プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第三章(後)】
なぜ、私ばかりが刺されるのでしょう。納得がいきません。
暇を持て余している老人たちの前で、私の故郷の歌や踊りを披露させられたり……。
音痴なのわかってるくせに、三度もアンコールするなんて!
ロック島の診療所に着いた頃にはヘトヘトで、一声も出ませんでした。
肉体の疲れとは裏腹に、私の心の影はすっかり消えていました。
プリムさん……あなたこそ不思議な人です。
第二十八話 決意
私はヘイゼル諸島でただ一人の癒し手として、人々の期待を一身に背負っていました。経験と信用を重ねていくうち、私の施術の力は高まり、診療所にやってくる患者のほとんどが健康を取り戻しました。
また、プリムさんと協力して記録を徹底的にとり、誰のどこが悪いのかすべて把握しました。
患者たちの話によると、私の人気は稼ぎ頭のロックローズさんと二分するほどだとか。
つまり、私は生涯この島でやっていけるだけの実力、スタッフ、資料、そして名声を得たのです。
しかし……しかしです。
このままでは、いつまでたっても正式な癒師になるための試験を受けられません。
肩書きなんてただの飾り、島の人々は優しいし、ライバルのいない就職先が見つかってよかったじゃない、などと思ったこともあります。でも、自分の本当の望みはなんだろうと考えたとき、私はいつの間にか、東の果ての島々に思いを馳せていました。
私の腹は決まりました。島を出るなら今しかありません。
晩夏のある日、私はロックローズ邸を訪ねました。
船底のような形をした藁葺き屋根の大きな家。玄関に現れたプリムさんについて囲炉裏のある土間を行き、板張りの階段を上がると、ロックローズ総統の書斎空間——仕切り壁もドアもないので部屋とは言い難いです——がありました。
大きな机のバックに、アルニカ半島の特大地図。
ロックローズさんは極東の島々に見入っていました。
「話はプリムから聞いている」
革ベスト一丁の男は背を向けたまま言いました。
重い沈黙がつづき、私とプリムさんは顔を見合わせました。
やがてロックローズさんはふり返り、血走った目を私に向けました。
「エルダーは癒師で溢れかえっているんだろ? 一人ぐらいこっちによこしたって罰は当たらないんじゃねぇのか?」
たしかに、癒術学校を出た癒師のほとんどは、旅が終わると地元に残ります。癒師は一度の施術でもかなりの精神力を費やすため、一人で集落一つ受け持つのがやっとです(私の場合は働き過ぎです)。十年単位で見たとき、引退する人や亡くなる人と、新たに癒師になる人の出入りが同じくらいなので、多すぎるということはないのです。
「中途半端な癒師のままではいたくないんです。旅をつづけさせてください」
「俺たちは、今のあんたで間に合ってる」
「……」
「あんたは自分から進んで、このヘイゼルにやってきた。違うか?」
男は勝ち誇った顔で言いました。
「それは、あなた方が急患を診ている船医を強奪しようとしたから、私が身代わりになっただけです。海賊行為を認めたわけではありません」
「海賊のもとに下ったからには、海賊の掟に従ってもらう。島から出ることは許さん。軍事機密が漏れると厄介なんでな」
プリムさんは兄を睨みつけました。
「お兄ちゃん! 先生は船のことなんか知らないじゃない」
「ローズ島の見張り台に連れていったな? あれでも一応、機密事項だ」
「あ……」
妹はしまったという顔をして、うつむきました。
「そういうわけで先生、悪いが死ぬまでこの島の治療人だ。その代わり、島の中じゃあ不自由はさせねぇ。必要なものがあれば俺に言えばいい」
「ウォールズの人を犠牲にしてまで、治療したいとは思いません!」
「仕方ねぇんだ。生きるためだ」
「では、私は私の人生を生きるために、この島を出て行きます」
ロックローズさんは腰に隠していた銃を私に向けました。
「あんたの人生はもう、あんただけのものじゃねぇんだよ」
「私の話は終わりました。今日はこれで失礼します」
私は踵をめぐらし、階段の方へ歩みました。
銃声。
銃弾は私の右肩をかすめ、壁の板に穴をあけました。
私は総統に背を向けたまま言いました。
「私を殺して得になることがあるなら、そうしてください」
「いい根性してやがる」ロックローズさんは笑いました。「だがな、あんたに貸す船はないぜ。大陸の一番近い港まで、早船でもまる一日以上かかる。泳いでいくか?」
「ローズ島の長、ロックローズ二世は、何かあったときは自分の船を貸すと、約束してくれました」
「親父の野郎……なら、そいつを殺せば手詰まりだな」
「お兄ちゃん、いい加減にして!」
張り手の音に、私は思わずふり返ってしまいました。
プリムさんは、兄の胸を殴りながら泣いていました。
ロックローズさんは妹を抱き寄せると、沈んだ声で言いました。
「あんたがいなくなったら、俺たちはどうすりゃいいんだよ。素人の荒療治なんか、もう見たくねぇ」
「……」
私はそのことで、ずっと心を痛めていました。
東のエルダー諸島と西のヘイゼル諸島、見た目は同じような島々なのに、一方は何かあっても必ず地域の癒師が来てくれますが、もう一方は子供の風邪一つ治すにも大騒ぎです。
貧富の問題はともかく、せめて健康な体を保つ権利くらい、公平にならないものでしょうか。
私は癒師のあり方に大きな疑問を抱きはじめました。
どうしてエルダーの癒師は、旅を終え正式な癒師となった後は、平和な島に閉じこもっているのでしょう? 生まれ育った土地が大事なのはわかります。でも、大陸にはもっと困っている人が大勢いるのです。『故郷だけは特別』という考えは、間違っているような気がしてなりません。
私はまだ旅を完結させることしか考えられないし、故郷に帰っても、先輩癒師たちの重い腰を上げさせるには時間がかかりそうですし、いったいどうしたらいいのでしょう。
立ち尽くしたまま悩んでいると、プリムさんが兄から離れて言いました。
「あたしじゃ、ダメかな?」
「えっ?」
「たしか、中学校出た歳の人は受験できるんだよね? エルダーの癒術学校って」
プリムさんはもうすぐ十五歳、来春の受験者と同世代です。
「それは、そうですけど……」
学歴は関係ありませんし、助手としての働きぶりを見る限り、治療人としての適性はトップクラスでしょう。でも、それだけではダメなのです。
合格するためには、アンジェリカ学長との面接で、癒師としての潜在能力があることを認めてもらわなくてはなりません。残念ながらこればかりは、努力で勝ち取れるものではありません。癒神エキナスの血筋であるエルダー人ならほぼ間違いありませんが、島外の出身者で合格した人は、歴史上にも数えるほどしかいません。
血筋と才能の関係については、この兄妹に何度か話したはずなのですが、プリムさんは引こうとしません。
「あたし、先生みたいな癒師になりたいの。やってみなきゃわからないでしょ? ね、エルダーに連れてってよ」
「あっ……」
作品名:プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第三章(後)】 作家名:あずまや