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プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第四章】

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 私たちはそこでいったん馬を下り、昼食を取ることにしました。しかし、かぶった網と臭いはそのままで、蛇を警戒して座ることもできず、パンを口にしてもチーズをかじっても、味などわかりませんでした。
 それから日没まで尾根道を行って、一日目は何事もなく終わり、私たちは一人用のテントをそれぞれ張って野宿しました。

 二日目の朝。
 先に目覚めた私は、テントをたたんで、ランサスさんの起床を待っていました。ところが、いつまでたっても彼は外に出てきません。
 嫌な予感がしたので中をのぞくと、ランサスさんは紫色の顔をして苦しんでいました。
 テントの底にところどころ穴があいています。山ネズミに食い破られ、その隙間から入ってきた毒蛇に噛まれたのでしょうか。
 私はランサスさんをテントの外に引っぱり出すと、患部の左腕に手をかざして瞑想に入り、体内に広がっていく毒を追いかけました。枝分かれする血管を全部カバーすることはできないと感じた私は、動脈のある一カ所で待ち構え、やってくる黒い魔物を次々と炎で焼き、浄化していきました。
 やがてランサスさんは、小さな噛み傷を残しただけで、何事もなかったかのように回復しました。
「ハハ、俺は癒師を『信じる派』で良かったよ」
 立ち上がったランサスさんの顔にはまだ、恐怖の色が残っています。
「引き返しましょうか?」
「俺は潜水のほうが恐いね。語り尽くされた古道と違って、何が起きるかわからないからな。あんたこそ、いいのか?」
「今回の依頼は、運命だと思っています。偶然とは思えない出来事が重なっているんです」
 もしプリムさんと共に故郷エルダーに渡っていたら、マグワートに着く日時がちがっていたら、寝坊の私がいつもより早く目覚めなかったら……。
「じゃあ、俺が湖の底のヤロ水晶を発見するのも、また運命ってことだ。運がよけりゃ、バーバ・ヤロにも出遭ったりしてな」
 ランサスさんは上機嫌で馬に乗りました。
「バーバ・ヤロの水龍伝説は作り話だと、私は聞いているんですけど」
 私は青年の後ろにまたがりました。
 馬が歩き出すと、ランサスさんは言いました。
「エルダーの癒師様からそんなお言葉が出るとは、意外だったぜ。あんたは見えないものでも、在ると信じるタチだろう?」
「それは、そうですが……実際に直感を得たわけではないので、今は何ともいえません」
「古代のある時期、大陸は乾燥しきっていた。普段はありふれていて何とも思わない天の恵みも、生き死にがかかってくると、大きな存在に感じてくる。水が貴重だ、つまり大きな存在だと思っている奴には、水の神が見えていたはずだ」
「……」
 私は男の背中をぽかんと見つめました。まるで癒術学校の先生みたいなことを言うからです。
 ランサスさんはふり返って私の顔を見ると、笑いました。
「そんな目で見るなよ。ヤロ湖のことは徹底的に調べたって、言わなかったか? やってるうちに、水晶のこととは別に、水龍をこの目で見たくなっちまったのさ」
「……」
 危うい人生を渡り歩くランサスさんは、何かのきっかけさえあれば、光の当たる場所に出られるのではと、そのとき強く感じました。
 二日目はランサスさんにとって災難がつづきました。特製の網をかぶっていたからいいものの、何百という毒虫に囲まれて迷惑そうでした。私のほうは全然無事です。
 毒の細道の生き物は、ヤロ湖という大いなる巣を守るため、人間のエゴを感じ捉えるよう進化してきた……そんな気がしてなりませんでした。

 三日目はヤロ湖を源とする清流、クォー川に沿って行きました。
 この日は霧が濃く、崖下の川に何度か落ちそうになり、朝から冷や汗が止まりません。
 川を離れてしばらく坂を上ると、絶壁の下をくり抜いた手掘りのトンネルが現れました。
 それまで何事にも動じなかった黒馬が、行くのをためらっています。
 私とランサスさんは馬を下り、トンネル内の調査に繰り出しました。
 暗闇に入ってまもなく、私は悲鳴を上げました。
 そこは昨日ランサスさんを襲った、毒蛇の巣窟だったのです。
 トンネルは、馬に乗って通ろうとすると頭すれすれ。天井に張りついている小蛇の群れが邪魔です。かといって下を歩けば、地をはう大蛇たちの攻撃を受けるでしょう。
 シャーという威嚇の音がそこらじゅうで鳴り響きます。
 私たちは急いで外へ逃げました。
「まいったな」
 ランサスさんは頭をかきました。
「このトンネルはもう、彼らのものになってしまったようですね」
「いや、奴らがしばらく来ていないせいだろう」
「奴らとは?」
 青年はためらいがちに言いました。
「癒師に聞かれると、マズいんだがな」
「殺しに関わることでなければ、口外しません」
「そういうことでもないんだが……その、毒と薬は紙一重って話は、知っているな?」
「はい。濃いか薄いかによって、どちらにもなりますね」
「蛇の毒の中には、薄めるといい薬になるものがある。その原料になる蛇を、ここら辺りで大量に狩っている連中がいるって話だ」
「その蛇の皮や肉は、どうなりますか?」
「皮は脆くて鞄には使えない。肉もマズくて食用にはならない。要するに毒以外は全部捨てている」
「なんてことを……」
 私は怒りがこみ上げてきて、両拳をぐっと握りました。
「ほうら、だから言いたくなかったんだ。今さら進むのが嫌になったなんて言うなよ?」
「ご心配なく。その話は、私たちの契約とは関係ありませんから」
「こわいこわい」
 ランサスさんはわざとらしく身震いしました。
 そのとき、トンネルの奧から、宙に浮いた赤い炎が四つ五つと近づいてきました。
 蛇たちの威嚇音がしばらくつづきました。
 そして沈黙。
「おいでなすったな。これも運命ってヤツかね」
 ランサスさんは上機嫌で言いました。
 ほどなく、甲冑のような服を着た者が五人、表に現れました。  
 甲冑衆は蛇がたくさん詰まったカゴを背負っています。
「助かったぜ。もう通れるんだろ?」
 ランサスさんの問いに、甲冑衆の一人は親指を立てて、後ろの暗闇をさしました。
 五人組は一言も発せず、私たちの前を通り過ぎ、坂を下りていきます。
「待ってください!」
 私が大声を上げると、五人はぴたりと足を止めました。
「それだけ採れば充分でしょう?」
「……」
 五人は互いに顔を見合わせています。
「乱獲すれば、苦しむのはあなたたちなんですよ? 蛇がいなくなるだけじゃない。彼らが補食していた小さな生き物が爆発的に増えれば、山の植物が食い荒らされ、枯れてしまうかもしれないんです」
 列の最後にいた甲冑人が、くぐもった声で言いました。
「君は病気に苦しんでいる多くの人々を見殺しにしてもいいと、言いたいのかね?」
「それは人間中心の考え方です! こんなことをくり返せば、大地はやがて荒れ果ててしまうでしょう。人は砂漠だけでは生きていけません」
「なるほど一理ある。では、こうしよう。君は今から都へ行って、五千の患者の息の根を止めてくればいい。依頼がなくなれば、我々も仕事を変えざるを得ない」
「……」
 私は歯噛みして下を向きました。
「どうした? 人間より、獣や草木のほうが大事なのだろう?」