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プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第三章(前)】

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「エルダーの癒師よ。どうやらおまえは、並々ならぬ使命を背負っているようだな。会ってすぐに見抜けなかったとは、私も耄碌した」
「……」
 私は首を傾げました。癒師なりの使命はあると思いますが、他の人とそう差があるとは思えません。
「わからぬか。一度目は、広い荒野に行き倒れているところをシャスタに拾われた。二度目は砂嵐だ」
「……」
 私は不満げに長老を見つめました。
「むしろ神に行く手を阻まれたというのに、なぜそんなことを言う、と思っているな? 私はここ五十年、毎日天候を見てきた。先人の記録三百巻にも目を通した。この時期に限って言えば、砂嵐など一度たりとも起きていないのだ」
「天気は気まぐれですし、たまたまそうなったのでは?」
「世の中に偶然などない。その証拠に一つ教えてやろう。砂嵐がはじまった日、サウスチコリから北上していた隊が全滅したと、今日になって山鳩の便りが入った。地面が大きく陥没したそうだ」
 チコリ砂漠はできてからまだ数千年しかたっておらず、大昔は海だったという伝承が、ゲンティア村にはいくつか残っています。
「私を死なせないために、シャスタさんは導かれ、さらに砂嵐まで起こったというのですか?」
「私の忠告を聞いて、ディルへ戻っていれば、嵐は起こらなかったろう」
「仮にそうだったとしたら、シャスタさんたちが死んでいたかもしれない」
「そうであろうな」
「私には信じられません」
「いずれわかるようになる。おまえの旅の計画を当ててやろう。最初はチコリ砂漠を越えるつもりなどなかった。アスペンとディルで、船便が復活するまでの時間をつぶすつもりだった。違うか?」
「お、おっしゃる通りです」
 私は驚きを隠せませんでした。旅の手記には鍵がついています。トランクを開けられたとしても、誰にも読まれないはずです。
「直感は常に正しいものだ。では、おまえの霊感を曇らせたのは何だったか」
 そこまで見透かされては黙っているわけにはいきません。私は鉱山で小鳥を見殺しにした話をしました。
 ラークス老人は微笑んで言いました。
「その小鳥が生まれた目的は、鉱山に集まった人間を毒の光から守ることであった」
「!」
 私はハッとして思い出しました。小鳥が死んでしまった晩、心に直接話しかけてきた不思議な声のことを。
「小鳥の運命を受け入れられず、感傷的になったおまえは、自分を責め、痛めつけることで埋め合わせをしようとした。その結果が、あの行き倒れだ」
「……」
「一体それで、誰が救われるというのか」
「……」
「この世で一番身近な命を疎かにする者が、果たして他人の命など救えるだろうか」
「この世で一番、身近な、命……」
 私は左胸をそっと押さえました。
「知った者の死は悲しいものだが、それを深刻に受け止めすぎるあまり、自分で自分を苦しめるのは、もっと悲しいことだ。まず己を大事にすることを覚えなさい。他人を癒すのはそれからだよ」
「長老様……」
 私はシャスタさんが迎えにくるまでずっと、幼子のように泣いていました。

 翌朝、私はシャスタさんと共に、砂嵐の吹きすさぶゲンティア村を後にしました。
 北の小山を登っていき、頂の境界石柱を過ぎた頃には、嘘のように風がやんでいました。
 私は驚いて、来た道をふり返りました。下界はまだ黄土色の霧に包まれています。
「この辺りの風は独特なんだよ。おかげで山が低くても、アスペンは緑がいっぱいというわけさ」
 シャスタさんはハッとした顔で、言葉を継ぎました。
「ご、ごめん。あの街の話はタブーだったっけね」
「いいえ、もう大丈夫です。私は輪廻転生を信じているくせに、くよくよしすぎるんです」
「長老みたいにドライすぎるのも、あたしは嫌だけどね。なんていうかさ、あんたはきっと、架け橋なんだよ」
「架け橋?」
「聖人は真理ってやつを語るけど、なんか難しくってさ。あたしらみたいな俗物には、間に立ってくれる人が必要なんだ。そういう人のほうが貴重だと思うけどね」
「は、はぁ」
 少しでも優れた癒師になりたいと修行している私には、まだピンとこない話でした。
 山を下り、草原をしばらく行くと、アスペンの街です。郵便局前にある路線馬車の停留所まで、シャスタさんは送ってくれました。
 ちょうど馬車がきています。私はトランクを片手に客車へ駆けこみました。
 すぐに出発するかと思いきや、四頭の馬たちがむずかって馭者を困らせています。
 シャスタさんはそれを見て笑うと、窓を開けて顔を出した私に言いました。
「あんたのおかげで、あたしがまだ生きてるって話、信じるよ」
「シャスタさん……」
「ほら、話は終わったよ。邪魔して悪かったね」
 彼女が馬に呼びかけると、不思議なことに、四頭とも大人しくなりました。
「何かあったら、都の中央郵便局に局留めで手紙を送ってください。すぐに飛んで行きますから」
「いいのいいの。ピンクのフリフリパンツ譲ってくれただけで、充分」
「ちょ……」
 やめてくださいと言おうとしたとき、馬車が出てしまいました。
 客車に乗り合わせた人々は、私を見るたびにクスクス笑います。ディルの港まで半日この状態が続くかと思うと、別れの感傷に浸ってなどいられません。
 シャスタさん……ありがとう。

 夕方、港町ディルに着きました。
 私はさっそく港の旅客待合所に行って、情報を求めました。
 ディル・オピアム航路は、昨日から復活していました。
 私が砂漠越えを諦めたのも、昨日。
「こんなに都合のいいことって……」
 自分のことが、少し恐ろしくなってきました。
 航路は週に二便で、今日と明日は船がありません。
 私は明後日まで、近所の宿に身を置くことにしました。


 第二十五話 定期船マレイン号の災難

 四本マストの大型帆船『マレイン号』は、正午定刻にディル港を出発しました。
 デッキや船室の人々は、この日を待っていたといわんばかりの賑わいです。席がないと騒いでいる人がいるところ見ると、おそらく乗客は定員の三百名を越えていることでしょう。
 私は今度こそ、酔い止めの生薬を忘れずに買い、一安心です。とはいえ、田舎で育った私は、人にも酔ってしまう質(たち)。混雑した船室にはできるだけ入らないよう努め、寝る時以外は、デッキで海を見ていることにしました。
 出航して二時間ほどすると、左手に大きな断崖が姿を現しました。崖は南に向かって見えなくなるまでのびています。地図を見ると『長蛇の断崖』とあり、遥かオピアム近郊まで実に五百マース(一マース=約一キロ)も続いていました。断崖は峻険な北ウォールズ山地の西麓にあり、その山々を越えた先にチコリ砂漠が広がっています。
 デッキの欄干にもたれて景色に見とれていると、後ろにいた誰かが私の肩を叩きました。
「よう」
 ふり返ると、見覚えのある無精髭の男。
「ダガーさん!」
 男は照れくさそうにうつむきました。
「やっぱあんたか。初日の便で行っちまったかと思ってたぜ」
「オピアムに行かれるのですか?」
「ああ。石堀りはもうやめた。仲間を連れて会社を興す。俺は人に使われるタイプじゃねぇと、例の事件でやっと気づいたのさ」