プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第三章(後)】
「休暇の間は何するの?」
「そうですね……癒術書でも読もうかな」
「なにそれ! ちょっとくらい仕事から離れなさいよ」
「勉強してないと、何か不安で……」
島民の期待が大きくなるにつれて、私はミスを恐れ、仕事のことばかり考えるようになっていました。
プリムさんはお手製の手帳を見て、言いました。
「実を言うとね、先生の施術の効果がちょっとずつだけど落ちてる」
「えっ? そんな……」
「最近、散歩もしてないでしょ?」
「は、はい……すべての患者さんを把握しようと思うと、頭の中がどうにも忙しくて」
「このままじゃ、先生、ダメになるよ」
「……」
「よしっ。じゃあ休みの間は、ローズ島であたしと遠足ね」
「でも、その、できれば私はあの本を……」
「はい読書禁止ぃ!」プリムさんは机の上の癒術書を取り上げ、自分のカバンにしまいました。「もう決定だからね。明日の朝、西港の桟橋に集合」
「は、はぁ……」
……という訳で、私とプリムさんは今、ローズ島に来ています。
単帆の小舟でロック島を出て、北北西に三時間ほど行ったところに、ロック島をぐっと圧縮したような小島があります。
集落のほとんどは海岸沿いで、住民は老人ばかり。
プリムさんの話では、老いて働けなくなった人の大半がここローズ島に送られるのだそうです。それは昔からある掟で、総統の父、ロックローズ二世——現ローズ島の長——も例外ではありませんでした。ロック島の若い民が効率よく働くには、それしかないのだと、ローズ島民でさえ認めているのですが、私には理解しがたいことでした。
難しい顔をしていると、すぐプリムさんに怒られます。
私は気分を変えるため、山に登ってみたいと申し出ました。
プリムさんは表情を変えずに言いました。
「ま、ローズ島で遠足って言ったら、トール山しかないけどね」
トール山とは、ローズ島の中心にそびえる低い山のことです。古くから山道が整備されていて、子供でも登ることができます。
私たちは登山口を見つけると、山林の中へ入っていきました。
木々が茂って見晴らしの悪い、山の中腹。
まだ半分も来ていないというのに、私は両手を膝につけて、ゼイゼイ言っていました。
プリムさんはあきれ顔で言いました。
「先生……運動不足もほどほどにしてよ」
「み、水……」
私は水筒の水を、がまんできずに飲み干します。
たぷんたぷんになったお腹は、そのあと山頂に着くまで、私を苦しめつづけました。
トール山の頂は草原になっていて、どこを向いても海や島々が見える、すばらしい展望所です。
野原の中心には、古びた石の塔が立っていました。正確には塔というより、らせん状階段に取り巻かれた野ざらしの円柱台というべきでしょうか。
プリムさんは、階段を上りながら言いました。
「これは北の見張り台。今はほとんど使ってないけど」
この台は、今から千年ほど前に隆盛を誇っていた、北方民族の動きを監視するために立てられたのだそうです。
見張り台の上に立った私たちは、しばらくの間、黙って水平線の彼方を見つめていました。
どこまでも続く青い海と空。
この海域で千年以上もの間、赤い血が流されてきたなんて、私には信じがたい話でした。
ふと、私は西の方を向いてつぶやきました。
「あっちに一つでも実り豊かな島があれば、海賊なんかしないで平和に暮らせるのに」
プリムさんはため息をつきました。
「そりゃそうだけどさ。ヘイゼルの島々より西には何もないよ。暗黙海流があるだけ」
目を凝らすと、西の海だけ黒ずんでいて、潮の流れが他とちがっているように見えます。暗黙海流は流れが激しすぎて、どんな船も沈めてしまうため、誰も近づかなくなったとのこと。水平線の向こうは、地図上でも未踏地とされていました。
見張り台を下りた私たちは、海がよく見える崖の近くに敷物を広げ、昼食のパンを口にしました。
私の水筒はすでに空。口が渇いてパンをうまく飲みこめず、またプリムさんに小言をいわれてしまいました。
「あたしの残りあげるから」
私はプリムさんの水筒を受け取りました。
「ふ、ふみまへん……はー、窒息するかと思いました」
「ったく、どっちが先生なんだかねー」
「あぅ……」
まったくです。彼女がエルダー生まれで、癒師の素質を持っていたらと、どれほど思ったかわかりません。
「でも、施術中の先生はまるで別人。カッコイイし、体が光って見えるし、まるで天使みたい」
「えっ? 今なんと?」
「セッカク……じゃなくて、錯覚よ」
プリムさんは笑いました。
彼女は私が貸した手のひらサイズの辞書を毎日見て、語彙を増やそうとしていました。
「本当に錯覚でしょうか?」
プリムさんはよそ見していて聞いていませんでした。
「そうだ! 先生、あれ」
「あれ、とは?」
のばした指の先をたどっていくと、古びて黒ずんだ石柱らしきものがありました。
「大昔から刺さってる石でさ、何か字が彫ってあるんだけど、誰も読めないんだ。外国からきた先生なら、わかるかなと思って」
「……」
その石が目に入ったとたん、私は時間が止まってしまったような感じを覚え、気がついたときにはもう石柱の前に立っていました。
「ねぇ、先生、急にどうしたの? ねぇってば!」
プリムさんが追いかけてきました。
「えっ? あれ、私いつの間に?」
「変だよ先生。いつも変だけど、もっと変」
「そこまで言わなくても……」
「で、どうなの? 読めそう?」
プリムさんを相手にしていると、落ちこんでいる暇がありません。
私は石柱に彫ってある文字を、順に目で追っていきました。
「……こ、これは!」
ラーチランドの北の果て、コホシュ岬で見たのと、そっくりな内容の碑文です。
「お墓? 宝のありか? なんなの?」
「ご存知かどうかわかりませんが、これは私たちエルダー人の神、癒神エキナスがこの土地を訪れたことを記したものです」
「神様が? なーんだ、作り話か」
プリムさんは肩を落としました。
「いえ、実在した人物です。彼女なくして、エルダー人も癒術も存在し得ません」
遙か昔、癒術の祖として活躍した聖女について、私は少し語りました。
「ふーん。でも、ここに来たってだけの記録でしょ。そんなに驚くほどのことなの?」
プリムさんにはわからないでしょうけれど、エルダー人で癒師の端くれの、私にとっては重大事件。胸の高鳴りが止まりません。
私はコホシュ岬で見つけた石碑についても話しました。
少女はまだ納得いかないようです。
「そのエキナス様って人と同じ場所に来たのが、そんなにすごいことなの?」
「だって、世界は広いのに、こんな辺鄙なところで一致する可能性なんて……」
言いかけて、私は口を手で隠しました。
「ヘンピってなぁに?」
「い、いえ、なんでもありません」
「帰ったら、辞書で調べよっと」
「ああ、それだけは!」
弱みを握られた私は、それからロック島へ帰るまで、ずっとプリムさんの言いなりでした。
誰もいない海岸で素っ裸になって泳いだり……。
近所の老人たちにすっかり見られてしまい、私は何度も奇声を上げました。
星空の下で蚊に刺されながら野宿したり……。
作品名:プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第三章(後)】 作家名:あずまや