小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第四章】

INDEX|4ページ/8ページ|

次のページ前のページ
 

「!」
 私は思わず後ずさりました。
 毒の細道とは、東の港町マグワートと半島中部の巨大な水瓶ヤロ湖を結ぶ、一本道のことです。
 地図上ではたしかに最短ルートなのですが、道の周辺は猛毒をもった虫や蛇、ウルシの仲間などが容赦なく人を襲う、恐ろしいところなのです。二百年前の大戦中は軍事作戦で使われ、多くの兵士が毒にやられて命を落としました。今では通る人など滅多にいないため、失われた山道とも呼ばれています。
「あんたが癒師と見込んでのことだ。俺が言いたいことは、わかるよな?」
「それは、まぁ」
 毒にやられたときのために医師を雇えば、やはりお金がかかります。解毒剤だけでもかなりの高額。一方、癒師ならタダ同然という訳です。
「報酬のことは知っている。馬と食料とテントは確保してある。あとは、あんた次第だ」
 無遠慮な依頼に、私は少しムッとしていました。まだ病気になっていない人なら、一発拒否でも、癒師の掟を破ったことにはなりません。でも、ヤロ湖までタダ同然で行けるというのは、少し考える余地があります。
 私は念のため、財布を取り出して中身をたしかめました。
「あ、あれ?」
 何度数えても、旅の復帰点オピアムまで行ける額ではありません。計算違いをしていました。せっかくプリムさんが気を遣ってくれて、船の復路代が浮いたというのに、それでもまだ足りないのです。
 ランサスさんは歪んだ微笑を見せました。
「バイトなんかして時間を無駄にしたくないよなぁ?」
 しばらく唸った後、私は白旗を揚げました。
「で、では、行きましょうか」

 私とランサスさんは駅を出ると、線路沿いの道をしばらく歩きました。
 南へ向かっていると途中で気づいた私は、首を傾げました。東岸鉄道はマグワートが南の起点、あとは北へのびていくだけのはずです。この線路はいったい……。
 街外れまでくると、石造りの家並みが姿を消し、雑木林が広がって行き止まりでした。
 不安になってきた私は、前を歩くランサスさんに言いました。
「あの、どこへ連れていくつもりなんですか?」
「すぐそこさ」
 ランサスさんは笹をかき分け、林の中へ入っていきました。
 襲われたらどうしよう……私はトランクを持っていない右手で胸もとを押さえました。
 ともかく後について少し行くと、林を抜けて、赤茶けた石がきれいに積んである場所に出ました。
 かすかにカーブしているレールが二本……。
「ここは?」
「まあ、待ってなって。あと五分もすれば来るはずだ」
 やがて、右手から蒸気機関車がやってきて、空の石炭車が何十両もごうごうと通り過ぎていきました。速度はせいぜい人が走る程度です。
 貨物列車の最後尾は車掌車。狭いデッキに立つ初老の男が、こちらに向かって手を挙げました。
 ランサスさんは列車に合わせて走りだすと、車掌車の端に飛び乗りました。
「何してる! あんたもだよ」
「えっ? あ!」
 私はあわてて列車を追いかけました。
 枕木と砂利の凹凸に足をとられる上に、トランクが邪魔で、なかなか追いつけません。
 トランクを男に向かって放り投げ、軽くなった私はやっと追いつき、車掌車のデッキに上がることができました。
「ハァハァ……なんなんですか、もう!」
 ランサスさんはトランクを私に返すと、笑いました。
「毒の細道の入口は、街からはちょっとばかり遠い。炭坑線沿いにあるのさ」
 マグワートから南へのびていた謎の路線は、南部で採れる石炭を運び出すための、貨物専用線でした。
「毒の細道だって? 気でも狂ったのか?」
 煤けた顔の車掌は青年に言いました。
「彼女の黒衣を見てわからないか?」
「ハハーン、探していた恋人がやっと見つかったってワケかい」
 私はすかさず怒鳴りました。
「そんなんじゃありません!」
「本気にするなよ。俺の本当の恋人は、こいつさ」
 ランサスさんは懐から、李くらいの大きさの水晶を取り出して、私に見せました。
「すごい……」
 こんなに大きなヤロ水晶を見たのは、生まれて初めてです。
 透きとおった石の中に青い光の粒が封じ込まれた、世にも珍しい宝石。
「食ってくのに全部売っちまって、これが最後の一個さ。何年か前までは、場所さえ知っていればなんとか採れたんだが、油断してたよ。今じゃ湖畔にはもう一粒も残っていない」
 ランサスさんは肩を落としました。
「では、なぜ危険を冒してまでヤロ湖へ?」
「俺はジンセン大学の図書館に通って、ヤロ湖の地質について勉強した。結論は、ヤロ水晶は湖の底にもあるってことだ」
「でも私、ヤロ湖はとても深い湖だって聞いていますけど……」
「その通り。そこで俺は、空気を圧縮して溜めておく鉄の器を開発した」
「……」
 信じがたい話でした。
 人類がまだ、素潜り以外の方法を知らない時代です。宝石に取りつかれた男の執念は、科学をまた一歩、前に進めたのでした。
 ランサスさんは目的地に着くまでの間、貴石についての蘊蓄を語りました。ヤロ水晶は普通の水晶と違って非常に脆く、落とすと中の青い粒のところで割れてしまうそうです。昔から知られている石ですが、完全な大きさで残っているものは少なく、価値は時間と共に高まるとのことでした。
 話が終わったところで、ランサスさんは「着いたぜ」といって車掌車から飛び降り、山麓の方に向かって草原を歩いていきました。
 私は車掌に固い微笑みを向けると、青年の後につづきました。

 ランサスさんは、牧場の中を一人でどんどん行ってしまいました。
 遮るものがないため、見失うことはなかったのですが、私はいつまでたっても距離を詰められませんでした。
 やがて遠くの方に、家畜小屋の並びが見えてきました。
 先に着いたランサスさんは、麦わら帽子の男と親しげに話をしています。男たちのそばには、背中に荷物を満載した、黒くて大きな馬がたたずんでいました。
 私が家畜小屋の敷地にたどり着くと、ランサスさんは馬を引き連れてこちらへやってきました。
「潜水器具はかさばるんでね。俺の馬と一緒に置かせてもらっていたのさ」
 なるほど、一人では持てないほどの装備が必要なら、近道したくなるのもうなずけます。
 カスターランド南部産の黒馬は、普通の馬の倍以上の体重を誇る巨漢で、スタミナ抜群、大抵のことには驚かない図太い神経をもち、毒への耐性もあるという、難路にはうってつけの旅仲間です。
 私とランサスさんを乗せた黒馬は、農道を通って山の麓まで行くと、草で埋もれかかった山道をのしのし上っていきました。
 九曲がりと呼ばれる最初の急坂を乗り越えたとき、手綱を握るランサスさんは言いました。
「こっからが本番だ。毒虫と山ウルシには気をつけろよ。蛇は馬上なら問題ない」
 私はランサスさんから渡された、きめの細かい網を、頭からすっぽりかぶりました。ツーンとする臭いが鼻を突きます。虫が嫌う薬草の絞り汁を塗ったのでしょう。短時間ならそれでいいのですが、一日中となると、人間でも参ってしまいそうです。
 一つ目の山の頂までやってくると、木々が開けて、右手にマグワート湾と東の海が広がりました。