凍える前に聞きますけど、先輩って本当にちゃんとした癒師になりたいんですか?」
「それは……」
 先輩は何か言おうとしてためらい、うつむきました。
「意識できない心の深いところでは、何か別の人生を求めてるんじゃないかって、気がしてます」
「どうしてそう思うの?」
「私は癒師の仕事をしているとき、幸せを感じています。そりゃあ、難しい病気を相手に上手く行かないこともたくさんありますけど、他の事で気を紛らわそうとは思いません。先輩はどうですか?」
「あたしは……」
 長い沈黙の後、ピオニー先輩は今まで語らなかったことを口にしました。
「うちの家系は先祖代々癒師をやってきたから、親も当然、あたしを癒師にしようとした。学長には高い潜在能力があるって言われたし、授業も難しいとは思わなかったし、卒業して旅して、そのまま正式な癒師になればいいんだと思ってた。でも、ジンセンっていう大きな街で、エルダーとは違う世界を見てからあたしは、癒術に集中できなくなっていったの」
「先輩が求めているものは、きっと、故郷のエルダーにはなかったのでしょう」
「そうみたいね」
「でも、目先の快楽に溺れて、真の自分を見つけるための時間を無駄にするのは、違うと思います」
「あんたが思ってるほど、あたしは強くないわ。与えられた課題を乗り越えるには、パートナーの協力が必要よ」
「自分は強くないと勝手に決めつけて、男に頼って、必要な課題を避けようとしてませんか? 現実逃避させてくれる人を確保するために、無闇に体をあずけては……」
 ピオニー先輩は雪玉をつくって私にぶつけました。
「あんたいつの間に、長老みたいな口きくようになったワケ?」
「自分でもよくわかりません。オークさんにも変な顔されましたし。それはともかく……」
「わかったわよ、もう。少なくともあんたに頼るのはもうやめる。それで気が済むんでしょ?」
 私は微笑みました。
「今晩から私、スクレさんの家に寝泊まりしますね」

 一人で暮らすことになったピオニー先輩は、日を追うごとに家を留守にすることが多くなりました。
 まさか、新しい男を見つけにオピアムに通っているのでは?
 心配した私は、施術のないある七曜日、彼女の家を訪ねてみました。
 玄関に出てきた先輩は、以前よりずっと元気そうでした。
 居間へ行くと、二人は暖炉の火を囲むかたちでイスに座りました。
 私はいきなり本題に入りました。
「最近あまり見かけませんけど、どこへ行ってるんですか?」
 ピオニー先輩は紅茶を口にすると、小さく笑いました。
「なーに? 疑ってんの?」
「べ、別に疑っているわけでは……」
「雲の上の聖人になっちゃたのかと思ったけど、顔に出る所は全然変わってないのね。ちょっと安心したわ」
「なんですか、安心って」
 私はムッとしました。
「オピアムには、たまに行ってる」