プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第三章(後)】
今、私の中に、言葉にできない『気づき』が駆け巡りました。それはあまりにも情報量が大きく、全部説明しようとすると、分厚い本が一冊書けてしまいそうです。
とにかく旅を可能な限り早く完結させる、というこれまでの考えを、私は一瞬で改めました。
「わかりました。では、これから一緒にエルダーへ参りましょう」
「ほんと? やったぁ!」
プリムさんは拳を突き上げ、飛び跳ねました。
私はロックローズさんに言いました。
「その代わり、プリムさんをお送りした後、旅は続けさせてください」
総統は困りきった顔で言いました。
「余所もんは万が一にも受からないんだろ? それじゃ賭けにならねぇよ」
「もしプリムさんが不合格だったら、そのときこそ、私はこのロック島に永住すると約束します。証人は……」
私は喜びに浸っているプリムさんに視線を送りました。
ロックローズさんは苦笑いしました。
「あんた……バカだろ?」
「私がこの大博打に負けたら、あなたの望み通りになるんですよ? もっと喜んだらどうですか?」
「……」
兄はあどけない顔の妹に、黙って視線を送りました。
「とにかく、合格するように祈りましょう」
「万が一合格すると、どうなるんだ?」
「卒業まで最低五年かかります。本当は修行の旅も二年くらい必要なのですが、プリムさんはきっとまっすぐ帰ってくるでしょうね。彼女の帰郷までは何とか持ちこたえてくださいと、島の皆さんにはお伝えください」
「五年か……けっこう長いな」
「そうですね。では、ちょっとそこで待っててください」
私は階段を下りていくと、一階に置いておいたトランクを開けて分厚い本を一冊取り出し、また二階に戻ってきました。
「この癒術書をあなたに預けていきます。各論に、素人でも扱える伝統療法のことがたくさん載っていますので、それだけでもかなり使えると思います」
ロックローズさんは一度ためらってから本を受け取ると、言いました。
「これは癒師の命みたいなもんだろう? いいのかよ」
「癒神エキナスは最後のページで、本書に記してあることがすべてではないと語っています。私は自分の直感を信じて、もっと実践的な施術法や、癒術そのものの発展についての研究をしていきたいと思います。だからそれはもう、必要ありません」
男は呵々と笑いました。
「参った参った。俺の負けだ。何よりも、妹の合格を信じることにするぜ」
第二十九話 二人旅のはじまり
私とプリムローズさんを乗せた海賊船バーベイン号は、大陸をめざして東へ進んでいきました。
ある地点まで行くと、ロックローズさんは帆と錨を下ろして船を止めさせました。
ここで、女二人は脱出用ボートに乗り換えました。遭難者を装うためです。
ロックローズさんは帆船の縁まできて、妹を見下ろしました。
「今度会うときは、二十歳(はたち)ってわけだ」
「十五かもよ?」
「どっちだっていい。無事に帰ってこい」
「現地の人とデキちゃったら、ごめんね」
プリムさんはお腹が膨らんだ手振りをしました。
「な!」
兄は怪獣のような顔で絶句しました。
妹はたまらず吹き出しました。
「冗談冗談。みんなから預かった学費を無駄にするわけないでしょ?」
ヘイゼル諸島には貨幣が存在しません。沈没船に積んであった金目のものを命がけで引き揚げ、それを大陸の闇市で売りさばき、ようやく学費をひねり出したのでした。
私が櫂を漕ぎだすと、ボートは帆船から離れていきました。
ロックローズ兄妹は、お互いが見えなくなるまで、ずっと見つめ合っていました。
二人を乗せたボートは、定期船航路と思しき海域までやってきました。
北の方から大きな帆船が近づいてきます。
定期船のおおよその通過時刻、風や潮の流れ、なにもかもロックローズさんの読んだ通りでした。これでは、襲われた船が逃げ切れないのも無理はありません。
おっと、感心している場合ではありません。ここからは役者としての才能が試されます。
私とプリムさんは、穴のあいた手桶を使って互いに海水を掛けあい、びしょ濡れになりました。知り合いの漁船に乗ってディル港まで行こうとしたけれど、昨日の嵐のせいで遭難してしまった、という設定です。手桶は海に放って沈めました。
遭難者を見つけた帆船『スカル号』の船員たちは、帆と錨を下ろして船を止めると、大慌てで救助活動に走りました。スカル号はアスペン鉱山で採れた石を運ぶ運搬船。私の顔は割れていないはずです。
デッキに上げてもらうと、私は細い目をした大人しげな船長に事情を話しました。
船長は二つ返事で、オピアムまで送ると約束してくれました。
空いていた船室に通されて二人きりになると、私たちは顔を見合わせました。
「なんだか上手く行き過ぎて、恐いです」
私が言うと、プリムさんは笑いました。
「あの船長、先生のことばっか見てたよ? 好みなんだよ、きっと」
「そんな……急に好みとか言われても」
私はもじもじしました。
「へぇ、あんな年増がタイプなの?」
「いえ全然」
私はきっぱり言いました。
一度火がついたら、年頃の女の子は止められません。それからしばらく、どんな男性がタイプなのか、どんな恋愛をしてきたのか、私は質問攻めに遭いました。
「癒術学校は原則、全寮制の女子校ですから、恋愛といっても中学までの話です」
「なーんだ、つまんないの。あ、じゃあ、旅先で癒したイケメンの患者と一晩、とか……」
「プリムさんっ!」
少女は舌を出して、頭をかきました。
「あーあ。もし受かっても、五年間も女の腐った顔とつき合わなきゃいけないなんて、暗すぎる青春だわ」
「言葉遣いに気をつけてください。ここはもうあなたの故郷ではありません。授業は始まっているんですよ?」
「はぁい」
学校に通ったことのない少女が、いきなり高校並みの環境に飛びこんでいったら、どうなってしまうのでしょう。私は心配でなりませんでした。
話が途切れて二人が口を閉じたとき、ドアをノックする音がありました。
入ってきたのは、白衣の中年男。
私は首を傾げました。この人、どこかで見覚えが……。
「あれ? 君はたしか、マレイン号で海賊にさらわれた……」
「あっ!」
私は思わず口に手を当てました。
彼は定期客船マレイン号の船医だった人です。
「島で海賊にこき使われていないかと、心配していたんだ」
「あ、えっと、その……」
どうしよう。言い訳が思いつきません。まさかこんなところで顔見知りに出会うなんて想定外。
「こき使ってなんかいないよ。自分で診療所開いて、島の人ほとんど治して、今じゃ英雄なんだから」
プリムさんは言いました。
「!」
私は空いた口が塞がりません。ああ、プリムさん、なんてことを……。
「君はいったい……」
船医の問いに、少女は小さな胸を張りました。
「ロックローズ三世の妹、プリムローズよ」
「!」
船医は少女を見つめたまましばらく固まっていました。
やがて、堰を切ったように笑い出しました。
「アッハッハ! そうかそうか、そりゃ傑作だ!」
「本当だってば!」
船医は私に言いました。
「君は楽しい妹さんを持って、幸せだねぇ」
「は、はぁ……」
作品名:プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第三章(後)】 作家名:あずまや