プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第三章(前)】
「私はゲンティアを目前に行き倒れ、そのあとチコリ砂漠で砂嵐に遭ってきました」
「マジかよ。俺より冒険してんじゃねぇか」
二人は笑い合いました。
しばしの沈黙の後、ダガーさんは私の顔をじっと見つめました。
「な、なんですか?」
「鉱山にいたときと、変わったよな」
「そうですか?」
「ああ。なんとなくな」
「どこらへんが?」
「ん? あー、そうだな」ダガーさんは視線を下げていきます。「乳が丸くなった」
「もう!」
下ネタにさえ走らなければ、いい人なんですが……。
「話は変わるが、あんた、武器は持ってきたか?」
「まさか。私はこれでも癒師の端くれですよ?」
「そうか。じゃあ……」ダガーさんは背嚢から何かを取り出しました。「これを渡しておく」
革のサックに収まった小さめのナイフ。持ち手を引くと諸刃が光りました。
「人を傷つけるものなんて、どうして……」
「護身用だ。海賊の話は聞いているだろう? 出たり引っこんだりよくわからねぇ連中だが、満腹の虎とちがって、人間ってのは気まぐれだからな」
「私には必要ありません。もし襲われたら、運命を受け入れます」
「それじゃダメなんだ」ダガーさんは私の肩にぶ厚い手を置きました。「あんたが死んじまうと、救えるもんも救えねぇ奴が増えちまって、あの世が混雑すんだよ」
「で、でも……」
「プロ用のナイフは、持っているだけで威嚇になる。それで救える命もある。リンゴの皮だって剥けるしな」
諸刃では皮むきには向かないのでは? それはともかく、戦わずして悪漢を遠ざける術も長旅には必要です。
私はナイフを受け取ることにしました。
「そう硬くなるな。念のためだ」
ダガーさんは小さく笑うと、船室の方へ去っていきました。
翌朝、私は朝日が山の頂を照らすと同時に船室を飛び出し、外の空気を胸いっぱいに吸いこみました。船室はお酒臭くて、酔い止めも半分しか効きません。
マレイン号は昨日と同様、長蛇の断崖にそって航行中です。
変わったことといえば、崖の色が青っぽくなったくらいでしょうか。この辺は『青壁(せいへき)』と呼ばれており、古代の海戦場だったところです。
「そうだ、青壁といえば……」
私はこの近くに島があることを思い出しました。
地図を広げてみると、旧跡青壁の西、二百マース(一マース=約一キロ)のところに、ヘイゼル諸島というのがあります。最も大きなのがロック島、次いでローズ島、その他小島が数百点在しています。
船の位置がわかって地図を閉じたとき、マストの上から男の絶叫があがりました。
「バーベイン号だ! 右舷水平線上に海賊船を発見! 数は三!」
白い制服に白い制帽の男が船室から飛び出してきて、マストを見上げました。
「間違いないか!」
「俺を誰だと思ってるんです!」
「海の虎め、満腹したんじゃなかったのか?」船長は歯ぎしりして悔しがると、そばにいた大柄な男に言いました。「副長! 風はどうか?」
「芳しくありません。この巨体で逃げ切るのは困難かと」
「船員をただちに武装させろ!」
警鐘が鳴り、デッキにいる乗客に避難指示が出ました。
私は人でいっぱいの船室に入ると、ドアについた丸い窓から外の様子をうかがいました。
マレイン号よりひとまわり小さな黒塗りの帆船が左右に現れたかと思うと、海賊たちはバネ仕掛けの跳躍台を蹴って宙を舞い、続々とデッキに乗りこんできました。
客船の船員たちは矢を射かける間も与えられず、武器を捨てて両手を挙げるしかありませんでした。
「奴らは接近戦の王者だ。距離を詰められたら、勝ち目はねぇ」
気づくとダガーさんがそばに立っていました。
私は海賊の行動を不審に思っていました。
「もっと血を見るかと思ったのですが……」
海賊たちは、武器を捨てた者にはそれ以上攻撃を加えようとしないのです。
「奴らは人殺しの享楽主義者とは少しちがう。欲しいのは物資だけだ。戦いがすんだらあとは船長次第だぜ」
デッキの上が静かになると、ハーフパンツに革ベスト一丁という出で立ちの、背の高い男が最後に現れました。
日に焼けた短髪の青年は大声で言いました。
「この船に、船医が乗っているはずだ! すぐに連れてこい!」
船長が男の前に出ていって言いました。
「船医に何の用だ」
「俺に質問するな」
男の一睨みで話がつきました。
船医がやってくるまでの間、ベスト男の部下たちは、左右の黒帆船に板を渡し、『オピアム行き』と書かれた青果や酒入りの木箱などを、次々と運んでいきました。
海賊の頭領は要求をつづけました。
「シロチを載んでいるのは知っている。薬草と一緒に全部持ってこい」
「そんなものを盗ってどうしようというのだ?」
「俺に質問するなと言ったはずだ」
頭領は短剣を振りかざしました。
船長が指示すると、副長以下数名の男が、船倉へ通じる階段を下っていきました。
一方、船室のドアに張りつくダガーさんは、訝しげな顔で私に訊きました。
「シロチって何だよ」
「酸化亜鉛の俗称で、簡単にいえば、皮膚薬です。用途は傷や湿疹などでしょう。鉱山で原石が採れるはずですけど、知りませんでした?」
「う、うるせぇな。持ち場の石以外は詳しくねぇんだよ」
いつまでたっても船医がやってこないので、頭領はだんだん苛ついてきました。
「船医はどうした!」
すると、混雑した船室内がざわつきはじめました。ここはいわゆる雑魚寝部屋と呼ばれる二等室で、寝転がるための床があるだけの空間です。
ひそひそ話が伝わってきて、私の耳にも入りました。どうやら船医は、この部屋の隅で具合の悪くなった子供を診ている最中のようです。
「フン、そこか」
頭領がこちらへ近づいてきます。
私とダガーさんはさっと身を引きました。
バァンとドアを開けると、ベスト男は人々をかき分け、見つけ出した白衣の中年男を引っ立てていきます。
医者はたくましい腕に捕まったまま、もがいています。
「も、もう少し待ってくれ! あの子は虫垂炎なんだ。せめて鎮痛剤だけでも!」
「チュースイエン?」
「いわゆる盲腸だ」
「んなもん、気合いで治せ。俺はそうしたぜ?」
「まだ子供なんだ。精神論なんか通用するはずないだろう?」
「ぬるい事言ってんじゃねぇ! オピアムまでこっから一日だろうが。そんくらい我慢しろってんだ」
私は頭領の態度に我慢ならず、トランクを開け、内ポケットにそっと手をのばしました。
それを見たダガーさんは、ひそひそ声ながらも、鬼のような顔で止めようとします。
私は「トランクを見ていてください」と小さく言うと、サックから諸刃のナイフを抜き、頭領に近づいていきました。
「なんだ? てめぇは」
頭領は医者を放すと、手ぶらのまま私に近寄ってきました。
「虫垂炎は下手をすると命取りになることもあります。船医はこの船から離れるべきではありません」
「可愛い顔して、俺に説教しようってのかい?」
男は鼻で笑うと、素早い手刀で私の手首を狙いました。
私はそれをかわし、男の鼻柱にナイフの切っ先を突きつけます。
「な!?」頭領は前のめりのまま固まりました。「て、てめぇ……何者(なにもん)だ。誰に習った?」
「……」
作品名:プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第三章(前)】 作家名:あずまや