プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第五章】
「えっ?」
「ほら、また。すぐ顔に出る」
先輩は私を指さして笑っています。
「すみません」
「街にも行くけど、その辺の森とか川べりを歩く方が全然多いわ。都会は刺激が多くて楽しい。でも、安っぽい誘惑とか慰めも多くって、気が散るのよね。直感がひどく鈍ってた。何したいのか、そりゃあわかんなくなるわ」
「なにか収穫はありましたか?」
「長いこと自分を抑えてきたからね。簡単じゃないよ、自分自身と再会するってのは」
「スクレさんの脚が治っても、先輩が何かきっかけをつかむまで、私はこのサウスチコリにいるつもりです。いいですよね?」
「……」
先輩はそれに答えず、暖炉の炎を見つめていました。
「先輩?」
「プラム、あんたは明日、ここを発つのよ」
「ど、どういう意味ですか?」
「あんたみたいな癒師を待ってる人が、この世にはたくさんいる。旅の途中で道草食ってる場合じゃないのよ」
「道草だなんて……私は真剣に……」
「治りかけのスクレさんやあたしの治療に、あんたの稀な力はもったいないって言ってるの」
「私の能力なんて、下から数えた方が……」
「自分を偽るのはやめなさいよ」
「……」
「あたしにさんざん説教しといて、それはないでしょ? 国立病院の医者は病気のことばかり気にして、患者自身を見てなかった。あたしは煮え切らない人生の埋め合わせすることばかり考えていて、本当の自分を見ようとしてなかった。病気の激しさに比べたらほんとに地味な原因。並の医者や癒師だったら、それを見逃して病気を難しくしてしまう。でも、あんたは違ってた。プラム、あんたならきっと、世の中の深い闇に光を通せるわ」
「……」
「もっと自信を持ちなさいよ。スクレさんや他の村人はあたしが診るから」
「で、でも、癒師になるのは望みじゃないと……」
「あんたのためだったら、少しだけつづけてもいいかなって。もちろん、これっていう道が見つかったら辞める。心配しなくていいから。もう前のあたしじゃないって、わかるでしょ?」
ピオニー先輩はイスから立ち上がりました。
「先輩……よかった」
私も立ち上がり、二人は抱き合いました。
第四十二話 弾丸鉄道
サウスチコリ村を後にした私は、オピアムには留まらず、旅を先に進めることにしました。夢のお告げで、骸骨顔の魔法使い——おそらく狂癒師ネトルを象徴している——が南へ向かったと知ったからです。
ウォールズの都オピアムから南国カレンデュラの都ヤーバまでは、東海岸にあった国有鉄道ではなく、『弾丸鉄道』と呼ばれる私鉄が走っていました。
さっそくオピアム駅へ向かった私は、プラットホームで発車を待っている列車の奇妙な姿に、言葉を失ってしまいました。きっと弾丸のように速い列車が走っているのだろうと、私は人並みに想像を巡らせていたのですが……。
発車を待っていた黒い塊は、弾丸そのものでした。
先頭が流線型をした長大な一本の車両。小さな丸い窓が横一列に並んでいて、ところどころに船のハッチのような乗降口があります。
機関車もないのに、これ、どうやって走るんでしょう?
不安になってきた私は、談笑する家族客の後をついていって、車内へ入りました。
座席は左右に二つずつ。東岸鉄道の各駅停車と違って、すべて前を向いていました。背もたれに触れると、質のいい綿がしっかり詰まっているのがわかります。連結部分がないだけに、ずっと先まで見渡せて気持ちいいかと思いきや、東岸式に慣れていたせいか逆に変な感じでした。
窓側の席に着くと、後からやってきた小学三年くらいの男の子が通路側に座り、彼の両親が反対側の二席につきました。
そんな歳でもう親に気を遣っているのかしら? それとも早熟な子で自由を求めている?
などと勝手な想像をしていると、少年は席に備え付けてあったベルトを手にして、肩から腰へ斜めに締め、先端の金属部分をバックルに留めました。
列車の座席にベルト?
未知の文化を前に頭が混乱した私は、思わず少年に訊いてしまいました。
「あの、どうしてそんなベルトをするんですか?」
少年はあどけない顔で言いました。
「お姉ちゃん、大人のくせに知らないの?」
「すみません。初めてなのでわからないんです」
「シートベルトしないと、きしゃが何かにぶつかったとき死んじゃうから、しめなきゃダメなんだって」
「あ、ありがとうございます」
私も少年にならってシートベルトをしめました。
しばらくすると、ホームにいた駅員たちがいっせいに乗降口を閉じていきました。
発車のベル。
列車はうんともすんともいいません。
機関車がいないんだから、動くわけがないのです。鉄道員たちはどうするつもりなのでしょう?
私は丸窓に顔を近づけました。
「お姉ちゃん、ちゃんと座ってなきゃダメ」
少年の忠告。
嫌な予感がしたので、私は従うことにしました。
「十、九、八……」
ホームにいた駅員の一人が、大声でカウントダウンをはじめました。
ゼロになったら、どうなるというのでしょう?
私は本能的に体を固くし、歯を食いしばりました。
「……三、二、一、発車!」
突然、前からものすごい圧力が。
体が座席にめりこんでしまいそうです。
「ひぎいいいいぃ!」
窓の外を見ると、いろんな絵の具を混ぜないなまま線を引いたように、でたらめな景色です。
「く、苦しい……」
悶える私を見て、少年は勝ち気な顔で笑いました。
「な、なに言ってるの。これがおもしろいんじゃない」
「……」
このイベントを楽しめない私は、もう子供には戻れないのかと、少し悲しくなりました。
しばらくすると、弾丸列車は惰性を失い、次の駅のホームでぴたりと止まりました。
私は自分の胸をあちこち触ると、ため息をつきました。
「ハァ、よかった。まだあった」
隣の席の少年はクスクス笑っています。
「お姉ちゃんって、ヘンタイなの?」
「な、なんですか、いきなり」
「自分のおっぱいさわってばっかりの人はヘンタイだって、五年生の人が言ってた」
「そんなんじゃありませんっ!」
ベルが鳴り、カウントダウンが終わると、弾丸列車は再び爆発的に発車しました。次の駅まで行くと惰性をなくして、またぴたりとホームで停車。
こんな激務をくり返しても平気だなんて、ウォールズの人はどういう体質をしているんでしょうか。
平均速度に直しても東岸鉄道よりずっと速いので、便利といえば便利ですが、私は体が保ちません。
ウォールズ最南部にある、パスク地方への分岐点ボリジという駅まで行くつもりでしたが、予定を変え、次のマジョラム駅で下りることにしました。
マジョラムは南ウォールズの中心都市で、物語の宝庫と呼ばれるほど、作家を多く輩出することで有名でした。
そういえば、私が愛読する幻想小説の作家メリッサは、南ウォールズの人です。
できれば彼女に出会ってサインをもらいたいな……そんなミーハー心で浮かれる一方、狂癒師とユーカさんの行方も予断を許さないという複雑な心境のまま、私は新暦二〇三年の末を迎えました。
作品名:プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第五章】 作家名:あずまや