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プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第三章(前)】

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「……」
(あなたが思い煩ってきた一連のことは、あなたが犯した最大の過ちに比べれば、些細なことです)
「些細だなんて……あれ以上の過ちなんてありません」
(あなたは目の前の命を疎かにしましたね?)
「あ、あの、失礼ですが、話が振り出しに戻ってますけど」
(鳥のことを言っているのではありません。もっと近くにあります)
「もっと、近く?」
 さらに質問しようとしたとき、辺りが霧に包まれ、何も見えなくなってしまいました。
(私の役目はここまでです。あとのことは、彼らに託します)
「ち、ちょっと待ってください! もっと教えてください! 彼らって誰ですか?」
 声はそれっきり、聞こえなくなりました。
 やがて霧が晴れてくると、はるか下に海が広がっていました。
「た、高い……」
 言っている間に、青い平面はどんどんせまってきます。
「私、落ち……わあああああ!」

「わあああああ!」
 私は叫びながら目を覚ましました。
「きゃ!」
 女の声がしたかと思うと、額めがけて顔がせまってきました。
 ゴン!
 私も相手も、額をおさえてしばらく唸っていました。
「急に叫ぶんだもん。滑っちゃったじゃない」
 赤いバンダナをかぶった彫りの深い顔の女性は、シャスタと名乗りました。見たところ、歳は私と同じくらいです。
「ご、ごめんなさい。私は……」
「プラム。エルダーの癒師さんね」
「えっ?」
「悪いけど、トランクの中身、調べさせてもらったよ。一応、決まりだからね」
「は、はぁ」
「あれ? その顔は、なんも知らないでゲンティアに来ようとしてた?」
「ゲンティア……ああ、そうか私……」
 記憶が蘇ってきて、私は正気を取り戻し、あわててお礼の言葉を継ぎました。
 シャスタさんは砂漠の隊商の一員で、平時は村まわりの警備を担当していました。彼女は夜の巡回中、荒野に行き倒れていた私を見つけ、背負って帰ってきた、というわけでした。
 シャスタさんは、猫のように目を細めて言いました。
「っていうかさ、あんた、可愛いパンツはいてるのね。あたしに売ってくれない?」
「え、いや、あの……」
 どぎまぎしていると、部屋の戸口で男の声がしました。
「病んでいる者を相手に取引するなと、長老に怒られたばかりだろうが」
「あたしがはくんだけど? 悪い?」
「な、ならいいがな……」
 男は赤い顔をして去っていきました。
「ウブでしょ? ああ見えても許嫁なのよ」
 嬉しそうな顔のシャスタさんについつい絆され、私はピンクのを一枚だけ差し上げました。

 シャスタさんの部屋で一日休んだ後、村の長老が呼んでいると聞き、私はあわてて身支度しました。
 家の外に出てみると、日干しレンガ造りの四角い家が密集して立ち並んでいました。建物はどれも同じに見えてしまい、誰かの案内がないと迷子になってしまいそうです。
「あたしらがちっこい島の区別がつかないのと、大して変わんないよ」
 シャスタさんは笑うと、長老の家まで付き添ってくれました。
 朝早いせいか、夜に冷えきった大地がまだ暖まっていなくて、寒いくらいです。日が高くなって暑くなると仕事にならないため、村人は荷物の出し入れや、旅人の案内、ランダ——ラクダの仲間——の世話に忙しそうです。
 地元の人は一人残らずバンダナをしていました。珍しげに見ていると「村の掟だからね。正装みたいなものさ」とシャスタさんが解説してくれました。仕事の内容によって色が違うそうです。
 長老の家は村で唯一の三階建てでした。
 さすがは権力者、というのは私の浅はかな先入観でした。一階と二階は役場や議事室などの政務部署がひしめいていて、自宅は三階だけです。
 私は複雑な模様の絨毯を敷いただけの、何もない応接間に通されました。
 奥であぐらをかく老人に促され、同じようにして座り、向かい合いました。
 シャスタさんは「外で待ってるから」と言って、下へ降りていきました。
 縮れたあごひげをした長老も掟にもれず、紫色のバンダナをかぶっています。
 長老はラークスと名乗ると、言いました。
「エルダーの癒師よ、ここはおまえたちのような人種が来る場所ではない」
「……」
 いきなりのお咎めに、私は少しムッとしました。
「知っての通り、チコリ砂漠は主役の座を海に譲ったとはいえ、ディルやアスペンと西の都を結ぶ道の一つである。しかしな、文明が発達した今となっても、地上で最も困難な道の一つでもあるのだ」
「旅に困難はつきものだと思います」
「自分の命を危うくするような者が、他人の命など救えるだろうか?」
「過酷な土地にも病んでいる人はいます。癒師は場所を選びません」
「そんな心構えでは、おまえはあの砂漠で命を落とす。ディルへ引き返すがいい」
「海路は今、海賊のせいで閉ざされています。どうか行かせてください」
 老人は目を細めました。
「何をそんなに急いでいる」
「……」
「まあよい。では、行ってたしかめるがいい。おまえの遺骨は粉にして、故郷の島へ送ってやろう」
「あ、ありがとうございます」
 私は顔を引きつらせて立ち上がると、応接室を後にしました。


 第二十四話 砂嵐

 シャスタさんの隊商が、砂漠の南の村サウスチコリへ向けて出発するというので、私はそこに混ぜていただきました。
 ゲンティアを後にしてから三日間、空はずっと雲っていて、日中でも気温が上がりません。
 私は三つも瘤があるランダ——ラクダの仲間——の上で震えていました。
 冷涼な土地に生まれ育って、寒さは苦にしない自信はあったのですが、夜の防寒用ローブを借りてもいっこうに体が温まらず、歯がカチカチなってしまいます。
「こ、これでは、北国の冬のほうがマシです」
 シャスタさんは私の前でランダを操りながら笑っています。
「乾いた空気って、糸のすき間も通るらしいからねぇ。あたしはもう慣れたけど」
 そのとき、隊商の列の先頭にいる男が口笛を鳴らしました。
 一行はいっせいに歩みを止めました。
 しばらく待っていると、前の方から短い暗号のような伝言がまわってきて、シャスタさんの番となりました。
「チッ、ついてないね」
 シャスタさんはランダを降りると、後ろへ行って伝言をまわし、また戻ってきました。
「あの、何か問題でも?」
「砂嵐だよ。あの丘を越えたところ。チコリ砂漠の風は、あたしらでも完全には読めない。引き返すよ」
「……」
 私はため息をつきました。
「がっかりしないの。この先のオアシスより向こうで嵐に遭ったら、風よけがなくて、あっという間に砂の下じきだよ」
 オアシスといっても、湧水がちょろちょろ出るだけの小さな緑地。隊商を何日も留めてくれるような設備はありません。
 隊商の長は砂嵐に追いつかれぬよう強行軍を決断。
 一行は三日の距離を二日で戻りました。

 チコリ砂漠から引き返してきて一週間、嵐がおさまる気配がありません。
 シャスタさんの家で出発を待っていた私は、再び長老に呼びだされました。
 前回と同じように、私たちは何もない応接室であぐらをかいて向き合っています。
 ラークス長老は、私の顔をしばらく見つめた後、言いました。